「愛」と「恋」の違いについて


本記事では、私自身の理論を
論述することを目的とする。
また、本記事に記載されている情報には
ソースは一切ない。
全て私自身の主観に基づいている、
感情的かつ主観的であり稚拙な理論である。



私は19年間の人生を通して、様々な人間の恋愛を傍観してきた。
大抵の人間は恋愛の真っ只中では、理性を保てず
自身の心理的な状況を顧みることはない。

メンタリストdaigo氏によれば、
恋愛中の人間はチンパンジーになるらしい。
つまり、知能が著しく低下することを意味している。

ここで、一度冷静になって恋と愛について考える機会があっても良いだろう。
そんなことを考えながら、この文章を綴っている。

私は一般の人間に比べて恋愛に関しては経験は少なく、極めて浅学非才である。
そのため、恋愛に関しての知識や勘は非常に
乏しい。
しかし、その経験のなさが恋愛に関する
冷静かつ批判的な考察を可能としているのは
周知の事実である。

その冷静な批判的考察に基づいて説きたいのが、
「愛」と「恋」の違いである。


思い切って結論から述べることとする。

生まれながらの恋愛研究家である私の、
19年間にわたる研究によれば

「愛」は他人の短所を好きになることであり、

「恋」は他人の長所を好きなることである。

私たち、teenagerの恋愛は
ほとんどが「恋」に始まり「恋」に終わる。

この記事を読んでいる人も
思い当たるのではないだろうか…
ひょんなことで、彼氏、彼女に
別れを告げてしまったあの日のことを…


インスタのストーリーに載せた
「 I love you 」という言葉…
LINEの一言に綴った
だいすき💓あいしてる❤️」…
プリクラの落書きで書いた
ずっと一緒❤️」…
それは“真実“か?
愛していたのか?

愛していたのであれば、
なぜ、彼女の食後の大きなゲップを
許してやれなかった?
どうして1時間おきの放屁を認められなかった?

なぜ、彼氏の不快な咀嚼音を
 受け入れられなかった?
どうしてあの箸の持ち方を寛大な心を
もってして許容できなかった?

それは「恋」であって「愛」でないからだ。
「愛」を持ってすれば、どんな悪癖、短所も
認められるだろう。

「愛」と「恋」の違いさえ把握していれば、
自ずと自分の思考の領域も広がっていくだろう。

もし、自分の恋愛が「恋」でしかないと
思うのなら思う存分「恋」をして欲しい。
いや、してくれ。
いつか、その「恋」が「愛」に
変わるかもしれない。

もし、彼氏彼女のことを「愛」していると
思うことが出来れば結婚すればいい。
いや、してくれ。幸せになってくれ。
この先、何年も何十年も互いの長所・短所を
認め合い幸せになってくれ。

だからといって私は全人類に、
『「恋」ではなく「愛」を持て』と言いたいわけでは決してない。


ただ、ここで断言できるのは「愛」は
素晴らしいということだ。

始めは、
「私自身の理論を論述することを目的…」、
とするとか何とか言っていたが、
結局何が言いたいかというと、

私は何事も誰に対しても「愛」を持ちたいし、
「愛」されたいということだ。

私は恋愛においてでなく、作文に際しては
理性を保てないのかもしれない。
やはり、非常に感情的な文章になってしまった。


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