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夢 3 少年たちの街 (幻想文学・連作短編)

 ある少年が見た夢の話。
 

 少年は、狭い車の後部座席に座り、小雨のせいで水滴と曇りをつけた窓の外を眺めていた。何も気にかけてくれない無言の運転手の方ばかり見るのは居心地が悪く、流れていく景色の中に見える俯いて歩く人々や、彼らの生活を見守る街灯の灯火の数を数え、気を紛らわせながら、静寂をやり過ごそうとしていた。

 それは、齢十三になった日のことで、もう故郷には帰れないと告げられた日のことでもあった。しかしそれは突然の宣告ではなく、少年は自分の未来がそうであることを、もう何年も前から薄らと悟っていた。

 少年は今日の午前のうちまで過ごしたその土地のことを思い出す。

 少年が生まれたその土地は、そこを住処とする人々以外の出入りはほとんどなく、閉鎖的な場所だった。少年は、大樹の果実から生まれた。果肉と果汁に包まれて廻っていたことが、少年の記憶に残る最初の景色だった。地面に墜落し、木漏れ日を浴びた時、なぜか悲しいと思った。

 機械人形の冷たい腕に抱かれ、ぬるま湯で洗われた後、寝台に寝かされたことも、詳細に覚えている。幼い子供たちに囲まれ、その黒々とした瞳に見つめられ、頬をつつかれたりした。手首に巻かれた布には、簡単な花を模した印が付けられていて、子供たちは互いにその花の名で呼び合っていた。

 少年を寝台に転がした後の機械人形はというと、他の機械人形たちと静かな声で話をしていた。子供たちの声にかき消されてほとんど聞こえなかった。

 少年に見えるのは子供たちの顔と低い天井くらいのもので、機械人形の表情を読み取ることもできなかった。できたとしても、彼らは泣くことも怒ることも笑うこともしないから、全くの無意味だということを、少年はのちに悟ることになる。
 
 少年は他の子供たちと共に、二階建ての木造の建造物で育った。ほとんどの子どもたちは機会人形を母や父のように愛し、機会人形たちもまた、それに応えるように、抱きしめたり、本を読んだりと、子どもたちとの交流の機会を多く持った。

 しかし、少年は例外だった。他のこどもたちが温かく贅沢な料理に涎を垂らしている間、少年は残飯を食い漁るしかなかった。

 機会人形の気を引こうと服の袖を引っ張ってみれば振り払われ、目の前で転んで怪我をして見せても、まるで誰もいないかのように扱われた。他の子供たちも、それを真似した。決して褒められず、怒られず、最低限の食事だけで生きる日々が続いた。

 なぜ自分だけがこのような生活を強いられるのだろうか。心当たりは背中の義翼だけだった。他の子供たちは、色とりどりの美しい翼を持っているのに、少年の背中には、枯れ葉を重ねたような、お世辞にも美しいとは言えない翼擬きが生えているだけで、それを隠すために、歩けるようになった頃に義翼を与えられたのだった。風呂上がりに枯れた翼を乾かす時以外、義翼を外すことを禁じられた。
 
 少年が大樹の根元に寝そべる兄や姉に近づこうとすると、決まって他の子供たちや機会人形に制止され。殴られた。少年は時々、殴られるとわかっていてそうした。殴られる時にしか、自分が存在していることを確かめることができなかったから、そうした。

 いつものように殴られて、身体にあざを作った後、家の裏にある草むらの端で、一匹の蝶々が自由に舞っているのを眺めていた時、一人の機械人形が通りかかった。機械人形は一言、無表情のままに言う。

「あなた、枯れた羽は汚れの証なのよ」
「どうして僕だけ枯れているの?」
「あなたが、大樹様と選ばれなかった人間の混血だからよ。混血なのが悪いのでも、羽が枯れているのが悪いのでもなくて、その原因が、あなたの親が大樹様に逆らったから、であることが悪いのよ」
「僕の親?」
「選ばれた子のくせに身籠ったまま大樹様に身を捧げるなんて、とんでもない行為よ」
「じゃあ、僕のお父さんはどこにいるの?」
「知らないわ。私、まだ新人の下っ端だもの」
「本当に?」
「ええ。本当に。じゃ、私もう行くから。私から聞いたってこと、内緒にしていなさいよ」

