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否定しない→否定しなくてもいい

長年繰り返した自己否定。
完全克服とまでは行かなくても、9割ほどの感覚で否定しなくなりました。

振り返って気づいたのは、
わたし自身、自分を否定しないようにという意識から、しなくてもいいという安心感を既に得たこと。

生きていればいろいろあるので、否定のスイッチが入ることはあります。
ただ、時間が経って落ち着いた状態になってから自分との対話をしていくうちに、
「わざわざそうしなくていい」と、納得できるレベルで判断します。

否定したところで状況は良くならない。
でも、起きた直後はショックで心が痛い。
「こう思うのは時間の無駄」と思考をフル稼働させて感情をコントロールする。

だけど、それは否定を否定で被せる行為。
最近になって、これは自分の心を守るにおいてあまり良くないなと気づきました。

否定は悪というより、これまでの人生経験から来る発作である。

「だから、そうなるのは当たり前」
こう受け止めた上で、痛みをケアする。
(わたしの場合、ひとり時間を作って休む・読書するなど)
これが、否定しなくてもいいに至るまでのプロセスです。

あと、大きく変わったこととして、
否定の矛先が自分の存在価値→特定の部分に反応する現在の自分

あくまでそのときの自分。
こうすることで、痛みを悪化させないようにしています。

回復できたときは、冷静に当時の自分を評価できるだけでなく、「これは記事のネタになる」と判断できたりもする。

痛いけどそのおかげで、インプットとアウトプットを回し続けられます。

わたしのnoteも、自分の人生経験や、思考・感情の動きをこのように言語化して発信しています。

自分の指先から解放する言葉たちを、画面の向こうにいる誰かの元に届ける。
その言葉たちが、生きるにおいての参考に。

直接頼まれてるわけじゃないけど、必要とするであろう誰かの役に立てたら、個人的にはとても嬉しいです。

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