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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー ルディ編』

1章 紅泉こうせん

 珍しいことだった。ヴェーラお祖母ばあさまが、あたしたちに頼み事なんて。

「雪でも降るんじゃないの」

 船の外は、宇宙空間だけれど。

「でも、わざわざのお呼びだから、行かないわけにはいかないわ」

 と探春たんしゅんは生真面目に言う。お祖母さまのメッセージを持ったアンドロイド兵が、高速連絡艇であたしたちを追ってきたのだ。通信を傍受されたくない時の連絡手段である。

「なんか、いやな予感するなあ」

 あたしは厳格なお祖母さまが苦手なので、つい、渋い顔になる。

 けれど、たまたま仕事帰りで違法都市《ティルス》がある星系の近くを通っていたから、寄り道の余裕はあった。お祖母さまも、こちらの行動を把握した上での呼び出しだ。《ティルス》の勢力圏をかすめれば、こちらの船は一族の探知にひっかかる。

「まさか、ハンター稼業をやめて帰ってこい、なんて言わないよねえ」

 一族の仕事は、年輩者たちが手分けしてこなしている。従兄弟のシレールも、ここ何年かで子育ての負担が減ってきたから、立派に都市経営の一翼を担っている。あたしたちがいなくても、特に支障はないはずだ。

***

「ご用は何でしょうか」

 森の中にある屋敷に到着してから、ヴェーラお祖母さまに面と向かって話した。

「ダイナのことなのよ」

 紺のスーツを着て、大粒の真珠のネックレスを巻いた、すらりとした金髪美女は言う。遺伝子操作と不老処置のおかげで、四十歳前後に見える。他人が見れば、あたしの姉か叔母かと思うだろう。

 あたしの方が全体に色素が濃いが、骨格や顔立ちはよく似ている。つまり、あたしもお祖母さま似の美女なのだ。威厳のある優雅さという点では、お祖母さまに遠く及ばないが。

 なんだ、あたしがお叱りを受けるわけではないのだ、とわかって、ややほっとした。

「あの子がグレるか何か、してますか」

 と言ったら、じろりと睨まれる。冗談の通じない人だ。

「一度、あの子に市民社会を見せておきたいの。紅泉こうせん、あなた、ダイナを連れて中央に入れるかしら?」

 ああ、なるほど。

 あたしたちは辺境の違法都市の生まれであるから、中央星域の市民社会における市民権はない。市民社会に入るとしたら、普通、亡命者として受け入れてもらうしかない。

 ただ、あたしと探春には特権があった。長年、悪党狩りのハンターとして、市民社会に貢献してきたからだ。

 おかげで、辺境と中央の行き来は自由にできる。私有艦隊も好きに使える。敵に尾行されないよう、航跡はいつも慎重に隠しているが。

「クローデル局長に頼んでみますよ。たぶん、大丈夫でしょう」

 司法局に最高権力者として君臨するミギワ・クローデルは、あたしたちの旧友でもあった。ミギワが出世するにつれて、あたしたちに認められる特権も大きくなっている。悪党狩りのハンター〝リリス〟が活躍できるのは、中央では、ミギワの後ろ盾のおかげだ。

 辺境ではもちろん、一族の援護のおかげであるが。

 いずれミギワが引退する時には、後任の司法局長に、よくよく申し送りしてくれるはずだと期待している。新しい局長が、偉大なる先輩に逆らいたい場合は、どうなるか不明だが。

「あたしたちの見習いと言っておけば、仮の市民番号をくれるでしょう」

 ミギワは〝リリス〟を強化したがっている。若手の捜査官を、あたしたちの元に研修として送り込んでくることもある。あたしたちの戦い方を、若い連中に学ばせておくことが重要だとわかっているのだ。

 アスマンの前例もあることだし、ダイナの存在を知れば、きっと歓迎するだろう。

 ただ、ヴェーラお祖母さまが、ダイナの存在を司法局に教えることを許すとは思わなかった。ずっと手元に置いて、そのうち、自分の秘書か警備隊長にすると思っていたから。

 お祖母さまは、自分が引退する時のことを考えているのかもしれない。肉体的な若さを保っていても、数百年にわたって戦い続けていれば、心は疲れるものだ。

 ヴェーラお祖母さまとヘンリーお祖父さまが、いずれ現役を退くとしたら、次の総帥はダイナかもしれない、とは思っている。

 年齢的に相応しいのはシレールだが、彼は神経質すぎるから、トップよりも補佐に向いている。だとしたら、ダイナにあらゆる経験を積ませておくべきだ、と考えるのはわかる。中央とのパイプを作らせることも含めて。

「どうせ、これからバカンスですし、一緒に連れていって遊ばせるくらいは、問題ないと思いますわ。次の仕事が入ったら、ダイナはナギに送らせますから」

 と探春も言う。

「では、お願いするわ。あの子に社会勉強をさせてやってちょうだい」

   ***

 ダイナを連れて故郷から出航したのはいいが、あたしも探春も、子供の元気というものを忘れていた。ダイナはすっかりはしゃいでしまって、息もつかないくらい、しゃべり続けている。

「嬉しいな!! あたし、中央の植民惑星を歩くのが夢だったの!! 海とか山とか砂漠とか!! 山にも登りたい。極地もいいよね。火山も見たい。活動してる活火山て、見学ツアーがあるんでしょ。あとは遊園地でしょ、水族館、博物館、それからえーっと、地球にも行ける!?」

「それはわからないけど、一応、頼んではおくよ」

 人類の故郷である地球は、惑星全体が貴重な文化遺産として守られている。観光も順番待ちだ。

 あたしたちは以前に一度、半月だけ、地球滞在を許可された。それも、三十年以上、悪党退治をし続けたご褒美として、やっと認めてもらったにすぎない。許可を出す官僚たちは、違法強化体などに、神聖な地球の土を踏ませたくないのだろう。

 かつて、乱開発と汚染でぼろぼろになった地球は、長年の浄化作業や修復作業を経て、やっと本来の美しさを取り戻しつつある。

 その反省もあるから、新たに開発された植民惑星では、人は、自然を大事にしている。それが、他星系を勝手に占拠し、地球型の生態系を強引に創り上げた結果の〝自然〟だとしても。

「普通の植民惑星でも、十分楽しいわよ。とりあえず、海辺のリゾートホテルを予約しておいたから」

 と探春。

「姉さま、ありがとう!! あのね、服も買ってくれる!? あたし、ろくな服持ってないの!!」

「はいはい、わかってますよ」

 ダイナにかじりつかれた探春は、苦笑で答えていた。

「あなたには、ミニスカートが似合うものね」

 ダイナの育ての親のシレールは、自分自身が貴族趣味なものだから、とにかく上品志向で躾が厳しく、ダイナには、古典的なお嬢さまドレスばかり着せていた。白い襟付きの、膝下まである、重々しいワンピースとかだ。

