見出し画像

「先生はいいぞ」今も残る親父の言葉

文学部に行きたかった。
高校に入るか入らないかくらいには、すでに考えていた。

「文学部」という名前の響きが良かった。
なんだか、ぼやっとした語感に魅かれた。
文学部というのは本を読んでいればいいところだと思っていた。
「俺のためにあるようなものじゃないか」と思った。

高校3年生になった。
サラリーマンの親父に「文学部に行きたい」と初めて告げた。
直後、日頃温和な親父が烈火のごとく怒った。
「文学部なんか出ても、なんの役にも立たん。ああいうとこは女の子がいくところだ」
いまなら、セクハラ、パワハラ間違いない暴言である。
私はそれでも希望を変えるつもりはまったくなかった。
しかし、親父を納得させたほうがいいに決まっている。
私は、家から通える大学には行きたくなかった(とにかく自由になりたかった)ので、このままでは仕送りの額にも影響するかもしれない。

親父を説得するには、実利に合う理屈が必要だ。
そこで私は言った。
「文学部は、就職先がないって言われるけど、国語の教員免許が取れる」
と親父に伝えた。
すると、それまでの仏頂面が一変し、親父が大きな声で嬉しそうに答えた。

「先生になるのか! 先生はいいぞ。
生徒にとってはいくつになっても先生は先生だ。辞めてからも「先生、先生」って慕ってくれる。うらやましい限りだ。俺たちサラリーマンは辞めたらそれで終わりだからな。いやあ、先生か……。人生やり直せるなら俺もやりたいくらいだ」

親父は、豹変したのだ。
私が提示した大学が、家から300km以上離れていることなどどうでもいい感じだった(おふくろは、そんな遠くに行かなくても……と反対だったが)。

実のところ、そのときにはまだ教師になると決めていたわけではなかった。
まあ、入ってしまえば何とかなるだろうとしか思っていなかった。
結果として教師になったから嘘にはならなかったが、そのときは少し後ろめたい気持ちもあった。


さて、現在。
退職して気づいた。
そう言えば、現役の教師時代、ずっとこの親父の言葉が頭の隅にあったなあと。

退職後、同窓会に呼ばれて数十年前の話で教え子と盛り上がったり、
私が本を出すと言ったら、「俺がたくさん売ってみせる」と連絡をくれる教え子がいたりする。
現役の教師時代、結構無茶な要求を子どもにしていたのに、こんなに私を慕ってくれる子(といっても今は40代や50代だが)がいる。

親父の言うことは正しかった。


今、多くの学校ではテスト主義が広がっている。
その上、教師は超多忙となった。
働き方改革が叫ばれてはいるが、改革の実現にははまだ時間がかかるだえろう。
私が若かったころのように、放課後の職員室で教育談議や生徒談義で盛り上がったり、一緒に遊びに行ったりする余裕はなさそうだ。

でも、どんなに大変な職場環境にあったとしても、子どもとの信頼関係がすべての基本だということは変わらない。
生徒に十分に関われないほど忙しいなら、忙しくしている仕事の方を減らす工夫をするのが本筋だ(先生のせいじゃないが)。

一人では何もできないと思うかもしれない。
そういうときは同じ思いの人を探し、一緒にまずは自分たちのアイデアを校長にぶつけてみてほしい(職員会議が民主的な雰囲気ならこんな直訴はいらないが)。
意外と校長と言うのは、そういう意見を待っているものだ(私だけじゃないと自分では思っている)。

結果として実現しなくても、そういう姿勢でいることは必ず子どもにも伝わる。

今の若い先生も、いつか私たちと同じように自分を慕ってくれる多くの教え子に支えられる、最高の日がやってくる。

どうかそのことを信じてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?