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見返り欲しさに真面目を演じる人(再投稿)

それは、「本来なら自分は誰からも愛されるはず」という思考。
視線の先は相手ではなく、あくまで自分という人。

溜め込んでいる承認欲求を満たしたいがために真面目を演じる人は多いように思えます。
そして、これは以前のわたしでもあります。

潜在意識だから、自覚はもちろんゼロ。
それゆえ、自分は正しいと信じ込み、相手の時間やエネルギーを奪います。

こうすれば、こう言えば相手に気にかけてもらえるだろう。(嫌われないだろう)
言い換えれば、相手が持つ行動選択の自由を奪おうとしているということ。

そう、気持ちは与えてるつもりでも、行為としては奪うことになります。

さらに、このような人は時間軸もズレています。焦点は現在ではなく、過去や未来。
つまり、コントロールできないものにこだわります。

わたしたちが生きる世界は「いま」です。
未来に備えて必要なことをいま行い、その事実を過去という記憶に残す。

相手に対して、自分とは違うことをあらかじめ受け入れ、互いがメリットとなるであろうものを共有する。ここが大事に思えます。

そのような前提がない人は、「いまの自分」をコントロールせず、勝手に相手の気持ちを見積もり、それに合わせて真面目に振る舞う。
当然ですが、空振りに終わります。

結局、自分の親代わりを求めているのです。
養育責任がない人に対するないものねだりを繰り返すだけ心の疲労感は増し、演技に磨きをかけるという努力を積み重ねる。
(軸がしっかりしてる人にはすぐバレます)

わたし自身、これは無駄な努力とハッキリ気づいたのは数ヶ月前です。
本当の自分は何者か?自分は何を目的に生きたいのか?そんな自問自答を繰り返し行った結果、ようやく自分軸を定めました。
(自分に相応しい相手を尊重した上で高め合い、豊かな人生を創るために生きること)

わたしは最近まで真面目という言葉が嫌いでした。その理由は「視野が狭いから」でしたが、やっとその本質が少し見えるようになりました。

真面目なのは元々の性質ですが、与えられた(やりたい)物事には最後までやるつもりで、必要に応じて勢い付けたり、敢えて手を抜いてみたりといった工夫や努力を続けること。

これは長所。
だから、そんな自分を好きでいていい。
自信を持ってそう言えます。

▲今日感じたこと
見返りが欲しいと思うのは本能的な欲求です。
無理に抑えても抑えきれるものではありません。
その欲求はあるものと認めた上で、上手に付き合っていくこと。

人に見返りを求めるより、自分のことは自分でお返しする。
そこにたまたま人から見返りが来たら感謝すること。
ここは常に持ち続けたいです。

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