 しかし、仔鹿のようなダイナには、もっと軽快な服装が似合う。あたしたちで、可愛い服を見立ててやろう。ダイナにとっては、二度とないかもしれない、市民社会のグランドツアーだ。たっぷり楽しませてやらなくては。

2章 ダイナ

 どうしよう、嬉しくて息ができない。

 あたしたちは、初夏を迎えた海岸地方のリゾートホテルに到着していた。宙港からここまでのドライブも、途中の街での買い物も楽しかったけれど(オレンジ色のサンドレスを買ってもらったので、それを着ている)、ホテルのロビーから見渡す海の眺めがまた、素晴らしい。

 白い砂浜、緑の岬、青い水平線。エメラルド色に輝く浅瀬には、ちらほらと、泳いでいる人たちが見える。沖合には緑の島影と、何十艘ものヨットやクルーザー。

そ れに、ロビーを行き交っている大勢の人たち。新婚らしい男女、年輩の夫婦、小さい子を連れた大家族。学生らしいグループもいる。

 誰も武器を持っていない。アンドロイドの護衛兵も連れていない。大型の警備犬もうろついていない。子供がばたばた走って、誰かに突き当たっても、

「おやおや、大丈夫かい」

 と笑って受け止めてもらえる世界なのだ。

 歩行が危なくなっている老人を、家族がそろそろといたわりながら進む光景もある。

(いいなあ)

 辺境の違法都市には、幼い子供も老人もいない。都市を歩いているのは、護衛兵を連れた壮年の男女だけ。たまに子供がいれば、それは、小間使いとして使われているバイオロイドだ。人間に突き当たるなどという無作法をしたら、どんな罰を受けることか。

 あたし自身は、そういう違法都市の中でも、とりわけ警備厳重な屋敷の中で育てられた。幼いうちは外界と切り離されていたから、辺境の残酷さを知らなかったけれど、いったん屋敷の外に出れば、そこは弱肉強食のジャングルなのだ。

 でも、そうではない世界が、ちゃんとここにある。

 奴隷はいない。暴力もない。みんな、楽しそうに笑っている。

 紅泉姉さまが、悪党を何千人、何万人殺しても、この世界を守ろうとするわけだ。

 まあ、その悪党というのも、不老処置が受けたくて市民社会を脱出しただけの、普通の人たちだったのかもしれないけれど……辺境で勝ち抜くために、やがて、手段を選ばなくなってしまうのだ。

 それを責める資格は、本当には、ない。うちの一族にしてからが、違法組織なんだし。

 サングラスをかけた紅泉姉さまが、フロントで宿泊手続きを済ませると、あたしたちはいったんホテル本館の外に出た。あたしたちはホテルの広い敷地に点在する、コテージの一つに泊まることになっている。その方が、他の宿泊客と顔を合わせる機会が少なくて、安全だから。

 姉さまたちはハンターの〝リリス〟として長年活躍しているから、軍人や警官、司法局員たちに、どうしても少しは素顔を知られてしまっている。姉さまたちの命を狙う不届き者がいる以上、周囲に存在を気付かれない方が安全なのだ。

 といっても、長身でかっこいい紅泉姉さまは、たとえサングラスで顔を隠していても、燦然たる大物オーラを放っているので、立っているだけで目立つのだけれど。

「ねえねえ、早く泳ぎに行こうよ」

 あたしがそわそわ、うろうろしても、姉さまたちは、茂った木々の下の遊歩道をゆったり歩く。左右には、ハイビスカスやブーゲンビリアの鮮やかな花がたくさん咲いている。百合やサルビア、ペチュニアやグラジオラスの花壇もある。

「こんな日の高いうちは、だめよ。日焼けするわ」

 と薄い青の水玉ワンピースに、大きな帽子をかぶった探春姉さま。

「姉さまは、日陰にいればいいじゃない」

 あたしは日焼け止めを塗るから、問題ない。日焼けしても、すぐに治るし。

「それより、何か食べようよ。レストランがあっちにある」

 と紺のサンドレスの紅泉姉さま。さっき、買い物した街で、たっぷりお昼を食べたのに。

 その時、後ろから緊張した声がかかった。

「あの、そこの……美しいお姉さま!!」

「えっ!?」

 その気になって、艶然と振り返ったのは、紅泉姉さまだ。振り返ってから凝固したのは、そこに立っていたのが、小麦色の肌をした、十二歳くらいの少年だったから。白い開襟シャツにベージュのズボン、黒髪に黒い目で、賢そうな顔立ちをしている。

「えーっと、あたしのことかしら?」

 紅泉姉さまは、あくまでも、しょっている。優雅な探春姉さまのことかもしれないのに。

「いえ、あの、赤毛のお姉さまです!!」

 衝撃で、絶句した。

 それって、あたしのことよね?

 確かに、この子からすれば、二、三歳くらいは年上にあたる。それにしても〝美しい〟なんて形容詞をつけてもらったの、生まれて初めてじゃないかしら。一族のみんなからは〝可愛い〟としか言われたことがない。

「あの、よろしければ、お茶でもいかがでしょうか。ぼく、ルディといいます。怪しい者ではありません。この近くの貸し別荘に、祖父と泊まっています」

 少年は頬を紅潮させて言う。そりゃ、子供を怪しいとは思わないけど、なぜ、あたしに。

「あの、これから泳ぎに行くので……」

 断るつもりだったのに、ぽんと背中を叩かれた。サングラスの紅泉姉さまが、苦笑して言う。

「行っておいでよ。せっかくのお誘いだもの。海は明日でいいでしょ」

 でも、どうせなら、この子のお兄さんくらいの青年に誘ってほしいんですけど。でないと全然、ロマンスにならない。この旅で、あたしは密かに、王子さまとの出会いを期待しているのだから。

 どんな男性が理想なのか、自分でも、まだよくわからない。だけど、いつかはきっと、熱烈な大恋愛をするつもり。

 その日のために、できるだけ優雅に美しくなっていたいから、努力の日々を過ごしている。美容体操をしたり、お肌の手入れをしたり、市民社会のファッション雑誌を読んだり。

 けれど、姉さまはもう、ルディ少年に話しかけていた。

「それじゃ、うちの妹をよろしく。この子、ダイナっていうの」

 姉さまたちは偽名を使っているけれど、あたしは今回、ダイナという本名で仮の市民権をもらっていた。もしも将来、〝リリス〟の一員ということになれば、ちゃんとしたコード名とか、偽の身分とかをもらうことになるだろう。

