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古典リメイク『レッド・レンズマン』11章-1

11章-1 クリス

 知らなかった。誰かからの連絡を待つことが、こんなにも心の張り合いになることだなんて。

 アイヒ族の本拠地を探すキムからの精神接触は、不定期にあった。数日に一度。彼は訓練や調査で忙しいらしく、ほんの数分の、短い接触にすぎない。

 でも、わたしに連絡が取れて嬉しいと思っているのがわかったし、わたしもまた、触れ合うことに心が弾む。

 これが恋愛なのか、それとも、同情と意地の入り混じった何かなのか知らないけれど、とにかく、キムの無事が確認できれば、それでしばらく、わたしも自然に顔がゆるんでしまう。

 もちろん職場では、努めて、厳しい顔を保つ努力をしているけれど。それでも大半の隊員たちは、わたしが後ろを向くとすぐ、互いににやにやと、視線を見交わしている。そのくらい、レンズがなくてもわかるのだ!!

 キムと心の接触をする時、レンズマンの機密に属するようなことはわたしも聞かないし、彼も語らない。でも、じかに会うのと同じくらい、幸せな時間だった。

《けっこう遠くでも、届くものですね》

《リックとだったら、銀河の反対端でもいけるかもしれない。あなたとは、どこまで記録を伸ばせるかしら。限界に挑戦してみてよ》

《それもまた、訓練ですね。やりましょう》

 などという他愛ない遣り取りができるだけで、単純に嬉しい。人が幸せになるのは、こんなに簡単なことだったのだ!! わたしはこれまでの人生、無駄に突っ張りすぎていたのかも。

 幾度も精神感応を繰り返して、

《これは、精神波の相性なんですかね》

 とキムは感心していた。他のレンズマンとレンズで交信するより、わたしと精神感応状態になる方が、はるかに深くて明瞭なのだそうだ。

《相手のイメージを、はっきり描けるといいみたい。うちの両親は、よく、遠距離で精神感応してたわ》

《じゃあ、うちの両親も、そうだったかもしれないな。父が死んでから、母にはあまり、父のことを尋ねないようにしていたから》

 わたしのキムは、まだ、生きていてくれる。元気に活動している。そのことを、わたしからエレーナにも伝えられるし。

 惑星バージリアの最高司令部では、新たに発見されたライレーンというロスト・プラネットへの使節団の編成を進めていた。

 表向きは通常の外交だけれど、実際には、デッサの出身地ではないか、もっと他にも工作員を送り出しているのではないかという疑いを確認するためなので、ほとんどパトロール隊の最新鋭艦隊と言っていい。

 わたしはその代表を仰せつかり、諸々の準備を進めていた。もっとも実際には、同行するリックと他のレンズマンたちがレンズで調査を行うから、わたしの役目は単なるカバーだけれど。

 ライレーン人は昔、女だけで地球を出発した移民団の子孫らしい。当時はまだ女性の地位が低く、男たちの横暴にうんざりした女たちが、女だけの文明を築くために旅立ったようだ。

 彼女たちは卵子を刺激して、女だけで子供を作り、人数を増やしてきたという。その過程で、遺伝子操作もしてきたらしい。より強く、賢くなれるように。

 現在のライレーンの代表者は、女王ヘレンと名乗っている。最も強く賢い者が、前の女王に指名されて、次の女王になる仕組みだという。選挙などという、無駄な行為はしないそうだ。

 ヘレンはデッサのことを認めるのか、それとも、そらとぼけるのか。あるいは、全く無関係なのか。

 ライレーンの上層部の女たちは、遺伝子操作のためか、心を隠すのが巧みで、最初に接触したレンズマンたちには、心の表層しか読ませなかったというのだ。ますます怪しい。

《ぼくも今度は、用心してかかるよ》

 とリックが思考を投射してきて言う。デッサの背後に未知の種族がいると見抜けなかったことを、自分の失態と感じているのだ。

 まあ、デッサもレンズマンに対しては相当、用心していただろうから、無理もないけれど。

 ライレーンに接近したら、パトロール隊員は全員、改良型の思考波スクリーンを身につける。艦隊そのものも、思考波スクリーンで防護する。それならば、デッサが使った精神破壊装置と同じ武器で攻撃されても大丈夫だという。

 もし、それでも防げないくらい危険な相手だったら、

《最悪の場合、ライレーンそのものを、物理兵器で破壊することもあり得る》

 とリックは告げてきた。

 遠距離からのビーム砲やミサイル攻撃、もしくは小惑星爆弾であれば、ライレーンの科学力では防ぎきれないだろう。惑星はマグマの海となり、あるいは砕け散り、住民も野生動物も残らず消滅という、悲惨な結末になる。

