「私は彼女の親友だったらしい」第8話

 甲斐田佳代子には秘密がある。

というのが達海の意見だった。それは私も同感だ。

私のことを親友と呼び、達海には形だけの彼氏彼女という関係を望んだ。そうすることで甲斐田さんが何を守っていたのかは分からない。それを調べることが私たちの共通目的だけれど、どうしたらいいのだろう。

 手がかりが何もない状態で達海と別れた。家に帰ってお風呂あがりにスマホを見ると、ラインが来ていた。達海からだ。

クラスのラインでお互いの連絡先は知っているので個人ラインするのは容易い。連絡は来るだろうと思っていたが、思っていたよりもすぐに来た。

『明日から迎えに行くけど、何時に家出る?』

そこはこっちに譲歩してくれるんだ、何時何分に家を出てこいくらいのことを言われるかと思っていた。その場でポチポチと返事を入力する。

『いつも六時四五分に出てるよ』

『わかった、その時間に家に行くから』

別にいいのに、と思いつつ寝る準備をする。歯磨きをしながら考えた。そう言えば達海の家はどこだろう。私の家と反対方向だとしたら朝その分早く起きないといけないよね、それは彼にとってかわいそうだ。明日聞いてみよう、布団に入って目をつぶると眠気はすぐに襲ってきた。

「朝よ、起きなさい」

母さんの声で目が覚めた。ベッドから起き上がる。朝はどうしても元気が出ず、おはようと声をかけられてもろくに返事をすることができない。

 もそもそと朝ご飯のパンを食べ、ジュースで流しこむ。

 テレビをつけると朝のトップニュースになっていた。

『有名進学校で女子生徒が転落死』

昨日からニュースはこの話で持ち切りだ。画面には昨日の生徒たちの様子が映し出されている。生徒たちに話しかけようとするレポーターたちがいた。

『今回の事件についてどう思いますか?』

捕まえられた一人の生徒がカメラの前で答える。

『そうですね……。こんなことになって正直動揺しています……知り合いではないですけど、なんで死んじゃったのかなって思いますね』

 答える女子生徒の横には「一年生」のテロップ。

なるほど、彼女は第三者なのか。自分とは関係ないと思えるからこうして堂々とインタビューなんかに答えちゃうんだろうな。顔は隠してあったけれど声はそのままだ。きっと今日学校に行ったら誰が答えていたのかなんてばれてしまう。先生に怒られるに決まってる。

画面は再びスタジオに切り替わりアナウンサーが続けた。

『学校は全校集会を開き、生徒たちに状況の説明を行いました。学校にはカウンセラーが配置され、生徒たちがいつでも相談できるようにしていきたいとのことです』

『今回の事件では原因究明はもちろん、生徒たちの心のケアが大切になってきますね』

『そうですね、学校側は特に生徒たちの心の状態に意識を向けていきたいということですが……』

 朝は体が思うように動かない。大きく口を開けることすらできなくて、パンをかむというよりはちぎって口の中に押し込んでいく。ジュースで柔らかくして飲み込む。のんびり食べている時間はない。テレビから意識を放して立ち上がる。

結局自分たちが知っている以上の情報はまだ出てこなかった。甲斐田さんがどうして死んだのかということはまだだれにも分からないのだ。それよりも生きている人間を大事にしようとする大人の姿勢が気に入らなかった。 

そうやって冷静に分析している時点で、私も第三者だ。画面に映っている学校に今から行くのだというよりも、頭の中はもうすぐ達海が来てしまうこと、それをまだ母さんに言っていないことがよぎる。

 達海には部屋の番号を教えたが、家まで来るつもりだろうか。母さんに紹介するのも面倒なので、できれば先に外に出ていたい。そのまま、先に学校に行ければいいのに、なんて思っていると