 もっとも姉さまたちは、あたしを中央に連れてくるのは今回だけ、と決めているらしい。ハンターになんて憧れなくていい、とも言われている。

 そんなこと、勝手に決めないでほしいんですけど。

「あまり遠くに行かないで、暗くなる前に、ダイナをあたしたちのコテージに送り届けてちょうだい。お願いできる?」

 少年は目を輝かせて、直立不動で返事をした。

「はい、わかりました!! 無事にお届けします!!」

 探春姉さまも、にこにこしている。もしかして、あたしの相手には、このくらいのお子さまでちょうどいいと思ってるのね。

 見てらっしゃいよ。絶対にこの旅行中、渋いハンサムとお知り合いになってみせるから。

   ***

 早く泳ぎたかったのに。素敵な水着も買ってもらったのに。内心でそう思っても、目の前の少年があまりに嬉しそうなので、あたしもにこにこするしかない。

「ああ、勇気を出してよかった。絶対、笑われて断られると思っていたんです。ぼくみたいな子供なんか。でも、駄目で元々だから」

 うーん、そうなのか。そんなに勇気のいることだったのね。

「ロビーに入った時、真っ先に、ダイナさんが目に入ったんです。明るくて、きらきらしていて、向日葵の花のようだと思いました。あんまり綺麗で、目を離せなくて」

 え、あたしが。それは、嬉しいけど。

「ありがとう」

 と答えながらも、微妙に違う気がした。向日葵かあ。嫌いな花ではないものの、陰影に乏しいというか、単純すぎるというか。

 どちらかというと、薔薇とか百合にたとえて欲しかった。確かに、気品や優雅さが備わらないと、そういうレベルには到達しないのだろうけれど。

「本当はお祖父ちゃんに、背中を押されたんです。男なら、当たって砕けろって」

「まあ、そうなの」

「本当はいま、学期中なんですけど、たまたま祖父の仕事が休みになったので、頼み込んで、ちょっとだけ旅行に連れてきてもらいました。学校からは、がっちり宿題を出されています。毎晩、必死でこなしてますよ」

 あたしたちは、海を見下ろす丘の散策路を歩きながら話をした。ルディは主に、学校の話をしてくれる。個性のある級友たち、スポーツの試合、演劇大会、夏のキャンプ、冬のスキー合宿。

 いいなあ、学校。楽しいだろうなあ。

 ずっと一族の中で育ったあたしは、学校に行ったことがない。というより、辺境の違法都市には、学校というもの自体がない。奴隷でない、自由な子供がいないからだ。辺境でまともに子育てをしている組織は、うちくらいのものだろう。

「ダイナさんの得意な教科は何ですか。クラブ活動は何を?」

 聞かれると困る。あたしには、うまい嘘なんかつけない。驚かれたり、疑われたりするのが怖かったけれど、なるべく真実に近い話をした。

「ええと、あたしは、学校に行ったことがないの。ずっと家で、家庭教師についているから。うちの一族の方針で……一人前になるまで、外の害悪に触れないようにってことなの。今回も、従姉妹の姉さまたちと一緒だから、やっと旅行を許可してもらったのよ」

「そうなんですか」

 ルディは驚いたようだけれど、呆れたとか、軽蔑するとかいう態度ではなかったので、ほっとした。

「それでは、本当に、箱入りのお嬢さまなんですねえ」

 と感心されてしまって、いいのだか、悪いのだか。

「道理で、他の女性とは、ちょっと雰囲気が違うと思いました。何ていうか、ここにいるのが嬉しくてたまらない、という感じで。たとえは悪いけれど、やっと自由になった囚人、みたいな?」

 うーん、あたし、はしゃぎすぎていたらしい。気をつけないと。辺境生まれの違法強化体なんて知られたら、厄介なことになる。

「あんまり、屋敷の敷地から外に出ないものだから……つい、あれこれ珍しくて」

「それじゃあ、男性とデートしたことも?」

「もちろん、ないわ」

 ルディはぱっと笑顔になった。

「じゃあ、ぼくが初めてのデート相手ですね!! 光栄です!! 楽しい時間になるように、努力します!!」

 うーん、これもデートなのかしら。〝お子ちゃまのお守り〟ではなくて?

 にしても、妙だわ。さっきから視野の隅に、サングラスの男たちが二人、うろうろしている。目立たない服装をしているものの、この気温で長袖の上着を着ているのは、少し無理があるのでは?

 他人のふりをしているつもりらしいけど、厳密にこちらと一定の距離を保って、お互いに視線で行動を調整しているんだもの。ただの観光客ではないでしょう。

「ねえ、ルディ、あの人たち、知ってる?」

 そっと尋ねてみたら、ルディは痛いような顔をする。

「すみません。ぼくじゃなくて、祖父の護衛の人たちなんです。祖父は政治家なので、常に護衛が付くんですよ」

   ***

 その晩、あたしと姉さまたちは車に乗り、ルディのお祖父さまの借りている別荘に向かっていた。正式に、ディナーの招待を受けたのだ。

「ダイナ、間違えずに呼ぶのよ。紅泉はサンドラで、わたしはマリーですからね」

 と白いドレスの探春姉さまに、しつこく念を押される。

「はい、大丈夫です」

 トイレで百回くらい練習したし。

 ルディたちのいる別荘は、ホテルから三キロほど離れた、海辺の高台にあった。多数のお客が出入りするホテルより、警備しやすいからだと紅泉姉さまは……もとい、サンドラ姉さまは言う。

「ようこそ、よくいらっしゃいました」

 涼しい夜風の中、三十歳くらいの美しい女性が、別荘の玄関で、あたしたちを出迎えてくれた。ショートカットの金髪にダイヤのイヤリング、淡いオレンジ色のロングドレス。

「サンドラさんにマリーさん、ダイナさんですね。ルディの叔母のカリーナと申します。今日はルディが遊んでいただいて、ありがとうございました」

「違うよ、デートだよ」

 と横から抗議するのは、紺の薄手のブレザーを着たルディ。きっと学校では、優等生なんだろうなあ。

「うちのダイナの方こそ、きちんと送っていただいて、有難うございます」

「ルディ君は、とても気持ちのいい紳士ですわ。お知り合いになれて、嬉しく思います」

 と姉さまたち。市民社会の社交には慣れているから、落ち着いたものだ。

 屋内のあちこちには、さりげなく護衛官たちが散っている。薄手の上着を着ているのは、武器を隠すためだろう。彼らは最高議会の付属機関である、護衛庁の職員だそうだ。もちろん、こちらの身元は調査済みのはず。全身のスキャンも、玄関付近でされているだろう。