 機械人形はそう言って去っていった。少年が機械人形と話をしたのは、その日限りのことだった。少年を見下ろす機械人形の目は冷たかった。それでも、少年は嬉しかった。
 
 その日から、少年は機械人形に話しかけるようになった。何度無視されても、振り払われてもやめなかった。詰んできた花を贈ったり、洗濯の手伝いをしたりもした。機械人形は、相変わらず無表情のままだったが、少々困ったようにため息をつくことはあった。今日もまた、ため息をつかれ、早く部屋に戻りなさいとお叱りを受けた。

 仕方なく部屋に戻る。厳密に言えば、少年は部屋を授けてもらえなかったため、埃っぽい屋根裏部屋で夜を過ごしている。部屋に戻るために階段を上がり二階へ行く。

 兄弟たちの部屋を横切って歩いていると、三番目の部屋から兄が出てきた。いつもなら目が合っても何の反応もなく、いないもとして扱われるのだが、今回は違った。

「俺は選ばれなかったみたいだ。来週からあっちの町で暮らすことになる。悪かったよ。お前のこと無視してさ」

 背中を見せてくる。兄は羽が抜け落ちてしまっていた。兄はそのまま暗い顔をして、少年が上がってきたばかりの階段の方へ去っていく。少年はこんな機会はもうしばらくはないだろうと思って、兄に話しかけた。

「ねえ、ちょっと変わった機械人形を知らない?」
「ああ、知らない。いなくなったんなら、あの小屋の中なんじゃねーの。あそこは機械人形の修理室だ。でも鍵がかかってるかも」
「わかった。行ってみるよ」

 少年は元きた道を戻り、記憶を頼りに人気のない方にある小屋を目指した。

 兄が言う通り、鍵がかかっていた。窓から部屋を覗こうと背伸びをしていると、後ろから声がした。

「大丈夫。ぼくが開けてあげるよ」

 そこには、大きな猫を連れた少年が立っていた。彼が修理室のドアノブを掴んで回すと、鍵がかかっていたはずのその扉はあっさりと開いた。少年は中へ小走りで入った。乱雑に工具が置かれたその狭い部屋の中心に、機械人形は倒れていた。倒れるというより、落ちている、そう少年の目には映った。

 機械人形の首筋に、廃棄、と書かれていた。後ろからゆっくりと近づいてきた猫乗りの少年に問いかける。

「廃棄ってことは、近いうちに破壊されたり、燃やされたりするってこと?」
「薪の代わりにでもなるんじゃないの」
「かわいそうだよ」
「仕方ないよ、身体的な異常ならばまだしも、感情の異常はなかなか直せないからね。無理に修理するより捨てちゃった方が楽だもの」

 猫乗りの少年はそう軽い口調で言って、鍵は君がここを出たら後で勝手に閉まるから心配しなくていいよ、と付け加えて外へ出た。振り返り、また軽い口調で再度付け加える。

「君のせいなんじゃない?」

 揶揄う様子も責める様子もなく、去っていった。少年には、機械人気の故障が自分のせいであるというのが一体どういうことか、理解できなかった。少年は機械人形を引きずって外へ出た。自分の身体より大きな機械人形を移動させるのは、大変だった。

 引きずって歩くたび、人形の髪が乱れ、服が汚れていくのを、可哀想に思った。少年は一目のつかない、木々の隙間に機械人形を隠した。雨に濡れないように、雨合羽を着せてあげた。

 端が破れて捨てられていたものだったが、まだ、使えそうだったからそうした。それから、どうにかして、またこの人形と暮らせないだろうかと、ひたすら悩んだ。しかし、良い案は浮かばなかった。