ピーンポーン

と呼び鈴が鳴った。

「誰かしら、こんな朝早くに」

うそだろ、まだ六時四〇分だ。約束した時間よりも早い。

『朝早くからすみません、高橋さんと同じクラスの達海と言います』

インターホン越しに挨拶をされて、母さんは驚いた顔をして振り向いた。

「クラスメイト。今日から一緒に行くことにしたの」

苦々しい顔で答えれば

「そうなの。じゃあ入ってもらいましょう」

とオートロックを解除した。いやいや、入れないでほしい。

「早く準備しないと、彼氏待たせちゃうわよ」

「彼氏じゃない」

「ずいぶんイケメンじゃない。あなたにはもったいないくらいよ」

「だからちがうって」

「はいはい」

数分後、玄関のチャイムが鳴った。

母さんはいそいそと扉を開ける。私はダッシュで通学鞄を取って玄関へ走る。

「急にすみません、初めまして達海幸弘と言います」

「まあ、ご丁寧にどうも。まだうちの子準備してるのよ、よかったら上がって待ってない?」

そんなことをされてはたまったもんではない。

「もう準備できたから行く!」

母さんの横から飛び出して玄関を出た。母さんはにっこりと笑って、

「行ってらっしゃい」

と手を振った。

「行ってきます」

なぜか達海が代わりに挨拶をし、にこやかに手まで振りかえした。

 母さんが家の中に戻ったのを確認し、共用廊下を歩きだすと、

「いいお母さんだな」

達海は優しく言った。

「どうも」

「あんな優しい人から髙橋みたいなのが生まれるんだな」

「どういう意味」

「いやいや」

苦笑いした彼は、リズムよく階段を駆け下りる。私も遅れないようについていった。

マンションの前に自転車をとめた達海は、ここで待ってるからと言ってまたがる。私も自転車置き場から急いで自転車を取り出した。駆け足で達海の元まで走ったので、自転車が壁にごつんと当たって鈍い音がした。

「そんなに急いで来なくてもいいのに」

笑われて、恥ずかしくて視線を逸らした。

「達海こそ、わざわざ来なくてよかったのに。家はどこなの」

「学校までの通り道だからいいんだ、さあ行こう」

ペダルをこぎ出した達海の後を仕方なくついていくことしかできなかった。

 意外にも学校までの道のりは会話がなかった。達海は先にすいすいと自転車をこいでいく。昨日、私のスピードが遅いと言っていたのは、やはり彼のスピードが速いからだったようだ。ぼうっとしていたら置いていかれそうな速さだ。最初のころは懸命についていっていたが、しいやいや、どうして私が頑張って追いつかなければならないんだと思い立った。

達海が勝手に私の家に来て一緒に学校まで行こうと言っているのだから、好きにさせておけばいい。そう考えてしまうと自然に達海との距離は離れていき、猛スピードで進んでいた景色はいつもと同じ速さになった。

キコキコと自分のペースで進んでいたら、横断歩道の前で達海が不満げな顔で待っていた。信号は青になっているのに進もうとする気配がない。私がそこに着いた時には、信号は赤に変わっていた。

「なにしてんだよ」

「なにって、達海が速いんだもん」

「早くねえよ、お前が遅いんだよ」

「別に私は一緒に行きたいわけじゃないから、自分の速さで行ってもいいでしょ」

そこまで言うと、達海は目をぱちくりさせた。

「じゃあ、俺が後ろにいく」

「いやだよ、遅いって文句言うのが見えてる」

「実際遅いじゃないか。今だって信号二回分も待ったぞ」

「別に頼んでないし」

争っていたら勝ち負けがつきそうにない。

 最終的には達海が諦めたようにため息をついて

「分かった、俺が少しゆっくり行くから」

と言った。どうしてそこまでこだわるのかと思ったが、ちらちらと私の方を確認しながら走り出したのでそのままにしておくことにした。

 学校には今日も変わらずテレビ局が来ている。しばらくは注目の的なのだろう。自転車のいいところはスピードを落とさずにその場を離れることができることだ。話しかけようと近づいてくるテレビ局の人間を素通りする。

 自転車置き場で先に自転車を置いた達海が私を待って一緒に教室へ向かう。ここまで来ると反抗するのも面倒くさくて黙ってついていく。

 教室に入ると、おはようとクラスメイト達が挨拶してくれた。おはよう、と返すとみんなは私と達海が一緒にいることに気が付いた。

「今日は珍しい組み合わせだね」

どきりと心臓が鳴る。普段話すことのない私たちだ。しかも甲斐田さんの親友だと思われている私と、元カレという立場の達海。みんなからの興味の視線は痛いほど突き刺さる。

「そうなんだ、さっきそこで会って」

意外にも達海は一緒に来たことを内緒にした。彼の顔を見上げると

「その方が都合いいんだろ?」

と小さな声で言われた。私が頼んだことを実行してくれたようだ。達海がそう言ったことでクラスメイト達も納得したようだ。

「そう言えば昨日来た渡利先生、評判良いらしいよ」

その証拠に話題はすぐに移り変わる。

「私も聞いた。すごく優しいんだって」

へえ、そうなんだと気のない返事をする。それにもかかわらず

「ねえ、今から行ってみようよ」

前田さんが誘ってきた。

「……え、今から?」

「そう今から。まだ朝補習の時間まであるし。ちょっとのぞくだけだって」

この学校では朝に補習というのは名ばかりの通常授業が行われている。朝から頭が働かないので正直辛い。確かにまだ一五分はあるが行って話して間に合うのか分からない。しかし、前田さんは一度そうと決めたら、てこでも動かない。仕方がないので手を引っ張られるままついていくことにした。

