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古典リメイク『レッド・レンズマン』10章-2

10章-2 キム

 それから何日かすると、クリスさんから文句を言われるようになった。

「まったく、あなたのせいで、銀河規模の大恥をかいたじゃないの!!」

「はあ……すみません」

「仕事に戻っても、もう睨みが効かなくなるわ!!」

「いや、そんなことはないと思いますが……」

「みんな、わたしの後ろで笑うに決まってるわよ!!」

 銀河ニュースで連日、愛の奇跡だとか、全裸の添い寝の効果だとか、盛大に流れてしまったからだ。少なくとも、人類社会では、ぼくとクリスさんの婚約を知らない者はいなくなっただろう。

 何といっても、軍医総監のレーシー先生が、嬉々としてマスコミに話したことが大きい。

『いやあ、クリスが怒って、わたしを病室から追い出した時なんか、ヒナを守る母鳥さながらだったよ!! それにまた、彼を目覚めさせようとして、どれだけ尽くしたことか!! もちろん、我々は医療モニターで見ていたが、止めやしなかったよ。恋人に裸で寄り添って、全身をこすりつけていたからってな!!』

 クリスさんは、ぷりぷり怒って言う。

「失礼にもほどがあるわ。医者が、そんなこと暴露するなんて!! 守秘義務はどこへ行ったのよ!!」

 しかし、ぼくの目覚めに立ち会った医師たちからも、病院内に噂が流れてしまったのだから、報道されることは止めようがなかったはずだ。だから、憶測で記事を書かれるより、正直に話してしまった方がいいという判断だろう。

 ぼくの覚醒は、新たなレンズマンの誕生でもあり、世間には、非常に好意的に受け止められたらしい。多くのパトロール隊員が死傷した、悲惨な事件の後だったから、人々も、何か明るいニュースを聞きたかったのだろう。

 ベスさんやアマンダさんも駆け付けてきて、泣きながらお祝いを言ってくれた。

「よかったわねえ、おめでとう!!」

「クリスのこと、よろしくね!!」

 クリフやラウール、他のレンズマン同期生たちは、レンズを通して連絡してきた。

《キム、こん畜生、心配させやがって!!》

《やっぱり、おまえが首席で間違いなかったんじゃないか!!》

《今度会ったら、しこたまおごってもらうからな!!》

《ていうか、結婚式はいつなんだよ!!》

《俺たちが出席できるよう、日程を考えてくれよな!!》

 ぼくは幾度も検査を受けて、もう心配ないと言われていた。ただ、体力が落ちているので、徐々に運動するよう指示されているだけだ。来週にはもう、退院できるだろう。動いているうちに、体力も戻るはずだ。

 今は病院の中庭にいて、クリスさんに付き添ってもらっている。お母さんは売店に、飲み物を買いに行った。たぶん、気をきかせたつもりなのだろう。

 うららかな日が差しているから、パジャマ姿でも寒くない。花壇には春の花が咲き、蝶が飛んでいる。

 幸せだった。生まれてからこんなに、満ち足りたことはない気がする。

 レンズをもらったことも嬉しいが(あれから幾度も、リック先輩とレンズを通して話をした)、クリスさんが、こうして傍にいてくれるのが最高だ。昏睡しているぼくの婚約者だと言い張って、付き添う権利を勝ち取ったというから、笑ってしまう。

「これでもう、他の男性は誰も寄ってきてくれないわ。あなたに責任をとってもらうしか、ないじゃない。いつ結婚してくれるのよ。準備があるんだから、日取りを決めてちょうだい。わたしはもういい年なんだから、先延ばししたくないの!!」

 と怒った顔で言われるのも、幸せだ。甘い香りは、ぼくが贈った香水だという。気に入ってもらえたのは、べスさんとアマンダさんのおかげだ。

「それなんですけど……怒られついでに、もう一つ……」

「何よ」

「プロポーズを、撤回させて下さい」

 クリスさんは、ぎょっとした顔でぼくを見た。怒るだろう。傷つくだろう。でも、これはもう、決めたことだ。

「レンズをもらった以上、任務が先です。デッサを発見して、後ろ盾になっているアイヒ族の本拠地を突き止めなければいけません」

 なるだけ穏やかに、ぼくは話した。

「彼らが、ボスコーンの最上位種族であるかもしれないんです。一度、接触したぼくが、捜索に出るのが一番です。ヘインズ司令とも話しました。来週には、ぼくの専用艦が準備できるそうです。いったん出発したら、戻れるのは何年後か、わかりません」