 兄は翌週、本当に見知らぬ青年に連れられて家を出て行った。それからしばらくして、少年自身も家を出ることになり今に至る。しかし兄と少年の違うところは、二つあった。兄は大樹のすぐそばの町で暮らすことになったのに対して、少年は、完全に故郷を追われたということ。兄は羽が抜け落ちてしまったのに対して、少年の背にはずっと枯れた羽が生えたままであること。

 少年はこの差が何を意味するのか、あるいは意味などないのか、わからなかった。少年には、わからないことが多くあった。それは、ほとんど何も知らないというのと同じことだった。

 車が停まったのは、壁に囲まれた町の入り口だった。少年はドアを開けて降り立った。それから、少しだけ持ってきた荷物が入った鞄を引っ張り出した。少年を出迎えたのは、三人の子供たちだった。そのうちの一人が話しかけてくる。

「君、名前は?」
「名前?花の印のこと?だったら僕はタンポポ」
「違うよ、名前だよ。僕はユウ。あの子はメイカ」

 メイカと呼ばれた少女の方を見ると、背が高く痩せた身体の彼女は、小さく会釈をした。その隣にいたおてんばそうな少女が、「私はリンよ!」と元気よく言った。少年は困った。彼には名前がなかった。

「僕には、名前がないんだ」
「へえ、珍しいね。じゃあ今晩みんなで考えようか」

 ユウはそう言った。背筋の伸びた、頭の良さそうな雰囲気から、子供たちのまとめ役であろうことが窺えた。ユウは少年たちの先頭を歩き始めた。メイカとリンに続き、少年は見知らぬ道を着いて行った。

 入り組んだ階段がひしめく街の奥まで進んでいく。少年は不思議に思った。この町には、大人がいなかった。大人びて見える人間はいたが、せいぜい十六、十七歳程度であるようだった。

 コンクリートの道の端に扉があって、ユウがそれを開くと、地下まで階段が続いていた。暗い階段をみんなで駆け下りていく。冷気の漂う闇の方へと吸い込まれる。

 着いた先は、どこか懐かしい、共同生活のための空間だった。部屋がずらりと並んでいるのも、食卓が、全員で囲めるようにとても大きく作られているのも、前の生活とほとんど同じだった。台所らしき方から良い香りが漂ってきて、少年は思わず大きく息を吸った。

「ちょうど晩御飯ができたところですよ」
「手を洗って、食べましょう」

 丸い眼鏡をかけた、双子らしき男女がそう言った。外から帰ってきた少年たちは手を洗い、それから、皿にに丁寧に盛り付けられた温かい料理を、大きな机に運んだ。

 奥の部屋から小さな子供たちが四人ほど出てきた。少年たちは食卓を囲って、夕食を摂りはじめた。ユウが、口を開いた。

「この街の一番東側には不眠症の妖女が住んでいるんだってさ。それで、あっちの一番南側には無人の古い廃墟があるんだって」

 少年は興味を持った。

「そこへ行ったらどうなるの?」
「わからない。行った人はいないもの」
「そう。じゃあ、どうして知っているの?」
「時々街ですれ違う子がいてね、いつも猫に乗っているんだけどさ」
「その子、知っているかもしれない」
「へえ、どこで知り合ったの?」
「僕の故郷。飄々とした感じの、細い男の子」
「そうなんだ。きっとその子のことで合っているよ。あの子だけなんだよ。外の世界のあらゆること知っているのはさ」

 リンが口を挟む。

「あの子、不思議なのよ!この街ではこうしていくつかの集団に分かれて生活するのが当たり前なのに、どこの集団にも属していないの。家がどこかもわからないわ!ね!ユウ!」
「そうそう。名前も名乗らない。悪い子じゃなさそうなんだけどね、少し変わり者なんだ」
「名前と言えば、この子の名前、決めるんじゃなかったの?」