 昨日、校長室に向かった道を再び歩く。管理棟の端にある保健室の隣が渡利先生の教室だ。昨日言っていたように、扉はほんのり開いている。今は誰もいないということだろうか。そもそもこんなに早い時間に先生たちがいるのか。朝補習を担当していない先生たちは職員室にいる気配すらないのに。

前田さんは開いている扉の間からそっと部屋の中をのぞく。

「だれもいないみたい」

どうやらお留守のようだ。なら話は早い。もう帰りたい気持ちでいっぱいだった。

「じゃあ、また今度来ようよ」

前田さんの手を引っ張って、教室へと向かおうとすると

「あら、どうして? 入っていいのよ」

ひるがえした私の目の前に先生が立っていた。

「二人ともおはよう。えっと……」

 先生は困ったように私たちの顔を見る。

「一組の前田です」

「前田さんね、ごめんねまだ覚えきれてなくて」

昨日来たばかりだ。覚えていなくて当たり前だろう。私たちだって初めて話したのだ。先生は私に視線を移した。

「あなたは……高橋さんかな?」

「そうです」

 なんと覚えられていた。どうしてだろうと、怪訝な顔をしてしまう。

「初めまして、来てくれてありがとう。お話する?」

 そんな私の表情を読み取っているはずなのに、先生は変わらないにこやかな笑顔で扉を大きく開けた。私はそれがなぜだが恐ろしく思えてしまって

「いえ、朝補習が始まる時間なので今日は失礼します」

前田さんと一緒にその場から立ち去った。

「そう、残念。また今度お話ししましょうね」

先生が背中越しに話しかけてくる。前田さんは振り返って、はあいと呑気な返事をした。一方私は

「いえ、私は話すことないですから」

先生の顔を見ずに答えた。返事の声はもう聞こえなかった。

 ホームルームでは堺先生からマスコミへのインタビューは控えるようにと強くお達しがあった。みんな誰のことを言っているのかわかっているので、先生が教室から出て行った瞬間、

「今朝の見た?」

「見た見た。一年でしょ?」

「今頃怒られてるだろうね」

「でも、テレビ局、結構しつこかったじゃん?」

「わかる、私も歩いてきたら駅からずっとついてこられたもん」

「うわ、きも」

「それだと答えないわけにもいかないよね」

「あの子も結構困ってたと思うよ」

「だとしたらかわいそうかも……」

集まったみんなの話題はインタビューのことで持ちきりだった。しかし、意外にも彼女をかばう人の方が多い。別に当たり障りのないことしか話していないし、いいではないかという意味らしい。確かに彼女は部外者だ。そこまでして話を聞きたいのかとマスコミの恐ろしさを批判する声の方が多かった。

 教室の隅っこで井上くんがそんな話をにやにやしながら見ているが、気にしないでおく。

帰りのホームルームでも、何か困ったことがあったら渡利先生に相談するように言われた。まるで広告のように先生の名前を聞く。

 渡利先生と話すことなんて何もない。心に抱えたものなんてないし、そんなに病んでもいない。それなのに、

「高橋さん、こんにちは」

先生はそれからなぜかよく私の前に現れた。

「こんにちは」

「元気?」

「……ええ」

というかここは女子トイレの前なのだが。先生もしかして私がトイレから出てくるの待ってた?

「あの、何か用ですか?」

「ん? そんなことないよ」

「でも、最近よく会いますよね」

「そう? 結構学校中うろうろしていることが多いからかもね」

気のせいではない。今朝は昇降口のところで会ったし、昨日は廊下と教室の二回。一昨日の帰りは校門だったし、その前は階段の踊り場だった。たまたまというには偶然が過ぎる。