 あるいは、永遠に戻れないかもしれない。だが、行かなければならない。

 今回、ぼくがもっとうまく立ち回っていたら、こんなに大勢の犠牲者を出すことはなかったかもしれないのだ。

 予期していたことだが、鋭い平手打ちが飛んできた。ひりひりするが、この痛みも幸せだ。一生、忘れない。クリスさんは、血相を変えて怒っている。

「ふざけるんじゃないわよ!! そんなに安直にプロポーズされたり、撤回されたりなんて、冗談じゃないわ!!」

「安直じゃありません。どちらも真剣に考えて……」

 反対側の頬を、鋭く叩かれた。遠くにいる他の患者や看護師たちが、恐怖の顔になるのがわかる。クリスさんは、燃え上がる炎のようだ。

「行くのは勝手よ。どこへでも行きなさいよ。わたしだって、仕事に戻るわよ。だけど、婚約は婚約のままにしてもらうわよ。わたしを振られた女にするなんて、許しませんからね。赤っ恥は、一度でたくさんよ」

「ああ、わかりました。では、そのようにします」

 婚約だけなら、ぼくが死ねば、自動的に解消される。

「でも、他にいい男がいたら、いつでも乗り換えてくれて構いませんから……」

 もう一発、叩かれるかと思って密かに身構えたが、クリスさんは動かなかった。ただ、金茶色の目にみるみる涙が盛り上がって、頬をぼろぼろ、転げ落ちただけだ。

 泣かせてしまった。ぼくが、この人を。嬉し涙ではなくて。

「この馬鹿……」

 ぼくの肩に、赤毛の頭がもたれかかる。しなやかな腕が背中に回され、熱い涙がパジャマに染みてくる。なんて幸せなんだろう。どれだけ遠く離れても、二度と会えなくても、この瞬間は永遠だ。

「約束、しなさい……帰ってくるって……そしたら、結婚するって……わたし、あなたの子供が欲しいのよ……」

 父も、母にそう誓った。帰ったら、キムの妹か弟を作ろう。でも、戻れなかった。待っていてくれなんて、言えない。

「あなたに嘘は、つけません。何も、約束はできないんです」

 クリスさんはしゃくりあげ、ぼくの胸にしがみついている。たとえどこかで死ぬとしても、後悔はしないだろう。この人に愛された。それだけで、生まれてきてよかったと、心の底から思うことができる。

「ありがとう。あなたを愛しています……会えてよかった」

 蝶が飛び立って、ひらひらと、青空高くに消えていく。中庭を散策する他の患者たちがこちらへ来そうになると、さりげない暗示をかけて、方向を変えさせた。

 レンズを手にして、まだ数日にしかならないが、少しずつ、使い方を模索しているのだ。

 リック先輩からも、言われていた。レンズは、自分の心の能力を増幅させるもの。ただの道具に過ぎないが、上手く使えば、人を助けることも、殺すこともできる……

 デッサがしたような使い方も、できるのだ。きっと。遠隔であれだけ大量に殺すには、アイヒ族の支援があったのだろうが……ブラック・レンズの存在はレンズマン秘だから、クリスさんにも教えられない。

 ようやく泣き止むと、クリスさんは真顔で言った。

「連絡、してきなさい……どこにいても……レンズがあれば、かなりの距離でも通じるわ。リックはそうして、連絡してくるもの」

「努力します」

 それだけは、約束できた。生きてこの人の元に戻りたいと、ぼくだって願っている。

 まずは、レンズを使いこなす修業から始めよう。次に強大な敵に出会った時、戦う準備が万全であるように。

 ***

 リック先輩がぼくの師匠として、改めて紹介してくれたのは、ヴェランシア人のレンズマン、ウォーゼルだった。彼の種族は元々、テレパシー能力がある。その力がレンズを手にしたことで、途方もなく拡大されたのだ。

 ぼくは自分専用の快速船でヴェラン号に合流し、連日、彼から特訓を受けた。攻撃を防御すること、自分から攻撃すること、遠くの相手の心を読むこと、心を操って動かすこと。

 ヴェランの乗員たちも協力してくれた。最初は一人、次は二人、三人と、心を操作する相手を増やしていく。

 たとえば、目の前の相手に、修理用の工具を持たせようとする。相手は、工具を下の台に下ろそうとする。ぼくの念が強ければ、複数の相手に、工具を持ち上げさせることができる。