 けれど、いくら何でも、それはやりすぎだろう。支配階級の女たちを除けば、一般の女たちは、何も知らないのではないだろうか。

《すぐ全面破壊だなんて、物騒なことを。精々、包囲網を作って、彼女たちを孤立させておけばいいだけよ。ライレーンの技術力は、パトロール隊よりもずっと低いんでしょ?》

 つまり、わたしが上手くやればいいのだ。ヘレンに隙を作り、リックが彼女の心を読めるようにすればいい。あとはリックの仕事だ。

 レンズを持たなかったキムが、咄嗟の防備でかろうじて自分の心を守れたのだから、ベテランのリックなら、もう少し有利に戦いを運べるはずだ。

 ***

 それは、そんなに遅い時刻ではなかった。最高基地の外に広がる、一般人用居住区のビルの一室だ。

 他の部屋では、まだみんな起きていて、映画を見たり、酒を飲んだりしているだろう。なのに、ヘンリーが床に倒れたまま、動けないでいる。

 わたしもまた、手足がしびれ、声も出なかった。落ちて転がったティーカップの周りに、紅茶の池ができている。ケーキ皿が割れ、せっかくのケーキが飛び散っている。

 なぜ、こんなことに。

 夕方、司令部での勤務を終えたわたしは、宿舎で私服に着替え、手土産のケーキと花を持って、イロナの私室を訪ねた。もう何度も遊びに来て、すっかり気心が知れている。

 すぐにヘンリーも、ワイン持参でやってきた。わたしがライレーンに出発する前にと、イロナが会食に誘ってくれたので。

 美味しい手料理。冷えたワイン。いつもと同じ、楽しい会話。

 デザートにさしかかった頃に、しびれがきた。食事に何か入っていたのだ。迂闊だった。よくも今日まで、正体を隠しおおせてきたものだ。こんな若い娘が、ボスコーンの刺客か何かだったなんて。

 厳格な身元調査の後で、このバージリアに入星を許された者に、誰も疑いの目を向けることはない。ただ、不定期の監査があるだけだ。それも、ごくたまに。だからイロナも、この部屋が特に注目されることはないと踏んで、行動に出たのだろう。

 この私室には思考波スクリーンが張られているが、それは旧型のもので、特に珍しくない。個人のプライバシーのため、部屋にスクリーンを張る者は一定数いる。パトロール隊が求めた時に、スクリーン解除に応じればいいのだし、イロナは普段、個人用のスクリーンなど使わずに出歩いている。

 まさか、一服盛るという古典的手段に出るとは。

 けれど、わたしたちを殺したところで、代わりはいくらでもいる。レンズマンさえ無事なら、銀河パトロール隊は続いていく。この子の目的は、わたしではない。ヘンリーでもない。もっと上の誰か。たとえば……ヘインズ司令。

「鬼のクリスも、昔の男には甘かったわね」

 エメラルド色の華麗なミニドレスを着て、イロナは薄く笑っている。ヘンリーのことなら、昔の男というより、同級生、と言ってくれた方が正確なのに。

「心配しないで。殺しはしないわ。ただ、わたしたちの仲間になってもらうだけ」

 目がかすんでいたけれど、かろうじて見えた。イロナが片方のイヤリングを外し、それを顔の前にかざす。青紫のオパールのような、ちらちら輝く涙滴型の宝石。白い手が、それをぎゅっと握り込める。

 その途端、何かが押し寄せてきた。頭が潰れる。空間がよじれる。自分が引き延ばされる。ねじり上げられる。ぐるぐる回る渦に巻き込まれ、どこかへ押し流される。

 自分がちぎれた。また、くっつけられた。粘土のようにこね回されて、形がなくなる。ぎゅうと引き延ばされて、新しい形に作られる。

 混乱の中に、甘い声音が響いた。

 ――いい子、いい子ね。ママはここよ。何も心配しなくていいの。

 すうっと楽になった。

 そうだ、これはママの声。ママ、よかった。いてくれたのね。何だかわたし、ずっとママに会えなかったような気がして。

 わたしは小さな子供に戻っていた。暖かいママの膝の上。頭を撫でてくれる手。バニラのような甘い香り。もう、何も心配することはない。

 ――そうよ、ママがついていますからね。可愛い、可愛い、わたしのいい子。何が正しくて、何が間違っているのか、ママがちゃんと教えてあげますからね。ママの言う通りにすれば、全てうまくいくから大丈夫……

 深い安堵で、溶けそうになった。このまま、朝まで眠りたい。でも、何だろう。何か忘れているような気がする。何か大事なこと。いったい何だったかしら。

 更に甘い声が広がり、わたしの自我を溶かそうとする。

 ――みんな騙されているのよ。レンズマンが正義の味方だなんて、大きな嘘。彼らこそが、一般人を洗脳しているの。海賊や麻薬組織なんて、彼らのでっち上げ。自分たちの権力を維持するために、敵が必要なのよ……

 それはケーキに染み込む蜂蜜のような、粘度のあるささやきだった。聞いているうちに、頭の芯まで染み通ってくる。

 レンズマンは悪者。レンズマンは敵。

 うっとりするような眠気に誘われながら、頭のどこかでおかしい、と感じ続けていた。あまりにも、心地よすぎる……両親が殺されてから、わたしは常に用心し続けてきた。敵はどこにいるか、わからない。わたしがリックを守らなくては。

 なのに、レンズマンが嘘をついてる?

