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だるい、ひたすらだるい、

一月二十日

もともと唐津というものは、少しグロ味を有しているが、瀬戸唐津という茶碗はスマートだと言える。形も大同小異ながら様々の変化を示し垢抜けしたものが多い。

北大路魯山人『魯山人陶説』(中央公論社)

午後三時離床。コーヒー、お米を炊いたもの。二度寝時間は約200分。布団から出たくなさすぎて泣きたい気分だった。こんな英雄的行為を毎日成し遂げている俺は間違いなく称賛を受けるに値するだろう。でも俺はそんなことは求めない。俺はやるべきことをやっているだけだ。
きのうは午後三時からコハ氏と三時間ほど閑談。貨幣経済圏の外に出るための計画を練っているふりなどをして遊ぶ。

小室直樹『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』(光文社)を読む。
「ソ連の崩壊を予言した書」と言われている。本書の書かれた1980年当時はまだソビエト連邦は元気そうだった。すくなくとも普通人の眼には。本書を読むと著者がいかに理論的にソ連瓦解の「必然性」を見抜いていたかがよく分かる。ソ連が1453年に滅亡した東ローマ帝国の末裔であるという指摘はよく分かった。マルクス思想のユダヤ教的性格についても同様。本書ではたしか言及されていなかったが、マルクスはユダヤ人弁護士の家庭に生まれたのではなかったか。マルクスは一度腰を据えて読んでみるといいかも知れない。「世界」に影響を与えた本(それを人は「古典」などと呼ぶ)を読むことは歴史現象を俯瞰する上で有益である。それが「現在の我々」にとって実に下らないものに見えても、やはり有益である。たとえば『毛沢東語録(毛主席語録)』というのがある。これは中国における「文化大革命」期にたいへん広く読まれ、誰もが肌身離さず持っていたという。それは一つの「信仰証明」としても機能していた。紅衛兵たちの「思想」形成過程をたどるうえでその分析的読解は欠かせないだろう。
本書の最後の方で著者は、「非武装中立」派の非現実性や、平和を唱えていれば平和が実現すると考えている人々の「念力主義」あるいは「言霊信仰」を批判し、戦争は国際紛争を解決する手段としてはもっとも合理的なのであり、平和の実現はそうした冷厳な現実認識なしではありえないことを強調している。私もおおむねそう思うが、だからといって彼のように核武装などを主張する気にはなれない。
解説者の橋爪大三郎はあえて触れていなかったようだが、ソ連崩壊を理論的に「予言」した書としては他に、エマニュエル・トッド『最後の転落』がある。これは1976年に出版されたもので、彼の処女作でもある。トッドは歴史人口学という手法を駆使する学者として日本でもたいへん人気があり、その著作の翻訳も盛ん。彼は1971年からソ連の「乳児死亡率」が異常に増加していることに着目し、ソ連社会が直面している危機を詳細に論じた。

きょうはだるいので図書館には行かない。明日は行くだろう。それにしても日本には自動車が多すぎる。日本の自動車の数がいまの半分の半分くらいになればもうすこし生きやすくなるのではないか。人間の数についても同じことが言える。トッポギ博士が首を吊って死にました。トッポギ博士は色情狂でした。

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