 ルディはあたしの前に来ると、まぶしいものを見るかのように、微笑んで手を差し出した。

「ダイナさん、とてもお綺麗です」

「そう、ありがとう。あなたも素敵よ」

 あたしは若葉色のサマードレスを着て、首にブルーグリーンのガラス玉のネックレスをしていた。スカート丈は長いけれど、姉さまたちに見立ててもらったものだから、シレール兄さまの選ぶドレスよりずっと軽快で、バカンスらしい。

 するとルディは身をかがめ、あたしの手にキスしてくるではないか。

 うーん、嬉しいというか、恥ずかしいというか。どうしても、騎士ごっこみたい。これが青年なら、本物の騎士に思えるかもしれないのに。

 ルディは顔を上げ、真剣な眼差しで言う。

「どうか、楽しい夜を過ごしてくださいね。ぼくのことが少しでも、いい思い出になりますように」

 そこで初めて、はっとした。ルディにとっては、あたしが初恋かもしれないのだ。これから何年も何十年も、思い出しては懐かしむような。

 それはもしかして、とても名誉なことなのかもしれない。だとしたら、あたしは精一杯、いい印象を残しておかなくては。

「おお、お客さまのご到着か」

 二階から、正装の老紳士が降りてきた。七十歳くらいだろうか。頭は白髪だけれど、肌は健康そうな赤銅色をしている。背筋もぴんと伸びて、折り目正しい。

「ルディの祖父の、フェルナンド・メンデスです。こんな美しい方々をお迎えできるとは、望外の喜びです」

 と身をかがめ、姉さまたちの手にキスをする。年季の入った紳士ぶりだ。あたしの手にも、うやうやしくキスしてくれた。ルディの振る舞いは、お祖父さまの教えの賜物らしい。きっと、お祖父さまをとても尊敬しているのね。

「ルディも目が高いが、お姉さま方も、実にお美しい。どうです、映画のオーディションでも受けられては。知り合いのプロデューサーに紹介しますよ」

 と言われて、青いドレスの紅泉姉さまは……いや、サンドラ姉さまはご機嫌がよい。

「あら、ほほほ。光栄ですこと。でも、残念ながら、やきもち焼きの恋人がいますので。あたしが映画スターになったりしたら、大変ですわ」

 と猫をかぶっている。

 海を見渡す食堂で(海面は真っ暗だけれど、点々と船の明かりが浮かんでいる)、美味しいディナーをいただいた。滞在中、近くのホテルのレストランから、シェフを呼んでいるという。

 グリーンピースのスープ、小海老と帆立のサラダ、トマトのファルシー、白身魚と浅蜊のアクアパッツァ、鹿肉のロースト。ここまででかなり満足だけれど、デザートには、何種類ものケーキが待機しているみたい。嬉しいな。

 姉さまたちはワインで、あたしとルディはアイスティ。あたしも早く、お酒が飲めるようになりたいな。前に、ちょっと味見した限りでは、あまり美味しいものではなかったけれど。飲んでいれば、慣れるというから。

「わたしたち、昨日は船を借りて、島巡りしたんですよ。いいレストランが幾つもあって」

「あら、すてき。サンドラ、わたしたちも行きたいわ」

「うん、沖でダイビングしたいね」

「海の中も綺麗ですわよ。ジュゴンが見られますわ」

 などという話をしているうち、どういうわけか、政治関係の話題になった。次の議会選挙の予想、新しい法律の話。経済界との関係で、その法案が反対されていること。

「お父さま、またそんな話。せっかくのバカンスなのに」

 とカリーナさんが止めても、職業病というべきか、メンデス議員はワイングラス片手に熱弁を振るう。

「ご存知と思いますが、違法組織というのは、常に市民社会に食い込む隙を狙っていましてな。市民を洗脳したり、脅迫したりして手先に使うのですよ。そんな事件を減らすための法案です。これは是非とも、成立させなくてはなりません。人権侵害だなどと言う連中は、犯罪被害の巨大さを理解しておらんのですよ」

 紅泉……サンドラ姉さまは、すまして微笑んでいた。こういうのを、釈迦に説法というのかな。

「そうですわね。洗脳なんて、怖いですもの。厳しく取り締まってほしいですわ」

 虎が、小兎を怖いと言うような態度。探春姉さま、もとい、マリー姉さまが、内心でため息をついているのがわかる。

「人間は弱いものですからな。違法組織など信用できないとわかっていても、不老処置で誘惑されれば、つい心が動く。誘惑に負ける。自分だけは、他の連中と違うと思う。愚かなことです。自分を作り変えていけば、結局、怪物になってしまうだけなのに」

 ――怪物。

 あたしたちは、怪物なのだろうか。ちょっとばかり強健で、長生きできるだけなのに。

「でも、辺境生まれの強化体でも、〝リリス〟は正義の味方ですよ。学校でも、ファンクラブに入ってる子がたくさんいます」

 と言ってくれたのはルディだ。あたしは心が明るくなった。ところが、メンデス議員は厳しく言う。

「騙されてはいかんぞ、ルディ。そんなものは、司法局の宣伝にすぎん。実際には〝リリス〟など、たいした実績があるわけではない。正義の味方どころか、金目当ての殺し屋みたいなものだ」

 ぐさりと胸に刺さった。姉さまたちが、そんな風に思われているの。市民社会をリードする政治家たちに。

「司法局が、辺境での無力をごまかすために、〝リリス〟を持ち上げているだけだと話しただろう。それは、軍の連中も同じことだ。違法強化体などに頼る前に、まず、自分たちで治安を守るという気概を持たなくては。そもそも、軍の参謀本部が弱腰すぎる。自分たちが行くべき仕事でも、司法局をあてにしよって、けしからん。それというのも、クローデル局長の独裁が長すぎて……」

「お父さんたら、興奮しないで。血圧が上がるわよ」

 とカリーナさん。あたしたちに向かって、苦笑してみせる。

「すみませんね。議会と司法局は、伝統的に仲が悪いので」

 あ、そうなんだ。

 探春、いえ、マリー姉さまが、微笑んでさらりと受ける。

「理念の議会と、現実主義の司法、ということですわね」

 ふーん、そうなのか。

「ええ、ことに父は、原理原則にうるさいんです。司法局が〝リリス〟に特権を与えて、違法艦船で自由に飛び回らせているのが、許せないんですわ。違法な存在を、スターにするなって」

