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カスハラ神話、みんなの男装願望あるいは女装願望、猛暑日しこしこ大作戦、革命的タンクトップ主義宣言、笑えカス、

六月十一日

朝鮮戦争の勃発を経て、日本の講和問題は、アメリカ主導による社会主義国を除いた片面講和に大きく旋回する。中国共産党は終戦直後から対日講和会議に参加することを主張し、建国後も自らが中国の正統な代表政権であるとして、日本との講和条約を締結する権利があると訴えていた。だが、英米の協議に基づき、結果的にサンフランシスコ講和会議には「ふたつの中国」のいずれもが招かれなかった。結局、日本政府はアメリカからの外交圧力もあり、中国全土の三%ほどしか実効支配していない中華民国政府と、サンフランシスコ講和条約が発効するのと同じ日となる一九五二年四月二八日に日華平和条約を締結し、国際社会に復帰した。

大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』(中央公論新社)

午前十一時五分。三幸製菓かりんとう、紅茶。午前九時五十分ごろ爺さんが納豆と豆腐を持ってくる。この爺さんは貧乏なのにひどく偏食らしく、援助として食べ物をくれる知人から頻繁に苦手なものを渡されるので困っているという。このごろ新聞でやたらカスハラという言葉を見かける。カスハラのカスはカスタマーのことだけど語感的には「ググれカス」のカスみたい。俺的にはダブルミー二ング。カスハラをするのはほとんど男性で、五十~七十代が半分以上を占めているという。カスハラ問題の記事ではよく三波春夫の「お客様は神様です」が引かれる。カスハラ加害者はそれを本気で信じている世代なのだと言いきる論者もいるけどホンマかいな。カスハラ問題を語るのにもう三波春夫は禁止ワードにしませんか。飽きましたよ。だいたいほとんどの加害者はたぶん自分のことを神様だなんて思っていない(「雑なサービスの被害者」とは思っているだろうけど)。彼らの多くは孤独感が強く、イライラしていて、「生きていてすみません」的劣等意識に日々苛まれている。「自尊心」のもろい人間は他人から示される敬意度にことのほか敏感になる。「軽んじられている」「なめられている」と感じやすくなる。彼らのほとんどはその傷付いた自意識を眼前の従業員を利用して慰めているだけだ。きのう午後四時、炎暑以上酷暑未満のなか金沢文圃閣ガレージ店に行った。サンダルで。しかも水筒も持たず。ワイルドだろ? 買った本は、小田実/開高健『世界カタコト辞典』、澁澤龍彦『胡桃の中の世界』、同『夢の宇宙誌』、同『サド侯爵の生涯』、ナンシー関『信仰の現場』、萩尾望都『11月のギムナジウム』、柴田宵曲『蕉門の人々』の七冊。締めて七七〇円。今回は税込だった。このまえ税抜きだったのはだた忘れていただけか。また最後まで俺しかいなかったな。宇宙と交信してるいつものジジイもいなかった。紙屑の中ひとりぼっち。俺はすね毛の濃い男にしか男を感じないみたいだ。自分より一つ下の男と一緒に寝て、朝、すね毛をむしって起こしたことがある。彼「痛っ! 何するんだよ」私「なかなか起きないからよ」。当時の僕には極めて強い女装願望があった。昨深夜は鶏の砂肝をネギと一緒に炒めて食った。味付けは焼き肉のたれとブラックペッパー。砂肝は硬いので細かく切ったほうがいい。今日は昨日以上の炎暑日だ。タンクトップ一枚で河川敷を歩きまくりたいね。どうせやがて雨降りの日が続いて嫌でも図書館に通わざるを得なくなるんだから。さいきんはだいたい図書館にいない。だいたい歩いている。とりあえず昼食だ。モヤシ炒める。だれがモヤシ男だ。悲しみのロンドンブーツ。好きな男のパンツならいくらでも洗うわよ。面倒く犀。犀の角。ただひとり歩め。しかめっ面の勇気。

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