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英会話と認知行動療法を一緒にした日〜先生ありがとう〜
苦しい。
それは、今日オンラインで、恩師と英語のレッスンをした直後からだ。
自分がさして学んでないことも、成長していないことも、目の当たりにした。
英語学習のモチベーションのキープが課題ですと答えた時、恩師は英語を使って社会貢献しろと言われた。
つまり、話す機会を持ちながら、社会貢献という目標を持てとのことだった。
その行動が、自分のモチベーションに繋がるとも。
以前病院で、問診も受付も出来ない困っている外国の人を、英語通訳して助けたことで、彼女と友人になったことがある。
それを思い出しながら、最近めっきり英語を話す機会がないことに、まず愕然とした。
今年一番くらい自身が社会貢献しているかも考え、何もかも出来ていなくて、心が落ちた。
大学教授をしている恩師に、無理をお願いしてオンラインレッスンを頼んで3回目。
前回からはもうすでに、一年近く経過しただろうか。
私の英語力は、英検合格後、伸びるどころか、年始の酷い病気発作やらなにやらですっかり落ちていた。
当然、詰め込んだ語彙(ボキャブラリー)もどこかへ飛んでいる。
それでも約一時間半、先生は私のメチャクチャな英語をちょこちょこ訂正しながら、根気強く指導してくださった。
先生は有名人だ。
名前はあえて伏せるが、有名テレビ番組にも出られたし、すごい社会的地位をお持ちだ。
なのに、いつも無料でレッスンをしてくださる。
ただ、中学生の頃から追いかけてきたその背中を掴むどころか、かすめもしないような20数年の日々に、いい加減泣けた。
私の中学の同級生は、一学年330人以上いる。
まあまあのマンモス校である。
そして、全国的に有名な文武両道進学高に進学していくのが約半数。
私はそんな出来すぎる同級生達との競争や、絶え間ない比較に疲れ、違う高校に進んだ。
とにかく英語が、好きだった。
社会科は誰にも負けないくらい自信があった。
けれど中学では、それだけでは芽が出ず、結局高校に入ってからようやく勉強が楽しく感じられるようになった。
学年で一番を取る機会が増えたからだ。
社会科は3科目に、英語も4科目に分かれそれぞれ一番をキープする。
ここに化学と生物が入り、さらに飛躍した。
女子校でもあったし、勉強一色の青春時代を過ごした。
なのに、いま自分が、英語を教えていることを恥じるほど、現実の英語力がひどい。
一口に英語ができると言っても、基準は様々だ。
読める人。書ける人。それだけの人が圧倒的に多い。
話すことが、スキルとしてはかなり難しい。
総合力を試される最終形態だからだと思う。
そして話すことに少しでも自信のあった私は、今日またピノキオの鼻をへし折られた。
心が、本当に折れるとはこのことだ。
けれど、自分でも驚く事がある。
それは、病的な完璧主義者と主治医に言われ続けてきた私が、とにかく恩師の前で不完全を晒していることだ。
奇跡だと思う。
こうであらねばならない、間違えてはいけない。
そんな思いで自分を雁字搦めにしてきたのに、この一時間半はまるでその反対だった。
間違えて間違えて、また、聞き直して間違える。
間違えていいから、会話を途切れさせない。
もうこれは、認知行動療法だ。
実は私は、色々理由があってこのところ過去最大に調子がいい。
自分でも信じられないが、何か自分ができることをしたい、人のためにしたいという気持ちが高まっている。
先生はまた、こうも言われた。
とにかく病気を治すのが、一番だねと。
今いる場所でやっていけば、いいんだよと。
焦る私の心を読まれたように、先生は先生だった。
厳しいけれど優しい。
優しいけれど、厳しい。
勉強は、くるしい。
一生続くものだよと仰り、今私がこの状態でもまだまだ時間はあると言ってくださったように感じた。
病院ボランティア。
してみたいな。
私の頭には、その光が今、僅かながら光りだしている。
もちろん、すぐには難しい。
主治医の許可を取るところからだ。
でも何かしていないと、いい加減人として死んでいきそうな日々。
これはチャンスかもしれない。
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