 メイカが言う。

「うーん、でもそんなにすぐに決められるものじゃないわ。明日にしましょう!それまでいくつかそれぞれで考えておくのよ!」

 リンがそう返したのに対して、他の子供たちも賛成した。

 夕食の後、少年は家の外へ出て、街の明かりを眺めていた。夜が深まっていくのを、理由なく、待って、待った分だけ、ちゃんと夜らしい夜になった。メイカが様子を見に来た。

「もう寝ましょうか」
「僕はもう少しここにいるよ」
「眠らなくたって構わないけれど、起床時間に遅れないでね。おやすみ」
「うん、おやすみ」

 メイカは寝室へと戻っていった。少年は、しばらく座ったまま月を見上げていた。夜風が気持ち良く、今夜が永遠に続くように感じられた。

「この階段街の外へ行ってみたいかい?」

 いつか聞いたあの猫乗りの声がした。少年は後ろに立っているのであろう彼の方を振り返らずに返す。

「どっちでもいいよ」
「外へ行けば、機械人形と暮らせるよ。でも、君は大人になってしまう。全ては、君次第だよ」
「機械人形は、置いてきちゃったじゃないか」
「いいや、そんなことはないよ。着いて来ればわかるさ」
「ユウたちに何て言って出かけたらいいの?」
「何も言わなくていいよ。君の存在なんて、忘れてもらえばいいだけのことだから」
「できるの?」
「できるよ。僕になら」
「でも、忘れられるのって、寂しいよ」
「急にいなくなった人を忘れられない側のことは考えてみたかい?」
「それは……」
「全てを叶えることは難しいんだ。だから、本当に欲しいものを見つけなくちゃ」
「君にも、できないことがあるの?」
「あるよ。でも、機械人形には会わせてあげられる」
「会いたいよ。僕は大人になってしまっても構わない」
「それが君の、本当に欲しいもの、だね。どうして君がそうまでしてあの機械人形に執着するのかわからない。いや、執着させられているのかわからない、の方が正しいかな。まあでも、そういう物語なんだ。君は必ず会いたいと言う物語なんだ」
「どういう意味?」
「作者がちょいと力量不足なせいで君の人格が薄っぺらだってこと。君も何となく気づいてるんでしょう?」
「この世界が不思議な夢だってこと?」
「そう。覚めたら全部終わりだよ」
「でも、僕はやっぱりあの人に会いたいよ」
「そう、じゃあ、連れて行ってあげる。おいで」

 少年の前に巨大な猫が座り込んだ。猫乗りは器用に猫に乗って少年に手を伸ばす。少年はその手を掴んで、猫に乗った。二人の少年を乗せた猫は夜の街を素早く駆けた。足音のしない、振動のない、変な猫だった。時には民家の屋根の上を行った。月が、近いような気がした。

 無人の大きな、和洋折衷の屋敷にたどり着く。重い扉を開いて、中へと足を踏み入れる。冷気の漂う薄暗い空間が広がっている。無人の埃っぽい廃墟を、奥へ奥へと歩いて進む。

 少年は、自分のものでない足音が響いたのを聞いて立ち止まる。廊下の向こうにある階段を誰かが降りてくる。見慣れたあの美しい機械人形だった。

「おかえりなさいませ」

 機械人形が丁寧に一礼する。顔を上げ、僕をまっすぐに見て、ゆっくり、瞬きをする。少年は笑顔になって、機械人形に抱きつく。機械人形はもう、少年を離さなかった。

 少年は振り返る。猫乗りと猫は消えていた。少年は、機械人形に手を引かれ、寝室へと導かれた。狭い部屋に置かれた寝台。その日、初めて少年は布団の上で眠った。機械人形の子守唄に包まれて眠った。


 目が覚める。時計は、午前六時半を指している。明るい子供部屋の寝台にいる少年は欠伸をして、見慣れた白い天井を見つめながら、考える。

 あの、夢の中の彼らは、自分が目覚めたことで消えてしまっただろうか。それとも永遠に、あの閉ざされた街で日々を繰り返すのだろうか。夢の中の自分の魂は、一体誰が引き継いだのだろうか。

 そんなことより、学校へ行かなくちゃ。


つづき

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