課外活動で全国優勝して、東大に落ちて、マレーシアに渡った半生-~中学編
こんにちは、マレーシアに留学中のRayです。
なぜタイトルのような頭のおかしい進路選択になったのか、自身の生い立ちとその決断に至った考えを書いていきます。長くなりそうなので、4部に分けて(誕生~中学, 高1, 高2, 高3編)書きます。
要するにただの自己満自分語り記事なので暇なときに読んでみてください。
今回は誕生~中学校時代、国際バカロレアや海外大学に興味を持ち始めた理由や小学校の珍事件などについて書いてあります。
前回の簡単な自己紹介記事はこちら
この記事の要約
小学校後半で田舎に引っ越して中学受験をし、世界に羽ばたきたくて国際バカロレア(IB)が履修できる高校に入ったよという話が書かれています。
誕生~幼少期まで
生まれも育ちも日本です。
2004年に某イルカのサッカーチームの本拠地で生まれ、3歳くらいの頃に関東の割と都会な所へ引っ越しました。
幼稚園ではよく休みに外で走り回っていた子供でした。卒園式の頃に東日本大震災があって大変だった記憶があります。
小学校時代
入学~引っ越し編
幼稚園が終わり、近所の小学校に入学します。
小学校時代も毎日のように外で遊んでいました。習い事で水泳やドッチボールもやっていて運動神経は割と良かったです。
おばあちゃんが師範だったので書道もやっていましたが、字はメチャクチャ汚いです。
そして、小学校四年生でド田舎に引っ越します。
私の引っ越し先は比較的マシでしたが、転校先の小学校は1クラスしかなく、少し離れると何時間単位で無人駅で電車を待ったり家から最寄り駅まで10kmとかある人がいてビビりました。
この頃から3DSを持ち始めました。小学生なのにポケモンYで個体値厳選をし、友達相手に「電磁波+いばる」などを使っていたのは本当に嫌な奴だったなと今では思います。
そしてこの「ド田舎」に引っ越したことが後の高校時代の活動に響きます(周りに課外活動をしたり海外大を目指す仲間がいなかった)。
中学受験編
小6では仲の良かった友達が中学受験をすると言い出しました。家の近くにも中学受験で入れる学校があったので、私は素晴らしいことを閃きます。
💡「ここに入れば遅刻ギリギリまで寝られるじゃん」
思い立ったが吉日、小6の夏から塾に通い始めました。でも秋に本番レベル模試を受けてみると、衝撃の国語偏差値19.3を叩き出してしまいました。算数はちょっとだけ出来た。
また、何を思ったか入試一か月前でも友達とブランコから飛び降りてどこまで遠くに着地できるか、というデンジャラスな遊びをしていました。
この時洋服がブランコのチェーン部分に引っかかり、空中で一回転しながら落下して見事に入試直前に腕を骨折しました。まあ左利きなので折れたのが右手で助かりました。
塾の先生には「小6の夏からでは無理だ」と言われましたが、普通にそこからは頑張って合格できました(難関校ではない)。
中学校時代
中学一年生
中学校はさぞかし育ちのいい人たちばかりなのだろうと思っていましたが、
中学生なのに数検一級取っちゃうやつ
中三になって五教科の総合が500点中9点なやつ
俺ショートスリーパーだから!と言い放ったそばから居眠りするやつ
ほうきを持ったままマリオの真似でジャンプして天井に穴開けちゃうやつ
トイレットペーパーの芯コレクションしちゃうやつ
窓ガラス叩いて割っちゃうやつ
金持ちの友達に買ってもらったものを返品して現金を得ようとするやつ
などがいて、常に珍事件が発生して学年集会が開かれていました。
部活は運動がしたかったのでソフトテニス部に入りました。なお、この性格なので朝練は3年間で数えるくらいしか行ったことがありません。テニスはサウスポーなのになぜかボールは右手でしか投げられない可哀そうな左利きでした。
入りたての頃「一緒に乱打(二人ペアで打ち合う練習)をしよう!」と同級生に誘われ、嬉しい気持ちで部活に向かったら、「俺やっぱ他の人とやる」と言われました。その時謝罪でもあるのかなと思っていたら「まあ口約束だしお前との約束は守るとは言ってない」と理不尽なことを言われたので、キレてそいつにボールを打ち付けたらケンカになった思い出があります。
中1は勉強も部活も何もせず、ボーっとしていたら終わっていました。
この時は英語がとても苦手で、周りは100点とか95点を平気で取るような簡単なテストですら50点、テストの直前に文章の頭は大文字で書くことを知るくらいでした。
中学二年生
中2も引き続き、勉強も部活も何もしない虚無の時間でした。あと数学思考力検定とかいう謎の資格の3級を取った気がする…
でも趣味の将棋の県大会で優勝しました。中1で将棋県一位の同級生を見て「そんくらい自分もできるし!」という謎の対抗心を発揮して将棋を始めたら、一年経たないくらいで強くなれました。こういう負けず嫌いなところや一つのことに打ち込める力は高校時代の課外活動にも生かされています。
