平野琢也

編集者

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化粧の時間

<化粧の時間> 私は近づけるだろうか、あの人に 私は変われるだろうか、願う姿に 電車の中の化粧の時間 鏡の前で過ごす時間の中から 今日の私が生まれてくる 目元口元小鼻の陰 光の中で私が仕上がる 誰かに見てほしわけではない 私が見たいのだ 新しく輝く自分に脱皮するのを

    • 夢の中の音楽

      <夢の中の音楽> 夢の中で音楽が鳴り 目覚めたときには口ずさんでいた 歌詞はなかった 夢の中の音楽に言葉はなかったから 心が軽くなる音だけは確かだった 何かいいことがあった 今日は楽しいことが待っている 音楽はそう言っているらしかった 夢はどこから湧いてくるのだろう 散歩しながらついあの人のことを思い出す それと似ている夢の中の音楽

      • 水の匂い

        <水の匂い> 庭に打ち水をするとトンボが寄ってくる 小さな水溜まりを探るように近づいてくる 水の匂いがするのだろうか 炎暑の中に陽炎が立つのだろうか お向かいでは屋根の修理 お隣では焼け跡を整地して売りに出すらしい 朝顔の垂れた葉を揺らして風が来る 風が水を孕むのか 草いきれの中に水の影が潜むのか 掘り起こす土の中に立ち上がる祖霊の匂い 水の匂いの中にそれを嗅ぎ分けて 遠い空からトンボがやってくる

        • そのとき

          <そのとき> 哀しいと思う そのとき 勇気を与えてくれる あなた 見ていてください そう言える勇気を つらいと思う そのとき 笑ってくれる あなた もう一度身を起こす そのための優しさ 炎が消える そのとき 目を伏せる あなた 私が自分らしさを取り戻す その単純な思い込みが 私の明日を育ててくれる

          若い吐息

          <若い吐息> 孤独の波にさらわれて 燐のように青白いわたくしの体は 夜の波間に消えまた現る 高波は来たってその波頭にわたくしを乗せ 遠い渚の砂漠へとなげうつ 流砂はうごめきわたくしの体をのんでいく 砂塵は起って竜巻が踊り 残されたわたくしの人差し指を掠めていく 天は高く わたくしの体は方舟のごとく舞いのぼる 何思うなく白い体は 星の降るように落下 人型に埋もれたわたくしの体に 雪は降り 霏霏として舞い 楚々として降り積む わたくしの雪 凍えていく心 消えて行く若い吐息

          ナガサキ1979

          <ナガサキ1979> 千羽の鶴に願いを込めて 万羽の鶴が集まった 涙の糸、汗の糸につながれて 怒りの網に放たれる 飛べぬ鶴 無力な鶴 精神主義は愚かなことだと言い放つ愚か者 同情が世界を救うと信じる素朴な強さに根差す 静かな行進 ナガサキの夏

          曲がったキュウリ

          <曲がったキュウリ> 曲がったキュウリ 染みの出たリンゴ 少しいびつなイチゴ きれいな箱詰めに合わないものは 人手ではねて脇に置く 農家がどんなに手間をかけても 規格外は生まれ続ける 誰が規格外を決めたのだ 安く運んで高値で売るために 流通業者が決めたのだ 買いたい人が望むからと理由をつけて 管理しやすい仕組みを作る まっすぐなキュウリは旨そうに見える 見た目で選び続けた結果 高値の規格品と廃棄する規格外を生み出した 作る、運ぶ、買う 人の間をモノが動く 動く仕組

          曲がったキュウリ

          夏の裏側

          <夏の裏側> となりに妻の死体がある 眠っているだけなのはわかっているが 口を少し開けて、朝の薄闇の中で顔色が良くない 散歩に出ると蝉の死骸に出会う なぜみんな仰向けなのか 空中に文字を書くように脚を動かすものもいる 干からびたクワガタやミミズには赤い蟻が群がっている 緑が隙間なく繁茂し息苦しいほどなのに 夏が来るたびに死が身近になる いつまでも終わらない戦争や盂蘭盆会のせいではない 植物が地表を覆い隠して伸びていく夏は 裏側に死の影を宿している

          小さな誘惑

          <小さな誘惑> すうと引かれた一本の線の緊張 とがった鉛筆で心を突き刺す 叫び声は力いっぱい 借り物の日常は あついあついと繰り返す あの人死んだ、あの人殺せ 突然の沈黙 テーブルの上にナイフがある 死にたくない