 あたしは、何も言うことができない。探春……マリー姉さまが(ああもう、偽名って面倒くさい!! あたしはダイナにしておいてもらって、助かった!!)、平然として言う。

「わたしたちも、ニュースで見ました。最近も、議員の方が暗殺されましたものね。本当に、恐ろしいことです。だからこそ余計、メンデス議員のような方は、わたしたちの希望ですわ。どうか、亡くなられた方の分も、活躍なさって下さいませね」

 探春姉さまってば、嘘つきの優等生!! その暗殺犯を、紅泉姉さまと一緒に何千光年と追っていって、後ろ盾の組織もろとも、叩き潰してきたくせに。

   ***

 帰り道、あたしたちは、海を見下ろす崖の上の見晴らし台に車を停めて、潮の匂いがする夜風を楽しんだ。海は真っ暗だけれど、船の明かりと、島の明かりが遠くに見える。空には、たくさんの星。白く斜めにかかっているのは、天の川。

 素晴らしい夕食だったし、ルディとは明日もデートの約束をしたけれど、ルディのお祖父さまの言葉が、まだ胸に刺さっていた。

 金目当ての殺し屋。

 あんなことを言われて、姉さまたちは平気なのかしら。

 と思っていたら、紅泉姉さまの指に、むにっと頬をつままれた。

「らりふるんれふか!!」

「なに、難しい顔してんの。明日もデートでしょ。楽しんでおいで」

 あたしは姉さまの手を払いのけ、思っていたことをぶちまけた。

「姉さまたちは、命懸けで戦ってるのに!! 最高議会の議員のくせに、ちっともわかってないじゃない!!」

 探春姉さまが、静かに言う。

「夜は声が通るわ。もっと低く」

 うう。

「これでも昔に比べたら、うんとましになったんだよ。昔は、公式の場であたしたちをかばってくれるのは、ミギワくらいだったから。でも、今は、司法局にも軍にも、味方がうんと増えた」

 と紅泉姉さまが低く言う。

「そうよ。特権が認められるのも、理解してくれる議員が増えたからよ」

 と探春姉さま。

「それなら、理解してない議員は、勉強不足じゃない?」

「でもね、メンデス議員のような、疑い深い硬派も必要なの。市民社会の治安は、市民たちが自分で守るのが本当なのだから。違法強化体に頼るのは、本当は、良くないことなのよ」

 そうなのかな。自分たちで守れないから、あるいは守る気がないから、姉さまたちにすがっているんじゃないの。違法強化体が犯罪者と戦って死んでも、市民の側は何も損をしないから。

「市民たちって、ずるくない?」

 あたしが言うと、二人とも、少し困ったように微笑む。

「仕方ないのよ」

「普通人は、戦う訓練をしながら成長するわけじゃないからね」

「辺境の恐ろしさも、本当にはわかっていないし」

 だけど。あたしだって、お祖母さまやシレール兄さまに厭味を言われながら、黙々と戦闘訓練しているのに。

   ***

 翌朝、ルディが迎えに来た。ちょっと離れた遊園地に行くために、護衛官の運転する車で来てくれたのだ。

「行ってらっしゃい」

 姉さまたちに見送られて、あたしたちは海岸のコテージを離れた。姉さまたちは船を借りて、一日、海で遊ぶという。あたしも海に行きたかったけれど、遊園地も捨てがたい。まあ、海は逃げないから、明日でもいいわよね。

「ダイナさん、今日もお綺麗です。お姉さま方もお綺麗ですが、ダイナさんが一番、光り輝いています」

 ルディが本気で褒めてくれるので、それには救われた。

「ありがとう」

 あたしはアプリコット色のミニのツーピースを着て、麦わら帽子をかぶっている。自分ではまあまあ可愛いと思うものの、憧れの紅泉姉さまには、遠く及ばないとわかっている。

 背の高さ、グラマー度、豪快さ。

 でも、世の中には、あたしの方が紅泉姉さまより綺麗だと思ってくれる男性が……たとえ十二歳でも……存在するのだ。

 それに、ルディは〝リリス〟を認めてくれた。今日はそのことに感謝して、ルディと一緒に遊園地を満喫しよう。辺境には、こういう娯楽施設がほとんどないのだから。

  ***

 思ったよりずっとずっと、遊園地は楽しかった。あたしはジェットコースターや自由落下タワーで悲鳴を上げ、幽霊が出る恐怖の館でルディにしがみついた。おとぎの国の馬車や、本物の石炭で走る蒸気機関車に乗った。巨大迷路にも挑戦した。

 笑いすぎて、叫びすぎて、喉がからから。

「何か買ってきます。待ってて下さい」

 ルディはあたしを木陰のベンチに座らせ、飲み物を買いに走っていった。立派なエスコートぶりだ。

(なんていい子なの)

 あたしにも、弟か妹がいたらいいのに。

 でも、それは当面、望めないとわかっている。一族は、厳密な出生管理をしているからだ。誰かが死んだ時でなければ、次の命は生まれない。

 あたしが生まれたのは、シレール兄さまの恋人が死んだから。あたしを見る時、兄さまの目がふと悲しげに曇るのは、そのせいだ。

 一族の最長老、麗香姉さまから話を聞いた。一族の人数を増やすことは、一族の分裂につながるからだという。

(人数が増えたって、仲良くすればいいのに)

 とは思う。でも、あたしはまだ末っ子のみそっかすで、一族の基本方針に口をはさめる立場ではない。紅泉姉さまや探春姉さまだって、一族の中では、まだ若輩者扱いなのだから。

「きみ、一人?」

「どう、ぼくらと一緒に回らない?」

 陽気な声をかけられて、顔を上げた。二十歳くらいの青年が二人、にこにことあたしを見下ろしている。大学生だろうか。まあまあ、悪くない感じ。残念だわ。他の日ならよかったのに。