「そんなに心配してもらわなくても大丈夫なんで」

ぺこりと頭を下げて先生の前を通った。

「親友だったんでしょ?」

やっぱり知っているのか。立ち止まって先生の顔を見る。

「やだなあ、そんな怖い目で見ないでよ」

「親友だったから私が心配なんですか?」

「……逆かな」

先生は視線を私から外して、少し目を伏せた。その姿が大人っぽくて、お姉さんのようだ。いや、実際にお姉さんなんだけれど。

「逆?」

「落ち込んでいてもおかしくないのに、高橋さんが元気すぎるから」

「それは、私が空元気だって言いたいんです?」

「違うわ」

「じゃあなんですか?」

「……あなたが、元気すぎるから怪しいのよ」

この人もか。

「怪しい?」

「普通、友達が自殺したらショックを受けるでしょ? それも親友だし」

「ショックを受けていない私は異常なんですか」

思わず出た言葉に自分でもびっくりする。そうか、私は異常なのかもしれないと思うと、なぜかすとんと腑に落ちた。親友でなくても同級生ではある。なんの感情も抱かないというのは正常ではないのだ。

しかし、それは失言だったのだろう。先生はさっと顔色を変えて

「ごめん、今の言い方は訂正するわ」

あなたは異常じゃないわよ、大丈夫

そう言いながら先生は優しく私の頭を撫でた。

 どうして撫でられたのか分からなかった。先生が去っていく背中を見つめながら、少し乱れてしまった髪の毛を手のひらで直した。


「もう渡利先生とは話したか?」

 帰り際、達海が聞いてきた。私たちは教室では別々に出て、こうして駐輪場で落ち合うことにしている。そこまでして一緒に帰る必要があるのかと思うが、私がいくらのんびり行っても早く行っても彼は必ずここにいる。

しばらくは事件の影響で部活動も休みなので、再開すればサッカー部の彼は待つことはなくなるのだろうが。

「話したっていうか、廊下とかでちょっと」

「じゃあ、部屋に行ったことはないわけか」

頷いて答える。

「達海は?」

「俺もない。でもなぜか教室の前とかでよく会うんだよな」

「わかる」

「やっぱり? でも、部屋に来いとはか言われないんだよな」

「彼氏だってバレてるだろうから、見張ってるんじゃないの?」

「ストーカーだな」

「自分もでしょ」

「いやいや、俺は正当だから」

「は、どうだか」

最初のころはろくに会話をしていなかった私たちだったが、最近は雑談程度なら話をするようになった。

毎朝決まった時間に家に来ることも、教室では少しなら話すことも、そして当たり前のように帰るようになったことも、慣れてしまえばなんてことない。

 今日も自転車に乗って帰ろうとしていた時だった。

「やっぱり二人は付き合ってるのね」

渡利先生が校門の陰から出てきた。登場の仕方が悪者のようで、思わず笑い出しそうになったが、こらえた。

「なんで……そんなところにいるんですか」

問いかけると、先生はわかってるでしょと苦笑して

「あなたたちのことずっと見てたのよ」

と近づいてきた。

「やっぱりストーカーだな」

「私はこれが仕事だから。ストーカーと一緒にしないでほしいな」

それよりも、と続ける。

「二人ともこれから時間ある? よかったらお茶しない?」

ナンパの常套句を言われて、私たちは顔を見合わせた。

 先生について校舎に戻っていく。生徒たちの帰った校舎は昼間とは想像できないくらい静かで夕日が射し込んだ誰もいない廊下はほこりがキラキラと輝いている。

窓から入る風は心地よい。ひんやりとした空気で別世界に迷いこんだような気がする。

「ごめんね、帰るところだったのに」

「大丈夫です。帰ってもすることないんで」

「そっか、部活も外出もできないもんね」

今は勝手な外出も禁止されている。学校から帰った後は家に居ろということらしい。生徒たちが勝手に出歩いて危険な目に会うことを恐れているのだろう。

 先生は私たちを自分の部屋に招いた。

「どうぞ、入って」

のぞいたことしかなった部屋に初めて足を踏み入れる。大きな窓は開け放たれていて清潔感のある白いレースのカーテンが揺れていた。

大きなソファが二つ、テーブルをはさんでおかれていて、コーヒーのいい匂いがした。こんな場所が学校の中にあるなんて知らなかった。教室とは全く違う空間が広がっている。どちらかというと保健室に似ている雰囲気だ。

「そこに座って」

言われたとおりにソファに座と思っていたよりもふかふかだったので驚いた。

「座り心地いいでしょ? 昔校長室で使っていたのを貰ってきたの」

先生はコーヒーメーカーを動かしながら言う。

「コーヒー飲む? それともジュースの方がいいかな?」

「いえ、お気遣いなく」

正直、コーヒーは苦くて飲めない。かといってジュースはなんだか子どもっぽくていやだ。

「学生は黙って気遣われていればいいのよ」

出されたのはまさかの緑茶だった。確かにこれならコーヒーが飲めなくても大丈夫だし、ジュースよりも大人っぽい。しかし、それに手を伸ばすことはない。達海も同じようにじっと出されたものを睨んでいる。警戒心があるのは同じらしい。

