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知識の圧縮陳列つまりは情熱価格

二月九日

十一時半起床。眠いのである。昨夜、天井からの「打撃音」でしばらく動悸が止まらなくなった。隣のまだ生きているアクビ爺さんはあいかわらずガサツでうるさい。共同住宅なんてものがどうしてこの世にあるんだろう。全部まとめて爆発すればいい。
朝から不機嫌だが、豆をレンジでチンして食うのだ。珈琲も淹れよう。オランダ語koffieに「珈琲」の字を当てた記録として最も古いのは江戸後期の津山藩医・蘭学者の宇田川榕菴によるものだそうだが、いっぽうで少し調べると、その産地や効用を説いた『哥非之説』(一八一五年)ではタイトルからして既に違った漢字を使っていることが判明する。つまりこのころはまだ漢字による当て字が定着してなかったということだ。ちなみに「珈」の字は「玉を垂れ下げたかんざしの一種」、「琲」の字は「玉を連ねた飾り」を意味し、つまり彼は枝がたわむほどの赤い実を女性の髪の装飾品に見立てているわけだ。漢学の教養と西洋植物学の薀蓄を併せ持たねばとても出来ない芸当だ。
すくなくとも明治三〇年代末頃からじょじょにこの漢字表記が定着してきたことを、『精選版日本国語大辞典』(小学館)の記述は教えてくれる。
宇田川榕菴はヨーロッパの科学書の翻訳者として日本近代科学の進展に大きな役割を果たしていて、たとえば「近代科学の父」ラボアジェ(一七四三~一七九四)の元素概念を本格的に紹介したのも彼だ。ラボアジェは、燃焼が酸素との結合であることを実験証明し、いわゆるフロギストン説(phlogiston theory)を打破したことで科学史上に名高い人である。ごく大づかみに言うと、燃焼という現象はそれまでフロギストンの放出による一つの分解現象と考えられてきた。フロギストンとは「燃える」というギリシア語に由来する仮想物質。この考え方は、金属が加熱によって金属灰とになる煆焼現象にも当てはめられていた。「創始者」はドイツの医者ベッヒャー(一六三五~一六八二)とされていて、彼はすべての可燃性物質には「油性の土」が含まれていると考えた。ただしフロギストンという名称はその説を受け継いだシュタール(一六六〇~一七三四)により一八世紀初頭に考案されたもの。
なおラボアジェはフランス革命後、断頭台の露と消えている。享年五〇歳。南無阿弥陀仏。徴税請負人をつとめていたためだとか。パリ市照明改良コンクールに応募して金メダルを獲得(一七六六年)したりと、「人々の暮らし」にも貢献してきたはずなのに。数学者ラグランジェが「この頭を斬り落とすのは一瞬の出来事だがこのくらいの頭脳を得るには一世紀あっても足りない」と叫び嘆いた逸話は有名(らしい)。そんな例を挙げだすと枚挙に暇ないね。人の世は理不尽である。
また大学でいちおう化学を専攻していた身として捨て置くわけにはいかないことは、「水素」「酸素」といった用語を「最初」に使った人物が宇田川榕菴であるらしいことである。スイヘーリーベーボクノフネナナマガルシップスクラークカ、なんていう元素表の覚え方がありました。知っていますか。みんな間抜けな顔して「すいへーりーべーすいへーりーべー」繰り返していたのですよ。これには色々のパターンあるみたいです。
まだ書きたいことがあるのだけど二時までには図書館に行きたいのでこの辺にとどめます。

昨日は、スラヴォイ・ジジェク『真昼の盗人のように』を読み終え、次は『否定的なもののもとへの滞留(カント、ヘーゲル、イデオロギー批判)』を読み始める。前書の最終章では「銀行設立に比べたら銀行強盗の罪など軽いものだ」というブレヒトによる「名言」のバリエーションがつぎつぎひねり出されていて痛快だった。たしかにスターリンや毛沢東やトランプによる政治自体が一大ジョークであって、それに比べれば、権力をあいまいに嘲笑するばかりの庶民的ジョークなど取るに足らない。そんなもの痛くも痒くもないどころか、むしろ、ちょうどいい「ガス抜き」として「体制補完的」に機能しているとさえ言い得る。実にかなしく、実に滑稽な話です。
現代人は「成功せよ」「人生をめいっぱい楽しめ」という二つの超自我圧力によって苦しめられている、とジジェクが洞察した「問題」はそのまま受け流すには重すぎる。いずれもっと厳粛な心持のときに考察を試みたい。
彼を通して僕は知らぬ間に「ラカン的思考法」を学び取っている気がする。その「知性の活用法」は目の当たりにしていてすごく気持ちがいい。これからも彼の著作が出れば四の五の言わずに読もう。
ガタリとの至福の知的格闘を終えるにはもう少し時間がかかりそう。
夜間は、ジャン・コー『ぼくの村』と『機械カニバリズム』を読む。光陰矢の如し、読みたいものはなんでも読んでおきたい。

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