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『情熱に突き動かされた先に、残酷な死があるとしても』

仰々しいタイトルになってしまった。

毎年6月25日にになると思い出す出来事がある。
19年前に一人の男性が中国籍の男性に殺害された。牛刀で胸を刺され、失血死した。

享年59歳。中国と日本の架け橋となるべく、静岡に日本語学校を1990年設立。

私は彼を直接知るわけではない。ひょんなことからご家族の方と知り合い、親しくさせていただいている。

人種や言語の壁を超えていこう、乗り越えていこうとした情熱と強い意志。その果てに、教え子である学生に「相談したいことがある」と呼び出され、ロビーで牛刀で襲われる。自分に何が起こったのか、きっと驚きの中、最期を迎えられたのだろう。それを思うだけで、無念で仕方がない。
 自らの夢を全速力で駆け抜けた先にあった、思いもよらぬ結果をどう感じたのか、私達に知るすべはない。ただ、無念である。


彼を想う時、いつも思い出す話がある。一つは手塚治虫『火の鳥(異形編)』に出てくる八百比丘尼である。


TEZUKA OSAMU OFFICIALより(画面にてリンクあり)


そして、ジョジョの奇妙な冒険に登場する「ツェペリ」の運命である。
波紋という厳しい修行の世界に入っていき、そこに自分を見出したツェペリは人生の全てを捧げる覚悟を師のトンペティに告げる。師トンペティはツェペリが修行を続けたその先にある運命を告げる。

「古からの死臭ただよう密室で...幼な子が門をひらく時! 鎖でつながれた若き獅子を未来へとき放つため! おのが自身はその傷を燃やし! しかるのちに残酷な死を迎えるであろう」


もし、その道を選んだ先にある運命が残酷なものであったと知った時、人はどう動くのだろうか。

答えは人ぞれぞれだろうし、自分の中にもしっかりとした答えがあるわけではない。むしろ、その答えは揺れ動くし、今も自問している。


もし、彼が日本語学校設立の先にある時分の運命を知っていたら。あのロビーの出来事を知るすべがあったとしたら。

彼はきっと、微笑んでそのまま進んでいったんじゃないかと思っている。もちろん、彼に聞いたわけじゃないし、本当のところはわからない。

その運命があったとして、彼は別の道を選んだだろうか。
そもそも、止むにやまれぬ情熱があったのだ。その炎で人生が突き動かされていったはずだ。

情熱の先に、過酷な運命があったとしても。

毎年、この想いに肩を後ろからそっと叩かれる。キングダムを観ながらカウチポテトをしている私にも、そうやって振り返る時が来る。

まだ、情熱の火は消えない。


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