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眼と眼、Grand-Guignol、鼻と口、燃えあがるバカの壁、広汎性発達障害クラブ、寸止め海峡日本海、堕天使の精子を凍結保存するために必要な三種類の勇気、

三月二五日

〝おじさん〟というのは、〝世の中〟という、〝社会〟というものをもう少し曖昧にしたものの中で、ある種の力関係を背景にして成立している役割のこと。そして、その役割と一体化してしまっている人格のこと。

橋本治『蓮と刀』「Ⅱ フロイトは〝おじさんだった〟」(河出書房新社)

午後十二時五分。じっくりコトコトこんがりパン濃厚ポタージュ、紅茶。休館日。明け方ごろ鼻詰まりのせいで鼻呼吸ができず口呼吸しかできなかったので「寝た気」がしなかった。ツバを飲み込むと喉が痛い。こういう不愉快をなぜ俺が経験しないといけないのか。さくや一時間半ほど歩いたのがよくなかったか。夜間も花粉は飛散している。春はしゅうじつ部屋に引きこもっているのがいちばんいい。春に限らずほんとうはずっとどこかに引きこもっていたい。本があればそれでじゅうぶん。
隣の爺さんにはたぶん軽い知的障害がある。37000円を借りておきながらそれを32000円だと思っていた。赤の他人から借りるならふつうちゃんとメモくらいするだろう。午前中はきほん寝ていると何度伝えても訪ねてくることや、イオンのクレジットカードを「打ち出の小槌」と勘違いしていたことなども考え合わせると、そう結論してもほとんど問題はないだろう。もしそうだとすれば、これいじょう嘲笑いの対象にするわけにはいかない。そういえば俺はかつて「広汎性発達障害」と診断されたことがある。したくないことを断ったりするのに便利そうなので、その診断名はけっこう気に入っている。
おとつい(三月二三日)の「読売新聞」の「論点スペシャル」で三人の識者が「少子化問題」について論じていた。『人間はどこまで家畜か(現代人の精神構造)』の著者である精神科医の熊代亨は、「費用対効果を重視する現代の若者が、子育てにかかるコストや親になることで抱えるリスクを考え、子育てを回避しようとするのは合理的な選択だ」と語り、少子化の必然性を強調する。そのあと、子供が生きやすい社会は高齢者が生きやすい社会でもある、などと可もなく不可もないことを語っている。それらはたぶん「間違ってはいない」のだろうけど、「現代の若者」が重視しているのは「費用対効果」だけではなく「他人の痛み」でもあるんだよ。「他人の痛み」にあるていど鈍感な人間でなければこんな生きにく過ぎる世界に子供など作ろうとは思わない(これがすぐに分からないような人間は措置入院させたほうがいい)。そういう単純なことを「中学生2人の子の父」であるというこの精神科医は見落としているようだ(「わざと」かも知れない)。これは少子化を憂えたがる学者や政治家や自称評論家たちにも言えること。この国には「まともな大人」はいないのかも。せめて俺だけでも「まともな大人」でいよう。さいきんは誰と会っても子供にしか見えない。発想がいちいち幼なすぎてうんざりしてしまう。一億総ガキ社会の到来だ。
そういえばこのごろ三代目春風亭柳好にはまっている。「野ざらし」をきいていっぺんに好きになった。「二十四孝」もいい。<とぼけ味>や<滑稽味>はほとんど天性のもので練習で身に付くものではない、と最近は思うよ。

モーリス・ルヴェル『地獄の門』(中川潤・編訳 白水社)を読む。
短編集。「人生はいつも残酷」という帯文。そんなこと本の編集者に言われなくてもわかっている。ルヴェルの作品を読んだのはこれがはじめて。読んですぐ気に入った。どれもこれも安定して救いようがない。「怪奇小説」といってもほとんど人間しか出てこない。「寝取られ夫(コキュ)もの」が多い。モーパッサン好きはきっとはまる。俺のお気に入りは「変わり果てた顔」「妻の肖像画」「伴侶」。とどのつまりは人間がいちばん怖いのだ。そんなこともうみんな知っている。できればルヴェルのほかの作品も読んでみたい。創元推理文庫から出ている『夜鳥』はわりと入手しやすいはず。

きょうは書店には行けない。懐都合というより空模様と花粉情報が気になって。書きかけの原稿でも書くかね。サーベルタイガーのタマゴのなかから、小人の変死体。真っ赤なオムレツ。真っ赤な下敷きがほしい。裏は花色木綿。畜生。ゆびをふる、自爆。

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