同情が軽蔑に変わるとき
哀れな自分への同情を求める試し行動を繰り返しては相手の心を弄ぶ。
そういった側面が見透かされたとき、
これまでの温厚な態度から徐々に冷めた態度を取るようになります。
以前のわたしも、試し行動の常習犯でした。
もちろん無意識。だから気づきにくかったのですが、
心理学やカウンセリングなどで人生を棚卸ししたことや、noteで毎日思考をアウトプットさせたことも重なり、自分の中にある善悪の全容を把握。
そして理解に至りました。
なぜ、試し行動をやめられなかったのか?
①不幸話を最後まで聞いてもらえた成功体験
②優しくしてくれる(くれそうな)人への期待
③不安を手っ取り早く消化させるため
まとめると、現実を忘れられる快楽への欲求が喉から手が出るほど激しいものだったということ。
既に大人である自分の感情処理を無関係の他人に肩代わりさせる。
これは、対等とは程遠い上下の関係。
わたしはこうして相手の時間を奪ったのです。
離れる人は日頃から時間の使い方を真剣に考えています。
加えて、自分に付き合ってくれる相手への感謝の気持ちもあります。
ですが、当時のわたしはそれがありません。
なぜなら、とにかくヒマだから。
無職期間もそう、仕事をしても終わればダラダラ過ごす。
人と関わる時間とひとりの時間のバランスは大きく傾き、どちらにいても自分の世界に閉じこもってはグルグルと自分で作った暗黒世界に入り浸りました。
結局は、自分で自分の時間を奪った。
だから他人にも同じことが平気でできた。
ということです。
時間を奪われた相手は、情けをかける気もなくします。
そして、最悪は軽蔑へと変わります。
そこまでなるのか?・・
時間を奪われただけでなく、それ以上に素直な気持ちを無視され利用までされたこと。
だから、途中で冷めた態度を取るのは当然のこと。我慢の限界が来たらそうなります。
落ち込むときは誰だって同情が欲しいでしょう。だけど、こういうときこそ自分の機嫌は自分で取る。
それが難しいなら、解決する約束を交わす前提で愚痴を聞いてもらう。
これが、現在のわたしが考える対等な人間関係です。
優しい人もひとりの人間。
完璧な存在ではありません。
互いに歩み寄ること。これは必須の対人マナーと言えるでしょう。
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