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152. わたしが滞在記を書く理由

Bonsoir!🇫🇷 少し日付を跨いでしまいましたが、毎週金曜日に更新のフランス滞在記をお届けします。

いよいよ151話で時系列順にできごとをふり返って書く、というプロセスを終えたので、今号からはエンディング。滞在記全体をふり返っていきたいと思います。


あれは人生の転換点だった!
今、書き記しておかねば!

コロナウィルスによる大きな転換を経験した地、というのもあり、当時のわたしにとって、フランスで過ごした経験は自分の人生において何かとてつもなく大きな意味のあることに思えた。そして、止むに止まれぬ衝動に駆られてフランスでの滞在経験を書き始めたのが2020年5月のことでした。

とはいえ、多くてせいぜい20話くらいで完結するだろう、くらいの軽いノリでした。ところがどっこい。蓋を開けてみれば151話というなかなかなボリュームになったフランス滞在記。

モーツァルト然り、ゲーテ然り。
それにしても、わたしも含め、現代でも多くの人が滞在記や旅行記を書いているけれど、それって一体なぜなんだろう?と思いながら書き進めていくと、ふと、これって一種の「トラウマを解く」ための行為なのかな?と感じるようになりました。

トラウマというと、一般的には過去の「ネガティブな出来事」にフラッシュバックしてしまう現象のように語られることが多いけれど、「ポジティブな出来事」だって、トラウマの原因になるよなぁと。トラウマをもし「過去のショッキングな出来事に引き戻される現象」と大きく捉えるなら、ポジティブだろうがネガティブだろうが、トラウマはトラウマなのだと思うのです。

むしろ、感動して心が打ち震えた経験や強烈な成功体験のような「よきできごと」の方がむしろ、トラウマとして作用していても気が付きにくいかもしれません。

わたしはフランス滞在記を書くうえで、

・ 出てくるものをただ書く
・ 同じペースで飛ばさず進む
・ 今の記憶とのシンクロする感覚を楽しむ

という、とてもシンプルなルールを作っていました。
毎週金曜日、大体1000字〜2000字程度と枠を決めて、当時の写真や書いた日記などを見返して、心が掴むことをあればそれを言葉にしてみるのです。

すると、記憶にはところどころ凹凸があるんだなということがよくわかりました。スルスルっと何の苦もなく気持ちよく書けてしまう部分もあれば、書こうとしてもまったく筆が進まず、書けたとしても一向に前に進めないように感じる部分もありました。

「今日は書きたいことがない」ということをテーマに、書いた週もありました。

興味深いことに、こういう「書けない」が起こるタイミングの前後には、大体ポジティブにせよネガティブにせよ、大きく心を揺さぶられたトラウマ的体験がある(あった)ことがわかりました。トラウマの強い刺激にかき消されて見えなくなってしまっているのでしょう。その周辺にある記憶をなぞっている時は、まるでスポッとエアーポケットに入ってしまったような感覚に陥ります。
↓この時もそんな状態で書いていましたね。


でもそんな時でも、ルールは同じ。

・ 出てくるものをただ書く
・ 同じペースで飛ばさず進む
・ 今の記憶とのシンクロする感覚を楽しむ

自分の記憶の道を同じペースで、丁寧に、ゆっくりと歩くのです。
歩きにくい道も、思わず走りたくなってしまう道も、できるだけ同じ熱量でゆっくりと丁寧に歩くのです。




「ステージの上にはバケツいっぱいの音符が落ちているの」


ピアニストのイングリット・フジ子・ヘミングが、何かのインタビューで語った言葉です。


コンサートを終えると彼女はステージの上をゆっくり歩くのだと言います。まだ10代の頃、初めてそのコメントを読んだ時、フジ子・ヘミングはその時音として表現できなかったものをふり返って拾っているのだな、としか思いませんでした。

でもひょっとしたら、フジ子・ヘミングは音だけではなく、そこに入りきらなかった感動や情動をしっかりと味わいきりたかったのではないだろうか。

そしてそれは、とても繊細でよくよく感覚を研ぎ澄まし、ゆっくりゆっくり歩かないと見落としてしまうものだったのではないだろうか。

それを物語るかのような、とてもゆっくりとしたフジ子・ヘミングの足運びをふと思い出しました。


いつも100%感情を味わい切って生きられたらかっこいい。
それがマインドフルに生きる、と言うのだろう。

けれど、感情や情動、感動の力は本当に大きくて、わたしの心や体という小さな器からは、いとも簡単にこぼれてしまうのです。

でもね。
ここまで書いてきて思ったのです。

それでいいじゃないかって。
こぼれたらまた、いつだって拾いに行けばいいじゃないかって。

あぁ、そうか。わたしは「忘れてしまう」ということをものすごく恐れていたのかもしれない。そう思ったら、ふっと心が緩みました。

そして、今まで書いてきたことがエンドロールのようにサーっと流れていくような感覚を覚え、わたしは長い長い物語の中にいたんだな、と感じられたのです。

今を生きよう。
今目の前に広がる生活を、人間関係を、もっと楽しもう。
またフランスへ行ってみよう!

ようやくそのように思えました。


今を生きたい。

もしかしたら、これがわたしに滞在記を書かせた原動力だったのかもしれません。

バスティーユにかかる雄大な雲



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