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「イカロスの翼」 (短編小説)


 白い機体に走る、鮮やかな青いライン。

 流線形の終点に立つ尾翼には、スカイブルーの鷹をあしらった社章が輝いていた。

 客室内に耳心地のよい電子音が聞こえてくる。

 「スカイサービス社は、完全オートメーションによる人的ミスを排除した、まったく新しいエアサービスを提供しております。
 高性能次世代AIによる操縦で、快適な空の旅をお楽しみください」


 近年、航空機のパイロットによる人的災害が多発し、社会的に問題となっていた。

 格安運賃競争と時間外労働時間規制によるパイロットにかかる精神的負担の増加は、人材不足の中規模航空会社には事故という最悪な結果として返って来てしまうという弊害をもたらした。

 そんな中、政府主導のもと国内有数のIT企業などが参画し、新しい航空会社を設立した。


「まったく問題ありません。 過去、完全なコンピューター制御には決定的な欠如がありました。  それは『感情による判断』です」

 一瞬、ホテルの披露宴会場に催された記者会見の壇下がざわついた。
 若くして日本のIT業界のトップに立った時代の寵児は、くるりと会場内を見回し想定内と言わんばかりに口角を少し上げた。

「たとえば…… そこのあなた」

 眼力溢れる若き代表取締役に射抜かれた女性記者は、ICレコーダーを落としそうになって姿勢を正した。

「では質問です。 あなただけが乗る二人乗り救命ボート。 目の前に、ふたりが溺れている。 だが、ひとりしか乗せることが出来ない。 手垢のついた思考実験ですよね。
 それが、あなたのふたりの子どもだとしたら、どうします?」

 答えを探すのと、大勢の記者のなかで何かヘマ出来ないというプライドのせめぎ合いで何も言えない女性記者に、今度は精一杯の慈愛に充ちた笑顔で続けた。

「冷血な機械なら、より体力のない方など計算して救助するでしょう。だが、血の通った人間は選ぶことなんてできないはずです。そこでわが社の開発した次世代AIの登場です」。

 高らかに言い放つと背後のスクリーンが割れ、先進的なイメージ映像が流れる。

 「この世のすべてが0と1のデジタルで割り切れる簡単な世界じゃない。 わが社のAIでは人間の感情を持たせることに成功しました。
  これによって、人の情に通じる温かなオートメーション化が飛躍的に進むことでしょう」

 背後のスクリーンには、ATMに戸惑う老婆が新型ATMに変わると簡単に操作をこなす風景や、電車のダイヤ管理などさまざまな映像が球形に集まり、それが地球になっていくといった映像に社名ロゴが大きく重なった。

 「もっとも、IT業界の私がデジタルを否定するのも変ですが、ね」
 そう言うと人懐っこく破顔して、会場の笑いを誘うことも忘れていなかった。



 機体の青と白のコントラストが、こんなにも映える快晴の早春。
 
 滑走路には世界中からの取材陣が青いラインの走る白い機体を囲んでいる。

 その機体には政府首脳から経済界重鎮まで、晴れの日に招待を受けたお歴々が赤絨毯からタラップへと乗り込んでいく。

 各界のゲストを湛えた客室を見渡し、若き航空会社の代表は満足そうに二度、三度とうなずき自らの高揚を鎮めるように深く息を吸った。

 「ついに、この瞬間がやって来ました。 来る本日に向け、当社はさらなる開発によりアップデートしたAIをご用意しました。
 さらにヒトに近づき、より細やかで快適な空の旅を満喫していただけると確信しております」

 上品な歓声と富裕層特有の分厚い拍手に囲まれ、客室は成功者から抽出した金色の空気で満たされた。

 

「スカイサービス社は、完全オートメーションによる人的ミスを排除した、まったく新しいエアサービスを提供しております。
 高性能次世代AIによる操縦で、快適な空の旅をお楽しみください」

 誇らしげな社長が首相に、余裕で取れた100点の答案用紙を見せるかのようにほほ笑んだ。

 離陸時の軽いGを受け、機は水平飛行を確保したころ、電子音がなりアナウンスが流れた。


 「本日はご搭乗、まことにありがとうございます。
 当機はは、こののまままの進路をを維持し、目的チであるロサンゼルススススににに」

 最初に気付いた人の不安が、やがて周りに伝染するのに時間は掛からなかった。

 あんなに自信の海に気持ち良く漂っていた若社長が、シャンパングラスを起き平静を繕ってコクピットであるコンピュータ室の前まで来ると、CAやスタッフがざわついて青ざめているのが見えた。

 「いったい、どうなっているんだ」

 怒気を抑えようにも、その傷付けられたプライドの欠片が言葉の端々にこぼれている。

 「まったく予想外のことが起こりまして……」

 主任プログラマーがカラフルなケーブルの繋がったノートパソコンを開き、大量の汗でズレる眼鏡を気にも留めずに流れるプログラムを見たまま弁明した。

 「なんだ!」

 怒声でようやく諦めたようにプログラマーはパソコン画面から真っ赤に加熱された社長の方を向いてつぶやいた。

 「今日、下ろしたプログラム」

 社長以下、スタッフやCAたちもプログラマーの次の言葉を神妙な顔で待つ。

「近過ぎたんですよ、人間に…… 高所恐怖症のようです」


 文字通りスカイブルーのキャンバスの中、白い機は各界のお歴々の悲鳴とともにフラフラと高度を下げていった。





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