 それができるようになったら、次はもっと複雑な作業をさせてみる。抵抗する相手に、バラバラにした通信機を組み上げさせるとか。あるいは、互いに相手を押さえ込むように行動させるとか。

 そうやって、航行しながら訓練を続けていった。多くのパトロール艦がこうやって、デッサがどの星区に逃げ込んだか、アイヒ族の惑星はどこにあるのか、しらみ潰しに探しているのだ。

 ウォーゼルの心の探知範囲は非常に広いが、それでも、何千、何万、何十万という星系をくまなく探すのは、大変な作業になる。

 中にはアリシア人のように、自分たちの惑星を丸ごと、防御力場で囲んでいる種族もいるだろう。個人用の思考波スクリーンを使用している者もいるし、船全体をスクリーンで包んでいる者もいる。怪しいと思えば、ヴェラン号はどの種族の船でも停止させ、臨検する。

 銀河系のあらゆる星区で、そういう探索が続けられていた。これまでに、きちんと調査されていない星系はないか。調査したと思われていて、実は、調査員が洗脳され、追い払われていたような星系はないか。

 だが、何の手掛かりもない。なさすぎるのが、逆におかしい。

 もしかしたら、アイヒ族は、この銀河にはいないのかもしれない。近隣の銀河のどこかが本拠地で、この銀河には、ほんの出先機関しか置いていないのかもしれない。デッサもまた、そこへ逃げ込んだのではないだろうか。

「そうすると、銀河間の戦争ということになりますか」

 訓練の休憩時間、ぼくはウォーゼルと話した。

《リックもそう疑っている。色々な可能性があるのだ。アイヒ族は他の銀河から追い出されて、放浪の身になり、我々の銀河を侵略しようとしている、という可能性もある》

「とにかく、アイヒ族を一人でもいいから、発見しないといけませんね」

《できれば、我々レンズマンが真っ先にぶつかりたい。さもないと、精神攻撃でまた死者が出る》

 ウォーゼルなら、たぶん対抗できる。ぼくは……あの時よりは、数段、強くなったと思う。だが、実際にぶつかってみないと、どうなるかわからない。

《技術部が、その帯域の精神攻撃に耐えられる思考波スクリーンを開発中だ。遠からず、パトロール隊員は、それで身を守れるようになるだろう》

 その頃、リック先輩は、大勢のパトロール隊員を指揮して、ロスト・プラネットの探索にあたっていた。歴史上、忘れられた惑星だ。

 人類が無慣性航法を実用化した初期の頃、たくさんの移民船団が地球を出発したが、そのうちの何割かは行方不明になった。

 事故か、事件で全滅したものと思われていたが、何百年も経ってから、その子孫たちが細々と生きている星系が複数、発見されたのだ。彼らは銀河文明に迎え入れられ、最新の科学技術を手にしたが、まだ発見されていない、忘れられた植民星が残っているかもしれない。

 デッサが地球人型だったということは、そういうロスト・プラネットの出身であった可能性が高い。こちらの方が、アイヒ族の惑星より、探すのが容易だろう。地球型惑星のある星系は、かなり詳しく調査されているからだ。

 やがて、ウォーゼルの元に、リック先輩から精神接触があった。ぼくもそこに割り込ませてもらい、三者会談となる。

《それらしい惑星を、発見した。ライレーンというロスト・プラネットだ。現在は、ヘレンという女王に統率されている》

 ライレーンは女だけの自治惑星として出発し、何とか成功しながらも、その存在を隠し続けてきたという。銀河パトロール隊に発見されたら、男たちの支配下に組み入れられてしまうと、恐れていたらしいのだ。

 まずは銀河パトロール隊の先遣隊が交渉し、銀河文明への参加を打診しているという。

《向こうは気乗りしない様子だが、拒絶しても無駄だということはわかるらしい。密貿易の商船や何かは、出入りしているらしいのでね。銀河文明の様子は、ある程度、掴んでいるようだ》

 レンズマンが現地に乗り込み、女王や住民たちの心を探れば、隠し立てはできないだろう。もしもそこがデッサの出身地なら……ブラック・レンズやアイヒ族との関りもあるかもしれない。

《これから外交団を整えて、正式にライレーンを銀河文明に迎え入れる交渉を開始する。ぼくは外交団に混じって、ライレーンを調査する》

 それから、リック先輩はぼくに笑みを送ってきた。

《外交団の代表は、姉貴だよ。向こうは、女以外、ライレーンに上陸させないと言っているのでね》

   『レッド・レンズマン』11章に続く

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