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もぐりたくなりゃマンホール、雀の額、猫の涙、<神のような孤独>

九月十一日

十二時半起床。休みなんでいつもよりダラダラしております。そしていつもより薄めの紅茶、菓子。アメリカ同時多発テロがあった日。中学生だった当時、ブッシュをプッシュと呼んでいたのを思い出した。先日モロッコで大きな地震があったらしい。モロッコへはたぶん行ったことはない。マイケル・カーティスの『カサブランカ』も見たことがない。きのう阪神の優勝マジックが五になった。来週には胴上げか。どっちみちもう確定だろう。俺の予想はみごとに外れた。すまん。岡田彰布は名将だ。森下翔太は面構えからして新人離れしている。チャンスに萎縮しないで逆に燃える。要するに「変態」。将来きわめて有望。凡庸な総理が「内閣改造」するらしい。たかが人事で「仕事してます」アピール。いま間違い電話。だから俺は椅子の張り替えはしてねえよババア。電話なんていう野蛮な道具がいまだに存在していることが信じられない。全員くたばりやがれ。

ミシェル・ウエルベック『素粒子』(野崎歓・訳 筑摩書房)を読む。
プロ野球のせいで夜読書になかなか時間をさけなくて、けっきょく三週間かかった。文庫本で四三〇頁程度の小説で三週間はふつうありえない。どんなにだらだら読んでも二三日で十分だろう。ウエルベックといえばスキャンダラス作家という印象だったが、じっさい読んでみるとふつうの「純文学」だった。「異端」という感じも受けない。
読書感想文風に書くなら、僕は『素粒子』を読んで、「現代人の孤独」について考えさせられた。ああ、「考えさせられた」だって! こんなこという奴たいてい何も考えてないからね。

いずれにせよ彼は、ジェルジンスキの業績が提起したラディカルな思想を擁護する最初の人物――初めの数年間は唯一の人物――となった。その思想とは、人類は消滅しなければならないということだった。人類は新しい種族を生み出さなければならない。それは性別をもたない不死の種族であり、個人性、分裂、生成変化を超克した存在であろう。

エピローグ

「個体であることの凄絶な悲哀」を小説はもっと描いてほしい。あらゆる性愛も「個体」という前提なしにはありえない。性愛とはつまり他者との合一願望なのだ。生物はつねにすでに「拠り所のなさ」に苦しんでいる。原子や素粒子でさえきっと苦しんでいる。誰とどう一緒にいてもこの苦しみは消えないだろう。僕が最も孤独を感じるのは人と浮かれ騒いでいるときだ。周りの誰もが母語を異にする異星人にしか思えなくなることが多い。たぶん知的に誠実であればあるだけこの憂鬱気分に襲われやすい。慣れることも出来ない。

「ああ、寒いほど独りぼっちだ!」
注意深い心の持主であるならば、山椒魚のすすり泣きの声が岩屋の外にもれているのを聞きのがしはしなかったであろう。

井伏鱒二『山椒魚』

ヤマンバはどこにいる。そこかしこにいる。ろくでもない奴らだ。暗黒時代をくぐりぬけ、いまようやく掴みかけた栄光の透明体。菩薩は破顔一笑。塵一つ動かない。モンパルナスの秋。観音、睾丸、猫灰だらけ。千枚田の高尾太夫。荒野に咲くタンポポに接吻したのは誰だ。どいつだ。ベルリンだ。バント指示。三割打者。

もうだるいから昼飯食う。パソコンと向き合うのは二時間が限界だ。

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