          小さな誘惑

          橋の下

          <橋の下> 橋の下をたくさんの水が流れたよ いろんなゴミや泥と一緒に 青い大根の葉っぱも流れたよ 村の娘が洗った大根なんだ ふくらはぎを見せて大根を洗ったよ 娘は嫁に行ったよ 嫁に行って泣いたよ 板の間の寒さに泣いたよ 橋の下をたくさんの水が流れたよ 雨で濁った水と一緒に 鼻たれ小僧の麦わらも流れた 雨上がりが嬉しくて 走って転んで流れたんだ 小僧は泣いたよ 膝の傷より 買ってもらった麦わらを泣いたよ 橋の下をたくさんの水が流れたよ きらきら光る魚と一緒に 首に編んだ

          ひとり暮らし

          <ひとり暮らし> ひとり五島列島の孤島に暮らす かつての島民は血縁を頼って島を離れ 7年前に故郷に舞い戻った男ひとりが残った 幾種類もの野菜を作るのが日課 誰もいなくなった校庭の夏草を刈るのが仕事 台風に備えて防風林を作ろうか 自分ひとりの畑のために 毎日毎年工夫を凝らして実験を繰り返す コメや缶詰は三日に一度、定期船が運んでくれる 本土に残した妻にはメールと電話 暮らしは楽しいですか 淋しくはないですか 辛くはないですか 他人は遠くから勝手に声をかけてくるが ひとり

          ひとり暮らし

          料理の写真

          <料理の写真> なぜこんなにたくさんの料理の写真を撮るのだろう 決して食材は撮らず 誰かが作った料理がいつも皿に乗っている 悲しい嬉しいという形容詞ではもの足りない 料理のきれいな写真なら だれも文句のつけようがない 私は満足と料理の写真に思いを込める 友人知人からは賞賛も批判もない おいしそうねと一言だけ届く 写真を撮った私への承認だけが届く

          料理の写真

          悪い夜

          <悪い夜> 悪い夜を選んでしまった 静かなのはいいがやけに明るい 焼け跡を歩くとノボロギクが足に絡む ここに道があったはずだが 踏み跡が多くて見分けがつかない 二人で行くはずが一人を置いてきてしまった 遠い記憶は薄闇に溺れて 何を探しにきたのか忘れそうだ 年をとっても賢くならない 見聞きしたことは多いがどれが役に立つのか もう行く手は長くはないのに 目の前には新しいことばかり 自分の記憶が人類の記憶の一部だなんて信じられない どこを目指して行くのだったか それさえあや

          好戦の民

          <好戦の民> 人はなぜ戦闘が好きなのだろう 人馬入り乱れる場面では なぜ緊張し心踊るのだろう 刀や弓で人が薙ぎ倒され 火と油で焼き殺され 屍を踏んで軍馬が走る 馬上から勇者が敵を刺す その顔は笑っているのか、蒼白なのか 中世の騎馬隊も 戦国の破城隊も優れた軍略家も 指揮官の下で目覚ましい働きをする それを眺める私たちは なぜ戦闘を好むのだろう 戦地の民衆が逃げ惑う光景に胸が潰れる一方で 軍事作戦の出来不出来を楽しんでいないだろうか 他人の憎しみ合いを高台から見下ろしていな

          音楽が届く

          <音楽が届く> バッハやモーツァルトを聴いていると なぜこの世に音楽があるのかを思う ピアノやチェロが私のためにこの世を整えてくれる それが悲しいこともある それが嬉しいこともある これからどこに行こうと思うこともある 音楽家はどこから音楽をもらってくるのだろう この世にある音を組み合わせるだけなのに それが音楽家の発明であるはずはない 音楽はすべて懐かしいのだから 音楽はどこまで響くのだろう 聞くのは人間だけだろうか 庭の木々も地中の虫もきっと聞いている 新しい風、

          音楽が届く

          懐かしい音楽

          <懐かしい音楽> 音楽はすぐに消える 音の記憶も残らない なのに 何かに触れたという思いは残る 残った思いは音楽のように響き続ける 太鼓も人の声もラッパの音も 遠い思い出のようによみがえり 私は思わず目をつぶる あるいは 風を見ようと窓を向く 音楽が連れてくる色や形や光景は 私の中にある懐かしいものばかり なのに 新しい風のように吹き抜けて 音楽は今日生まれたのだと告げている

          懐かしい音楽