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評論風フィクション「学校教育史 近未来編」(6)新自由主義が生んだ究極のシナリオ 第2章 課題の克服

第2章 学校はいかに課題を克服したか

(1)SES(家庭の社会経済的背景)の分厚い壁の克服

学校概念の見通しと制度改革

かつて高度経済成長期に存在した「今我慢すれば、将来いいことがある」という規範は、バブルの崩壊などによって一旦は失われたが、学校システムの思い切った改革によって、子どもたちは再び努力することに意義を感じるようになった。
それは目標や夢という言葉が重荷にさえなっていた2000年代前半までの危機を乗り越えた明らかな証でもある。
われわれは今、古い因習や非効率的なシステムと決別し、現在のほぼ理想的とも思える教育を手にした。

この章では、それがどのように実現されていったかについて、丁寧に見ていくことにする。

SES(家庭の社会経済的背景)による分断からの脱却

2000年代中ごろまでは、家庭の社会経済的背景(Socio-Economic Status 以下、SES)が子どもたちの将来に大きな影響を与えていた。
すなわち、高SES層(富裕層)の多くは自分の子を早くから私立学校に進学させ、公立学校(大学を含む)には、中SES層(一般層)や低SES層(貧困層)の子どもが入学する傾向が年々強まっていた。

特に公立中学校においては、いじめをはじめとする深刻な問題を多く抱えており、富裕層の家庭においては遅くとも小学4年生ごろ(当時)から私立中学校入試に向けて学習塾通いなどの準備を始め、公立中学校進学を避けるのが通例となっていた。
当然のことながら、経済的理由でそうした準備ができない家庭(低SES層)の子どもとの学力格差は拡大していった。
そうした中にあっても、日本の教師は子どもに対する献身的なケアによって格差の拡大を最小限にとどめようと奮闘を続けていた。
それは世界の先進国の中でも例のない功績であると評価していいだろう。

しかし、そうした献身的な努力にも限界がある。
格差の拡大は留まることを知らず、教師の努力によってある程度抑制はされたものの、格差を縮めるまでには至らなかった。
それは富裕層による自分たちの子どもへの教育投資が継続・拡大していったのに対して、低SES層の貧困化は年を追うごとに深刻化し、教師の「献身」だけではどうすることもできない状況を迎えたからである。

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現代の学校教育にはさまざまな課題が、長い間解決されないままになっています。今すぐにでも本気で改革を進めなければ、この作品にあるような学校が…

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