「ごめんなさい。あたし、今日、デート中だから」

 と笑みを作って断った。

「そっか、それは残念」

「明日の予定は? どこに住んでるの?」

 そこへ、ルディが両手に飲み物を持って、小走りに戻ってきた。青年たちはルディを見て、失笑する。

「なんだ、弟だろ?」

「子守りなんかやめて、ぼくらと遊ぼうよ」

 ルディがはっきり傷ついた顔をするのが、見て取れた。なんて無神経な青年たち。

「弟じゃなくて、ボーイフレンドよ」

 あたしはきっぱり言って、ベンチから立ち上がった。ルディににっこりしてみせる。

「ありがとう。行きましょう」

 すると、背後から肩に手をかけられた。

「ちょっと、お嬢さん」

 あたしはつい、眉がひきつる。なんて馴れ馴れしいの。シレール兄さまだって、あたしがある年齢になってからは、みだりに触れてきたりしないのに。

「待ちなよ。そんなチビが、ボーイフレンドのわけないだろ」

「ぼくらと行く方が、楽しいよ」

 呆れた。この人たち、図体は大きいけれど、まだガキなんだわ。

 あたしはくるりと向き直り、笑顔で言った。

「わかったわ。遊びましょう。あなたたち、水遊びは好き?」

 返答は待たず、青年たちを一人ずつ、横手の池めがけて投げ飛ばした。もちろん、怪我をさせないように手加減して。

「ぶはあっ!!」

「何だよ、何するんだよ!!」

 ずぶ濡れで岸に這い上がり、抗議してくる青年たちに、他の客たちが呆れた視線を投げる。はしゃぎすぎて、羽目をはずしたと思ったらしい。

「ママ、あのお兄ちゃんたち、だめだよね。池で泳いじゃ、いけないんでしょ?」

 という声も聞こえた。あたりに広がる、くすくす笑い。

「どう、頭が冷えたでしょ」

 形勢不利と見た青年たちがそそくさ逃げだしてから、あたしは落ちた帽子を拾ってかぶり直し、ルディに手を伸ばした。

「ありがとう。飲み物、もらうわね」

 彼らもこれで少しは、礼儀というものを学んだはず。

 でも、それからしばらく、ルディが落ち込んでしまった。

「あんな連中くらい、ぼくが追い払えないなんて」

 と世にも惨めな顔で、肩を落としている。

「仕方ないわ。年齢差があるもの。五年後なら、滅多に負けたりしないわよ」

 と慰めた。五年後のルディは、誰から見ても、立派な模範青年になっているに違いない。

 そのうちルディは、決意した顔で拳を握りしめた。

「ぼく、空手か拳法を習います。そして、ダイナさんを守れるように、強くなります。五年、待っててください。そしたら、ダイナさんの騎士になりますから」

 あたしは思わず、感動してしまった。五年後のルディとデートできたら、どんなに楽しいか。

 でも、その時でも……強化体であるあたしの方が、はるかに強い。それを知ったら、ルディは、あたしとデートしたいとは言わないだろう。紅泉姉さまが、いつも嘆いている。大抵の男は、自分より強い女は避けて通るって。

 大体、あたしが次に市民社会に来られるのは、いつのことか。そんな機会は、二度とないかもしれない。あたしは微笑みを作り、

「ルディ、ありがとうね。楽しみに待つわ」

 と心から言っておいた。再会することは、たぶんないだろう。五年のうちに、ルディはきっと、他の女性を好きになるだろうから。

   ***

 夕方、たっぷり遊んで満足したあたしたちは、車でルディの別荘まで戻ってきた。ここでルディを降ろしてから、護衛の人たちが、あたしをホテルのコテージに送ってくれるという。

「ぼくが送る役なのに」

 とルディがむくれ気味に言うけれど、あたしの方が年上だから、先にルディを帰宅させないと。

「ただいま帰りました」

 ルディが護衛のシン氏と一緒に玄関に入ってから、玄関前に停めた車の中で少し待った。カリーナさんかお祖父さまがいれば、挨拶に出てくるかもしれないから。

 その間に車の中で、もう一人の護衛官の佐藤氏に、

「今日は一日、ありがとうございました」

 とお礼を言った。彼ら二人とも、本来はメンデス議員の護衛だけれど、家族にも護衛の必要があるから、付いてきてくれたのだ。このバカンス中、護衛官は二人一組で行動し、カリーナさんにもルディにも、外出時は最低一組が付く。

「どういたしまして。遊園地は久しぶりで、楽しかったですよ」

「でも、乗り物には乗れなかったでしょ」

 彼らは少し離れて、常にあたしとルディを見守ってくれていた。あたしをナンパした青年たちが、もう少ししつこかったら、いさめに来てくれたはずだ。

 あたしが彼らを軽く投げ飛ばしたことは、帰り道の楽しい話題になっていた。おかげであたしは、柔道の黒帯だと言い訳する羽目になったけど。あたしがもし、正式な段位を取ったら、いったい何段になるのだろう?

「周囲を見ているだけで、十分楽しかったですよ。遊園地なんて、何年ぶりだろう」

 佐藤氏には奥さんと娘さんがいるけれど、任務が忙しく、なかなか一緒に遊びに行けないという。

「妻も仕事を持っているので、互いの休暇が、なかなか合わせられなくてね」

 ところが、ルディが転がるように飛び出してきた。

「佐藤さん、大変です。みんな、倒れてる。シンさんが、ぼくらは車にいろって」

 佐藤氏は、瞬時にプロの顔になった。手首の端末で、あちこちに連絡を取る。どうやら、屋内にいた護衛たちとは連絡が取れないらしい。

「非常事態です。二人は車で、ホテルに行って下さい。すぐに応援部隊が来ますから」

 車は自動で走ることができる。彼はあたしたちを残して、別荘の裏手に回った。でも、あたし、このまま立ち去っていいんだろうか。もしかしたら、何か役に立てるかもしれないのに。

「そうだ、姉さま」

 腕の端末で、紅泉姉さまに連絡した。今はクルーザーで海上にいて、ホテルに隣接した港の近くまで戻ってきているという。

「ダイナ、立ち入るんじゃないよ。すぐに本職が駆け付けるんだから、ルディとそこから離れなさい」

 そう指示されたことで、逆に腹が決まった。これは願ってもない、実戦のチャンスかもしれないじゃない。前に毒針で痛い目に遭ってから、あたしは更に修行を積んでいる。もう一度、修業の成果を試したい。

「様子を見てくるわ。ルディ、あなたは車で離れてちょうだい」

「まさか。ダイナさんが行くなら、ぼくも行きますよ。あなたを一人にはしません」

 まあ、そうなるわね。仕方ない。

 あたしはルディを背中にしながら、玄関に近づき、そろそろと屋内に入った。男女の護衛官たちが、あちこちに倒れている。昏睡しているようだ。撃たれた傷はないから、麻痺ガスか何かだろうか。

 うわっ、と悲鳴が聞こえた。二階からだ。

 あたしはルディにここで待つよう手で合図してから、足音を殺して階段を駆け上がり、二階の廊下から、周囲の部屋をうかがった。開け放した扉が幾つもあるが、その一つの向こうで、誰かがドサリと倒れたところ。

 佐藤氏だ。お腹にナイフが刺さっている。血がどくどく流れているが、すぐ救援が来るはずだから、死にはしない。

 その向こうのバルコニーにいるのは、青いワンピースを着たカリーナさんだった。手すりに背中をつけたまま、こちらを見ている。服にも手にも血がついているが、何が起こったかわからない、という顔だ。恐怖のあまり、口をきくこともできないらしい。

