マワタの夢(3)

 様々な判型の絵本を書棚に並べるのは書店員泣かせのことではありますが、それよりも絵柄やストーリーの個性に合わせて自在に判型を変えることに、著者や出版社の「良い作品を作りたい」という情熱がひしひしと伝わり、彼女はひっそりと胸を熱くさせるのでした。
 彼女は本そのものの存在を愛し、またその本がぎっしりと並べられた書棚も愛しているのです。書店で働くことは彼女の最大限の喜びなのです。
 彼女は出勤してから二時間ほどは商品の品出し、書棚の整理などをして過ごし、その後レジ業務へと移りました。
 彼女はレジ業務も愛していました。バーコードをスキャンして商品を読み取る。ポイントカードの有無の確認。支払い方法の選択、現金であれば金額入力。必要であればブックカバーを掛ける。(とりわけこのブックカバーを掛ける作業を愛しています。本と触れ合える貴重な時間です)
 彼女は自分が接客に向いている人間だとは思っていませんが、決して嫌いではありませんでした。彼女が勤めているのは大型書店であり毎日相当数の客が訪れるわけですが、それでもいわゆる常連客と呼べる人間が何人かはおり、彼らとの何気ない会話も楽しみのひとつなのでした。
 彼女はレジカウンターの中で束の間、今朝のマワタとの夢についてぼんやり思い返していました。何せ夢の中の出来事ですから、忘れないように頭の中で反芻しなくてはなりません。そのため、その時彼女はレジ業務に集中できていなかった、と言わざるを得ません。レジカウンターに向かってくるその人の存在に気付けなかったし、カウンターに本が置かれた一秒後、ようやく彼女は我に返ったのでした。
「いらっしゃいませ」
 慌てて彼女は頭を切り替えました。すかさず置かれていた文庫本三冊を手に取り、バーコードをスキャンします。目の前にいるその人の顔色をチラリと窺います。
 その人は明らかに機嫌が悪そうでした。おざなりにされた、と感じているようでした。
 彼女は申し訳ないと感じつつも、すでに「いらっしゃいませ」と口火を切っていたため、完全に詫びるタイミングを失っていました。しかし、それは完全に彼女の判断ミスでした。そのことにより、状況はさらに悪化したのです。
 その人は何度かお店で見かけたことのある女性でした。七十代後半から八十代前半くらいの高齢女性です。何度か見かけたことはあるものの、その人とは業務に関する会話以外、まともに話したことはありませんでした。例えば天気の話など、当たり障りのない話でさえも。それは彼女に限ったことではありません。他の同僚も同じく、その人とは必要最低限の話しかしたことがありません。以前には果敢にコミュニケーションに挑戦した者もいました。しかし誰一人として手応えを感じた者はいませんでした。

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