見出し画像

SNS上の自分に酔いそうになる


SNSを使う時もやはり人に流されてはいけないなと思う。

これは中学からSNSを使い始めた私が高校1年生の時にSNS断ちをして使い方を真剣に考え直した上での自分なりの答えだ。

SNS上で自分の基盤や居場所を作ってしまうとそこに仮想現実のようなもう一つのアイデンティティが形成されてしまい現実にいる自分を見失ってしまう危険性が生まれる。

いいね👍がつく事。
Instagramであれば自分の動向を視聴している人の足跡がついて、フォロワーが多ければ多い程その足跡の数も増える。
自分のアカウントがあるという事でそこに自らのアイデンティティを見出せる。

時として、芸能人などと区別して一般人とカテゴライズされるような人間でもあたかも有名人であるかのような感覚になる事が出来る。


しかし私はどんなにリプライがきたり反応が大きくとも、これらは全て発信者側の一方通行な行為にすぎないなと感じる。
なぜそう思ったかというと、その人の表情や声色などあまりにも情報が少なすぎるし、SNS上ではあくまで発信者と受信者が完全に区別され実際の会話でのように適切な言葉のキャッチボールが交わされる訳ではないからだ。
SNS上での自分の評価は当てにならない。

そんな事を真剣に悩んでしまった当時の私は真面目だなとも思う(笑)
でもSNSの使い方のせいで知らぬ間に相手を傷つけていたとして、もしそれが本当に大切な人との別れの原因にでもなったらと思うと真剣に悩んで良かったなと思う。

それに自分のSNSを様々な立場や境遇の人間が見ていると思うとあまりにも恐ろしいと感じるのだ。
もちろん、このnoteだって。

でもそんな視線を気にしすぎて自己発信をやめてしまう事を肯定しているのではない。

虚栄心によって自己承認欲求を満たすツールとしてではなく、時代の流れに乗る事や周りとのコミュニケーションを取る場所という事を忘れずに画面の向こう側に最大限想像力を働かせて使い方をしたいと今は思っている。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?