あと科学の甲子園ジュニアにも出ました。これは3人チームで筆記競技と実技競技に取り組み、その総合点で優勝を決めるものです。
学内選考は何とか突破し、県予選当日。筆記の次は実技で、紙でタワーを作れ的な課題でした。が、競技中にチームの一人と私が制作方法を巡って口論になり、どちらも意見を曲げず制作物が未完成で試験が終了しました。マジで大乱闘スマッシュブラザーズになるかと思いました。
結果、同校の別チームが一位で全国に行き、私のチームは何の成果もありませんでした(多分筆記もそんなにできてない)。
中3になる春休みは家族でマレーシアに数日旅行に行きました。本当にたまたまで、後にこの国の大学に通うことになるとは…
初海外でしたがツアーだったのでほぼ英語は使っていません。そして、この後大学進学まで海外に行くことはありません。
中学三年生
趣味の将棋はその後も強くなりましたが、この年は強い後輩が沢山現れて県3位とかベスト8が限界でした。
部活は相変わらずサボりまくっていたため特に成果もなく引退しました。これは流石に時間を無駄にした感があるので後悔しています。
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高校は訳あって別の所へ行くことになったので、受験のため中3では流石に勉強しようと思いました。漢検と英検の準二級はこの頃取りました。
友達の誘いで春に秀〇予備校に入りました。〇英予備校には
「俺はキリンの首の毛に触ったまま死ねるなら本望だ!」とか急に言い放つムスカ大佐似の先生
「豚」は悪口だが「豚さん」は悪口じゃないという謎理論を展開し、家庭内で「豚さん」と呼び合う先生
「○○君は落ちると思ってたけどな」とか言っちゃうサイコパスな先生
問題図に「汚ねぇじゃがいもみたいな形だ」とか言う人(後の数オリ県一位)
授業中に急に立ち上がって「○○で草」とか言い出す貧乏ゆすりエグい人
東南アジアの民族衣装みたいな服の上に革ジャンと革靴履いてくる人
とかがいてヤバい所に来たなと思いました。
あと友達(中学の一位)と塾のコピー機を無断使用し大量印刷をするというクソガキっぷりを発揮していましたが、先生は「君たちは模試の結果に繋げてくれるからいいよ」と見逃してくれたりしました。
この時まで勉強はほぼしていませんでしたが(学年順位は真ん中くらい)、夏に夏期講習に行ったり街の図書館に一日中籠って猛勉強しました。学力は右肩上がりで伸び、中学の学年順位でも一桁に入れて嬉しかったです(一桁が取れれば県内高校ならどこでも受かる)。
内申点は、中三はオール5でしたが中一と中二の時はいくつか4が付いていた気がします。
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この時志望校として「家からの近さ」「偏差値」「教育カリキュラムや校風」のどれを取るか迷いましたが、ここで母が国際バカロレア(IB)という教育プログラムを発見しました。
国際バカロレアとは、世界のバカという意味ではなく
というもので、要するに
英語で6科目の授業を受けて、課外活動などもする
最終試験もあり、最終スコアが45点満点で出される
その結果によってハーバード大学とかケンブリッジ大学とかの世界各国の大学に直で入れる大学入学資格が手に入る
というものです。
当時なんとなく「世界に羽ばたいていけるのカッケ~」と思っていた私は、地元にあったIB校自称進学校(偏差値60代前半)を第一志望にしました。
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模試の志望校欄でも1位で偏差値的にはかなり余裕があったため、前日はパズドラをしていました。というか、その少し前の時期でも近所の友達と毎日放課後にスマブラをして遊んでいました。が、その友達は第一志望に落ちてしまったので、この件に関しては少し責任を感じてもいます。
といいつつ当日は緊張してしっかりお腹を壊しましたが(メンタル雑魚なので習い事とかの大会でも必ずお腹を壊す)、大きなミスもなく合格しました。
中学校の卒業式は新型コロナウイルスが流行り出したため日付が早まりました。幼稚園の卒園式は東日本大震災と被りましたし、結構大事な時期に不幸を被っている世代な気はします。
中学は友達と遊んだり恋愛できて楽しかったので、状況がよくわからないまま友達とお別れになり複雑な気持ちでした。
〆
ということで誕生~中学編を終わります。中学卒業以降のほうが参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください。
今後も興味を持っていただけるような記事を書いていきたいと思いますので、よろしければサポートお願いします!