 あたしは身を低くしながら、手を差し伸べた。

「カリーナさん、こっちへ来て下さい。犯人の姿を見ましたか?」

 背後で、あたしを追ってきたルディが叫んだ。

「叔母さん!!」

 信じられない。カリーナさんがあられもなくスカートの裾を乱して、手摺りの上によじ登っている。手摺りのすぐ下には、わずかな植え込みがあるけれど、その先は崖のはず。崖下は海。昨日のディナーの時、ちらりと見た限りでは、とても普通人が飛び込める高さではない。

 あたしが止めるより早く、カリーナさんは宙に身を投げていた。死ぬつもりか。

 でも、あたしなら死ぬことはない。実際には、カリーナさんが手摺りによじ登っているうちに、床を蹴って飛び出していた。

 夕暮れの空に、ダイブする。

 すぐ下を、カリーナさんが落ちていく。

 手を伸ばして、カリーナさんの足首を掴んだ。たぐり寄せて、胴体を抱く。下は、波が打ち寄せる岩礁。崖がすぐ背後にあった。落下しながら岩壁を足で蹴り、より深い水面に飛び込むことを目指す。

 岩の隙間。あそこなら深そうだ。

 そして、カリーナさんを抱いたまま、頭から水面にぶつかった。自分の頭を守るため、片腕だけ頭上にかざして。

3章 ルディ

 室内に取り残されたぼくは、腰が抜けていた。

 叔母さんが、落ちた。ダイナさんも。なぜ、こんなことに。

 祖父に護衛が付いていることは、とうに当たり前の光景になっていた。でも、本当にこんな異変が起こるとは、思っていなかった。

 足音がして、振り向いたら、顔馴染みの護衛官のお姉さんがいた。けれど、ぼくが何か言う前に、彼女は銃を持ち上げた。そして、腹を刺されて倒れている佐藤氏に向けた。

 そんな。

 数発の銃声がして、佐藤氏の顔面が砕けた。あまりにも簡単に。彼女はその銃口を、ぼくの方へ向けた。無感動な顔のまま。

 撃たれる。

 映画なら主人公は身軽に避け、反撃するが、ぼくは身動き一つできなかった。声も出なかった。ただ、銃口を見つめていただけだ。

 でも、撃たれなかったのは、銃口が横にそれたからだ。

「お待たせ!!」

 崖に面したバルコニーに、ひらりと降り立った人がいる。ダイナさんの従姉妹のお姉さん、サンドラさんだ。なぜまた、そんな所から登場したのか、まったくわからない。

 護衛官のお姉さんが撃った。でも、サンドラさんは既に身をかわしている。次の瞬間、護衛官のお姉さんの方が後ろに倒れた。胸から鮮血を噴き出して。

 サンドラさんが小石を投げたのだということは、後からわかったことである。強化体が投げれば、小石は銃弾と変わらない威力を持つのだ。

「ルディ、怪我は?」

 ようやく、声が出た。

「ぼくより、ダイナさんと叔母さんが!!」

4章 紅泉

 メンデス議員は胸を刺されて重態だったが、治療が間に合い、助かった。薬で眠らされていた護衛官たちも、回復している。

 死者は一人だけ、頭を撃たれた佐藤護衛官である。残された妻と娘にとっては、取り返しのつかない悲劇だ。

 あたしとしては、護衛庁の職員だけでなく、司法局の捜査官たちも護衛チームに加わっていればよかったと思うのだが、何しろメンデス議員が司法局嫌いだったから。

 ダイナは葬儀に行きたいと願ったが、あたしたちで止めた。そんなことをしても、遺族には何の役にも立たない。むしろ、余計なことを考えさせてしまう。佐藤氏は殉職した、それだけのこと。遺族は何年もかけて、そこから立ち直るしかない。

 飛び降り自殺を図ったカリーナも、同僚を撃ったソルバス護衛官も、命を取り留めた。詳しい経緯は調査中だが、街へ買い物に出たカリーナと護衛のソルバスの二人が、どこかで深層暗示をかけられたらしい。メンデス議員を殺せと。もう一人の付き添いの男性護衛官は、精神操作を免れている。

 すると、彼女たちが立ち寄ったブティックの店員が関わっていたのか、あるいは公園やレストランのトイレで仕掛けられたのか、それとも他の方法だったのか。

 彼女たちは別荘に戻ってから、暗示を与えられた通りに行動して、他の護衛たちを薬物入りのお茶で眠らせた。そして、同様に眠っているメンデス議員を、カリーナが果物ナイフで刺した。

 もちろん、素人の一刺しでは殺しきれない。いったんナイフを抜いて、とどめを刺そうとした時に、ルディたちが帰宅したわけだ。

 ソルバス護衛官がシン護衛官をおびき寄せて片付けているうちに、カリーナが佐藤護衛官を油断させて、そのナイフで刺したらしい。

 あたしたちはクルーザーを飛ばして、崖下に付けていた。カリーナを抱えて落下したダイナは探春に任せ、あたしは岩から岩へ飛び上がって崖上に出たのである。

 カリーナが崖下へ飛び降りたのは、暗殺を果たしたら、もしくは邪魔が入って失敗したら自殺しろ、と命じられていたためらしい。ソルバス護衛官も、ルディを殺したら、自殺していたはずである。

