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インスタの「○○な女がいい女」という投稿たち

インスタやツイッターを見ていると、「こんな女がいい女」だとか、「男を落とすための七か条」だとか、「彼氏にすべきならこんな男」みたいな投稿をよく見かける。

こういう投稿は結構思考が左右される感じがするので、できるだけ見ないようにしている。
なんとなく、嫌な感じがする。

この嫌な感じは何か?というのを考えてみた。

言っていることは的を射ていることも多いのだが、それがより悪いのではないか、という結論になった。
たとえば、「待てる女はいい女」という言葉があったとして、そりゃあいい女は待てることもあるだろう、でももちろん待たない方がいいこともある。
そう、文脈がなさすぎるのだ。

小説を読んでいて、「ここで待てる○○はいい女だった」という記述が出てきても、こんな不安にはならないと思う。
なぜならば、文脈があるからだ。

文脈がない文章はもちろんあるときは真実だし、あるときは嘘だ。
変に真実なときもあるから、惑わされる子が多いと思う。

あなたの状況において、待った方がいいか悪いかは、状況を分かっている人にしか判断できない。
文脈を知らずに断言する言葉に惑わされて、行動を決定してしまうのは思考の停止だ。

でも、思考の停止は楽でもある。
これが揺るがぬ真実だと渡された方が人間は安心する。

そういう人間の心理を巧みに突き、「あ、間違えたかな、投稿見に行こう」という風に誘導しているような気がする。

ある状況でどうすべきかはその状況にいる人にしか判断できない。
それなのに、「なんだか真実っぽく見える言葉」がそこらへんにうろうろしているものだかが、それに頼りそうになってしまうだろう。
頼った結果、不安は決してなくならないだろう。
不安だからまた、頼るだろう。

こういう悪循環ができているのではないかな、と思った。

SNSは便利だし、私もよく使うし、お世話になっている。
でも思考の停止を促す投稿や、不安をあおるものも多い。

人生はとことん「ケースバイケース」だ。
一律に語れることなんてほぼない。

だからこそ、友達に状況含めてすべてを説明して相談するし、いっぱい悩むんだろう。
それがあるべき姿な気がする。
楽だから、と断言している言葉に頼るのはすごく危険だと思う。

絶対的心理、みたいに言っているものは遅効性の毒のようなものかもしれない、と思った。

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