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099. 豆を炊きながら、あの時、わたしは不安で不安で仕方がなかった。

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。時系列的にもあのマクロン大統領のロックダウン宣言(2020年3月16日)を間近に控え、滞在記を書くときにぐっと摩擦を感じるようになってきました。今日はそんな、嵐の前の静けさをかすかに感じつつも、丁寧に暮らしを営もうとしていたある日の場面について。



2020年3月10日。
この日から保育園、学校、大学などの教育機関が閉鎖になり、例の感染症がフランスにも蔓延しているのを肌で感じられるようになってきた。でも、外に出るといつも通り、レストランやカフェは開いていて、テラスでくつろいでいる人の姿がある。チーズ屋さんやマルシェには会話しながら買い物を楽しむ人の列ができている。本当に、見た目はいつも通りの日常。けれど、なんとなく空気がザワザワしているのを感じ、気軽に外出するのもはばかられ、家のリビングで娘とお絵描きをしたり、粘土やビーズで遊んだり、ということが増えてきた。そんな状況だったのを覚えている。

こういう、気持ちがザワザワしている時、わたしはいつも豆を煮る。心がけて煮る、というよりは、ついつい煮てしまうというのが正解だろうか。フランスにはいつも行くお気に入りの八百屋さんがあって、わたしはそこでよく豆を買っていた。大きなプリプリとした豆がネットいっぱいにぎっしり入っていて、しかも日本で買うよりもうんと安かったと思う。フランスでは日本のようにあまり豆を甘く煮る習慣がないので、いわゆる日本で売っているような甘い煮豆やあんこのようなものは売っていない。だから、時々気持ちがざわついたり、日本が恋しくなるとキッチンに立って、煮豆を作ったりあんこを炊いていた。

わたしが豆を炊くようになったのは、結婚してからだ。進学のために故郷を離れてから、わたしの食生活は本当にひどいもので、豆を炊くどころか米を炊くことすら面倒くさい、という有様だった。しかし結婚して、ふたたび誰かのためにキッチンに立つようになると自然と豆を炊くようになっていった。

豆を炊くって、時間も手間もかかる。まず一晩浸水しなくてはならないし、何度も茹でこぼしながら豆の皮が破けないように常に火加減に注意を払わなくてはならない。火の通りが良くないと砂糖をいくら入れたって浸透しないし、本当、お口に入るまでのプロセスが長い。母方の祖母がよく「豆が炊けない女は結婚できない」と言っていた。良妻賢母思想への反発もあって、「そんなのどこの物好きがやるんだ!」と思っていたけれど、結婚後、まんまとわたしは過去の自分が〝そんな物好き〟と切り捨てたあれこれをする生活を営んでしまっている。

豆を炊くって、気持ちにも時間にも余裕がある時にしかできない。いや、逆に、気持ちにも時間にも、余裕が欲しくて豆を炊いてしまうのかもしれない。当時反発心を持っていたけれど、母方の祖母が言いたかったのってこういうことなのだろうか。最近豆を炊くたびに良く考える。


3月10日。
この日も豆を炊いていた。

娘に何か美味しいものを、と思ってキッチンに立っていたのだけれど、リビングにいる娘に背を向けて豆を炊いているその時の自分を想像すると、胸とお腹がグーっと緊張して、とても不安な気持ちになってきた。

あぁそうか。
あの時のわたしは、不安だったんだ。

気丈に、気丈に、いつも通りに。小さな娘を不安にさせないために、そんな本心を夫にも悟られまいと頑張って振る舞っていたけれど、あの時、わたしは不安で不安で仕方なかったのかもしれない。未曾有の感染症が今にも世界を包まんとしていたあの時。言語も文化もわからない異国の地で、刻々と変わり続ける状況からなんとなく嫌な予感を感じながらも、必死に小さな子供を抱えて過ごす32歳のお母さん。不安でないはずがない。

今、この国に、世界に、何が起こっているのだろう。わたしたち家族はどうしたら良いのだろう。ここにいて、本当に大丈夫なのだろうか。わたしは、この子を守れるのだろうか。

ともすると忘れて行ってしまいそうな日常の一コマの中に、当時取りこぼされてしまった沢山の思いや感情が星屑のように散らばっている。「今のわたしなら大丈夫。受け止められる」。そう自分に言い聞かせてしばらくその感情や思いの中に身をひたしていると、ふと、「おばあちゃんもこんな思いで豆を炊いたのだろうか」という思いがよぎった。煮え切らない思いやざわざわとした不安の気持ちを抱えた時、おばあちゃんも豆を炊いただろうか、と。わたしのように。

フランスのキッチンで豆を炊いていた記憶から、思いがけず祖母のことを思い出して、そこに気持ちを向けるとふっと何かが緩んでいった。そして、祖母の背におぶられて月を見た時の情景に切り替わっていった。祖母は、わたしに童歌わらべうたを歌ってくれていた。

おつきさま いくつ
じゅうさん ななつ
・・・

記憶って不思議だ。
今日の記事がこんな展開になるなんて、思わなかった。
フランスの記憶が、おばあちゃんとの原体験とつながるなんて想像していなかった。

祖母からフランスの話なんて聞いたことはないし、一緒に豆を炊いた記憶もないのに、なぜか、フランスで豆を炊いた記憶を通じて、祖母との記憶や整髪料の香り、背中の温もりがありありと思い出された。あぁそうか、わたしが辛い時も楽しい時も、どんなに遠くにいても、祖母はきっと、どこかでわたしを見守ってくれていたのかもしれない。おばあちゃんは豆を通じて、そんなことをわたしに伝えたかったのかな。

あずきを炊いてみました。
ふっくら滋味深い仕上がりに、「おかわり」のお手手が伸びてきます^^
気忙しい時ほど、こつこつ、まめに🥢

-当時のfacebook投稿より-

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