 ダイナはカリーナをうまくかばって、海に落ちた。もう少し崖側にずれていたら、浅瀬の岩に激突したはずだから、その時は二人とも、想像したくないことになっていたはずだ。

 強化体といえど、限度というものはある。本当は、ダイナが飛び込む必要はなかった。ルディを守り、メンデス議員の身柄を確保すべきだったのだ。

 しかし、強く叱るのはやめにした。結果として、一人の命を救ったのだから。

 ダイナは検査だけで退院し、腕を骨折していたカリーナは、そのまま入院となった。残る人生で、再びおかしな深層暗示が浮上しないよう、慎重な治療と監視が必要になる。

 部下から報告を受けて喜んだのは、ミギワ・クローデルだ。

「やはり、あなたの妹分だけあるわ。素晴らしい度胸だこと。いずれまた、別の機会に会いたいものね」

 やれやれだ。あたしたちはもう、司法局と深くつながってしまったから仕方ないが、ダイナに同じ道はたどらせたくないというのに。

 小悪党など、いくら狩ってもきりがない。犯罪というのは、人間という種の、根源的な欲望から来ているからだ。

 強い欲望を犯罪と呼ぶ方が、むしろ狭量である。正義というのがそもそも、人によって、時代によって違うのだから。

   ***

 探春はダイナを連れ、司法局員たちの事後処理や記録作成などに立ち会っている。ダイナには、いい勉強になるだろう。

 落ち込みがひどかったのは、ルディである。メンデス議員やカリーナ、護衛官たちを入院させた病院で、知らせを受けたルディの両親が来るのを待つ間、あたしが付き添った。

「ぼく、何の役にも立ちませんでした……腰が抜けたみたいになっていて」

 ルディはすっかりしょげていたが、普通の十二歳なのだから、それで当然だ。

 しかし、自分をしっかり者だと思っていたルディには、強い屈辱になったらしい。ダイナが戦闘用強化体であり、辺境の人間だと知ったことでも、ショックを受けていた。

「ぼく、失恋決定ですね」

「おや、どうして?」

「だって、あんな腰抜けのざまじゃ、とても、ダイナさんには相手にしてもらえません。これからだって、ダイナさんより強くなるなんて、無理だろうし」

 可愛いことを言う。あたしなんか、こんな純情な男の子に好かれたら、それだけでもう十分なのに。

「これから、強い男になればいいじゃない? 強いっていうのは、腕力だけのことじゃなくて、人格的な意味でだからね。人柄が信頼できるってのが、一番大事なことなんだから」

 すると、ルディは顔を上げ、努力してにっこりした。

「ありがとうございます。サンドラさん。いえ、リリーさんですよね。まさか、本物の〝リリス〟に会えるなんて、思っていませんでした」

 よしよし。男性の賛美は気持ちいい。心が潤う。

「でも、〝リリス〟に会ったことは内緒だよ。あたしたちは、ただの観光客だからね」

 人差し指を唇に当てて、念を押した。

「わかってます。誰にも言いません。両親にも、友達にも」

 さすがは政治家の孫、機密の重要性がわかっている。

「ぼく、絶対、強くなります。人間としてね。いつかダイナさんに再会した時、真正面から顔を見られるように」

 ま、夢を持つのはいいことだ。

 でも、ルディには気の毒だけど、あたしは、ダイナの伴侶になる男は、他にいると思っている。その男は、ダイナが一人前の女性になる時を、辛抱強く待っているのだ。ダイナはまだ、他所に自分の王子さまがいると思っているらしいけど。

5章 シレール

 ダイナが《ティルス》に帰ってきた。二か月ぶりだ。わたしは昨夜からそわそわしていて、仕事も手につかない状態だったが、ダイナが挨拶をしに来た時には、書斎で書類を読むふりをしていた。

 まだ、もう何年かは、厳格な教育係でいなければならない。一人の男としてダイナに接するのは、ダイナをきちんと成人させてからのことだ。

 そもそも、今のダイナは、わたしを男だとは思っていない。ただの口うるさい、育ての親だ。いつか、その見方が変わってくれるかどうかも、まだわからない。

 サマラが死に、気力を失ったままで赤ん坊のダイナを押し付けられた時は、慌てふためき、一族を恨みもしたのだが……

 成長する子供は、わたしの憂鬱など吹き飛ばした。いつからか、ダイナがわたしの全てになっている。一族の仕事をきっちり果たすのも、それがダイナの生活基盤になるからだ。

 ハンターなどに憧れる、困ったお転婆娘ではあるのだが……

「シレール兄さま、ただいま戻りました。心配かけて、ごめんなさい」

 明るい声をかけられてから、初めて気づいたかのように、顔を上げる。紅泉と探春からは、マダム・ヴェーラの元に報告があった。滞在したリゾート地で議員の暗殺事件に巻き込まれ、人命救助をしたと。

 わざわざ、市民社会などに行かなくていいのに。平和な社会に馴染んでしまったら、また行きたいと思うようになるではないか。

 そうしたら、紅泉たちのように、向こうを本拠とするようになるかもしれない。わたしは、この《ティルス》と姉妹都市に縛りつけられているというのに。

「いや、特に心配はしていなかった。おまえには、良識というものを教えたはずだからな」

 わたしが冷淡に言うと、淡い緑のワンピースを着たダイナは、肩を縮めるようにする。

「崖から海に飛び込んだのは、ちょっと危なかったかも。でも、とっさだったので、考える暇がなくて」

 この子は紅泉と同じだ。平気で危険に飛び込む。わたしはこれからずっと、はらはら、どきどきさせられるだろう。

 だが、それがダイナなのだから、仕方ない。太陽を浴びる向日葵のように、明るい力に満ちている。

 一通り、遊園地だのクルーザーだのダイビングだのの報告をしてから、

「そうだ、兄さまに、市民社会のお土産持ってきたの」

 ダイナは自慢そうに、掌を差し出した。薄いケースに入れた、灰色の小石? ただの花崗岩質の石ころのようだが。

「これ、地球の石なんですって。ルディにもらったの。ルディのご両親が、新婚旅行の時、記念に買って帰ったものなんですって」

 その少年は、ダイナを熱烈に賛美していたと聞いている。これから先、そういう男が何人も現れるだろう。ダイナはまだ、わかっていない。紅泉に憧れたりせずとも、ダイナ自身が、まばゆい宝石なのだ。

「それは、貴重なものだな。ありがとう」

 と一応受け取り、礼を言った。わたしは別に、地球に憧れてはいないのだが。はるかな昔、人類はその星から出発した。だが、今ではもう、忘れられた揺り籠のようなものだ。人類の前には、無限の星の海がある。

「じゃあ、勉強してきます」

 ダイナが立ち去ってから、わたしは改めて、地球の小石を手に取った。辺境の違法都市で暮らすわたしは、おそらく、永遠に地球を訪れることはない。だからダイナも、貴重な土産になると思ったのだろう。

 だが、これは、ダイナに恋する少年が、思いを込めてダイナに贈った品。恋敵の手に渡ったと知ったら、彼はさぞ悔しがることだろう。

 わたしは苦笑して、棚の引き出しに、その石を仕舞い込んだ。

 とにかく、今回は、生きて戻ってきてくれた。そのことに感謝する。もし、いつか、ダイナが戻らない時が来たら、わたしの人生も、そこで終わりになるのだから。

   『ブルー・ギャラクシー ルディ編』 完

 続編は『ブルー・ギャラクシー 乙女の楽園編』になります。前段は『サマラ編』『初陣編』『ユーシス編』など。
 姉妹編は『ミッドナイト・ブルー 茜編』『グリフィン編』『ハニー編』などです。
 このブルー・シリーズは『レディランサー』のシリーズに連結します。『アイリス編』『ドナ編』『ティエン編』などをご覧下さい。

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