評論風フィクション「学校教育史 近未来編」(2)新自由主義が生んだ究極のシナリオ 登下校の改革
2 登下校の改革の経緯と現在
小学校では、集団登下校が廃止されて久しい。
まず廃止までの流れの概略を以下に示す。
登下校に関する責任の所在
きっかけは働き方改革によって登下校の安全確保が学校の業務から外されたことである。その際児童の登校は、当初、地域にその責任が移譲された。
しかし、当時は多く自治体から「子どもの安全に対して責任が持てない」との意見が強く、結果的に今の形、すなわち登下校の責任はすべて各家庭に戻されることになった。
改正当初は、保護者の中にも強い抵抗があった。
一人親家庭では早朝から仕事に出向かなければならないことも多いため、
子どもを学校に送り届けることができないというのが反対の主な理由であった。
その後、全国から政府に対して集団登校の復活を求める署名による嘆願が相次ぎ、中には、就労が制限されるのは人権侵害で、あるいは生存権の侵害であるとして訴訟に至ることも少なくなかった。
本来あるべき姿に
しかし、そもそもそれまでの義務教育制度から継続して、登校は子どもの権利であり、その責任(義務)は保護者にあった。
その原則は今も変わらない。われわれは、本来の姿を具現化したのであって、批判される道理はない。
政府が最初から保護者の責任で子どもを登下校をさせるよう判断していれば、混乱は防げたかもしれないが、結果的に本来あるべき姿にたどり着いたことは評価すべきだろう。
周知のとおり、アメリカでは、すでに1世紀以上前から保護者による送迎は常識である。同じ「新しい自由主義」を標榜する国として、日本が保護者の責任の一つを明確に示すことができたことは意義深い。
それは、単に登下校問題の解決という範囲を超えた、「成長する個人主義」進展の好例となった。
ちなみに数年前までは、入学したばかりの小学生など、一人で登下校させるのが不安な保護者が近所に住む専業主婦や退職後の高齢者に送迎を頼んだり、上級生に同伴してもらったりという工夫を各家庭が行っていた登下校形態が一定数残っていた。
しかし、新型Wi-Fiの著しい進化と利便性の向上によって、全国どこにいても個別学習が可能となり、午前中に学校で行われている個別学習へのテレワーク参加を政府が認めたことを追い風として、上記のような登校形態はほとんどなくなった。
政府によるテレワーク承認から、今年で10年が経過した。
保護者が自分の勤務時間に合わせて学校に子どもを送り届ける姿も定着している。ここに、長く続いた登下校問題は完全に解決した。
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現代の学校教育にはさまざまな課題が、長い間解決されないままになっています。今すぐにでも本気で改革を進めなければ、この作品にあるような学校が…
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