「いいのよ、飲んで」

「私たちお茶しに来たわけじゃないので」

「それはそれは戦闘態勢だこと」

渡利先生は向かいに腰かけると、自分で淹れた緑茶を一口飲んで、いい茶葉使ってるからおいしいのになあと呟いた。

「あなたたちにずっと話を聞きたいと思っていたの」

いよいよ来たかと身構える。

 先生は湯呑みをテーブルにおき、手を組み、そこに顎をのせてまっすぐ私たちを見つめた。

しばらく沈黙を作ったあと、先生はゆっくりと口を開いた。

「……甲斐田佳代子さんが亡くなった原因、知ってる?」

冷たい声だった。

「知りません」

私は答える。達海も隣で無言で頷いている。先生は眉毛だけをピクリと動かした。

「本当に知らないの? あなたたちなら知ってるかと思ってた」

「俺も、知りたいって思ってるんです。でも、誰も教えてくれなくて」

「高橋さんは甲斐田さんの遺書を読んだのよね?」

「読みましたけど、一部だけですし、私が読んだ部分だけでは何もわからなかったです」

「そっか……警察も教えてくれないもんね」

どうしてそこまで知っているのだろうと思うが、とりあえず頷く。

「本当に知らないのよね? 心当たりもない? 」

「はい」

「……だ、そうよ。残念ね」

先生は開け放たれた窓に向かって叫んだ。何をしているのかと思ったが、次の瞬間、窓からひょこっと男が出てきた。

「つまんねえな」

男は窓を乗り越えて部屋の中に入っていた。一体誰だ、不審者か。私はあんぐりと口を開けて男を見つめる。

「ちょっと、土足やめて」

「細けえな」

先生が眉をひそめると男はようやく靴を脱いだ。背が高く高級そうなスーツを着てはいるが、髪はぼさぼさのおじさんだ。髭が生えていないだけましか。

「大丈夫、怪しい人ではないから。変な人ではあるけど」

「おいおい、その言い方は失礼だろ。幼馴染にむかって」

「なりたくて幼馴染になっているわけではないからね」

これが先生の本性なのか。ずいぶんずけずけと言ってのける。

「おい、おまえらこの女には気をつけろよ」

男は私たちを見て、言い放つ。

「あなたには言われたくないわ。二人ともこの男には気を付けてね」

そんなこと言われても、今の私たちにはどちらも怪しい人にしか見えない。

というか、

「いや、そもそもこの人誰なんですか」

「そういや自己紹介がまだだったな」

 男は胸ポケットから名刺を二枚取り出し、手渡した。

「新聞……」

全国紙の新聞の名前が載っていた。彼はどうやら記者らしい。名前は村瀬大翔。

「村瀬さん……?」

「おう、よろしくな」

「新聞記者……」

「まだ、端くれだけどな。駆け回って記事を書いているよ」

「学校としてはそういうのに答えてはいけないっていう決まりなんだけどね」

渡利先生は肩をすくめる。村瀬さんはその視線を感じると、

「すまんな。かなり無理言ってるのはわかってるよ」

「それ相応の報酬はもらいたいところだね」

「わかってる」

「は、どうだか」

二人は相当仲が良いようだ。村瀬さんは渡利先生の隣にどかっと座る。足を組んでたばこを取り出した。

「やめて、禁煙」

先生がたばこを奪い取る。

舌打ちをした村瀬さんは、まあいいやと呟いて私たちを見た。

「で、どうなんだよ」

「何がです」

「甲斐田佳代子についてだよ。何か知ってることがあれば教えてくれ」

「何もありません」

今まで黙っていた達海が急に立ち上がった。

「俺たち帰ります」

鞄を持ち、さっさと扉の方へ向かう。

「おいおい、まだお茶も飲んでないだろう」

「怪しい奴からは飲みたくないんで」

「そっか。まあ、それもそうだな」

 村瀬さんは何かに納得したかのように笑った。

達海は部屋を出る。私もその後を続いて追いかけた。

「また、会おうな」

去り際、村瀬さんが言ったが

「もう、会う気はありません」

ぴしゃりと言い切った達海によって勢いよく扉は閉められた。


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