 他のレンズマンはともかく、リックは違うわ。敵には冷酷だけれど、私利私欲のためには動いていない。あの子は、わたしに隠し事なんか、できないのだもの。

 ヘインズ司令だって、ウォーゼルだってそう……精神感応状態になれば、彼らの誠実な心はわかるのよ……ああでも、レンズを女が使えないなんて、それだけは信用できない……

 わずかに動かした指先が、何かに触れた。尖ったかけらのようなもの。無意識のうちに、それをぎゅっと握っていた。皮膚が破れ、血が流れだす。痛みで目が開いた。割れた皿の破片。

 はっとして、神経に警報が走った。わたし、床に倒れている。そうよ、ここはイロナの部屋。ヘンリーも倒れている。

 泥のようにだるい肉体を、努力して持ち上げた。その動作によって、また少し頭がはっきりする。目の前に、立ち尽くしている若い娘がいた。イヤリングを握る右手を前に掲げながらも、愕然とした様子。

「なぜ……なぜ動けるの!?」

 わたしは次の動作で何とか起き上がり、床を蹴ってイロナに飛びかかった。長い黒髪を掴んで腹に膝打ちを入れ、よろめいたところで、細い首に手刀を打ち下ろす。歌は上手でも、格闘はど素人だった。イロナが倒れ込み、ぽろりとイヤリングが落ちる。

 なぜ、これをわざわざ手に……?

 拾おうとして宝石部分に触れた指先から、びりっとする感電のようなショックが流れた。思わず、石を取り落とす。

 この石が、わたしを拒絶しているのだ。これは、イロナとだけ同調するものらしい。一気に目が醒め、愕然とする。

 ――レンズだ、この宝石は。

 リックたちの円形レンズと形状は異なるけれど、レンズに間違いない。日頃は半透明の被膜をかけて輝きを抑え、直接、皮膚に触れないようにしていたのだろう。レンズとして使用しなければ、レンズマンたちに怪しまれることはないだろうから。

 急いで部屋を横切り、思考波スクリーンの電源を切った。今ではリックもキムも、旧型の思考波スクリーンを透過して思考を送れるけれど、こちらから異変を知らせなければ、あえて個人の部屋に侵入することはしないだろうから。

《キム!! リック!!》

 わたしの心の叫びで、すぐさま、二人のレンズマンが精神接触してきた。そして、瞬時に状況を読み取る。無邪気な娘に見えた新人歌手が、違法なレンズの使い手だったという重大事を。

《すぐ、この子の背景を調べさせる。デッサの仲間かもしれない》

《クリスさん、よく洗脳されませんでしたね》

《何とか、かろうじて……幸運だったわ》

 わたしはレンズマンの娘であり、レンズマンの姉でもある。子供の頃から精神接触や往復精神感応に慣れている、その効果だろう。

 おかげで二人の男が、わたしに隠していた情報を感じ取ることができた。レンズマンたちは、とうに敵のレンズの存在を――ブラック・レンズのことを知っていたのだ!! そして、それをレンズマン秘としていた!!

「そうなのね。デッサも、ブラック・レンズを持っていたのね。だからあれだけ、大量の殺戮ができたのね。精神破壊装置なんて、嘘。いえ、レンズこそが、大量虐殺兵器なんだわ」

 キムとリックが、戸惑い気味の思考を交換するのがわかった。

《すみません。機密を洩らすつもりはなかったんですが……》

《うっかり、こちらの心に触れさせたからだ。姉さんは昔から、ぼくの隙を突くのが上手かった。まあいい。姉さんは、ヘインズ司令の片腕なんだから。いつまでも隠してはおけないさ》

 横に倒れているヘンリーは放っておいて(洗脳がまだ完了していないといいのだけれど)、わたしはイロナを後ろ手に縛り上げた。それから活を入れると、黒髪の娘はうめいて意識を取り戻した。たぶん、もう二、三分もすれば、レンズマンの一団がここに踏み込んでくる。わたしに与えられた猶予は、その数分のみ。

「あ……?」

 イロナは目の前にぶら下げられた涙滴型の宝石を見て、ぎょっとした。わたしは宝石に手を触れないよう、留め金の部分をつまんで持っている。

「返せ!!」

 イロナは、演技を忘れた本音の叫びを上げた。さっきまでの可愛い子ぶりっ子はどこへやら、手負いの牝猫のようだ。

「それはわたしのものだ、おまえなんかには使えない!!」

「まあ、そう」

《姉さん、やめろ、あとはレンズマンに任せろ》

 と警告してくるリックの声は、無視した。普通人を、なめるんじゃないわよ。よくも、こんな重大なことを隠していたわね。

 わたしはキャンドルの火を宝石に――ブラック・レンズに近づけた。

「でも、ずいぶん危険な代物らしいから、破壊してしまった方がいいかしらね」

「やめろ!! 無茶なことをするな!!」

 これが本当にレンズなら――パトロール隊のレンズと同等のものならば――こんな炎程度では、びくともしないはず。酸にもアルカリにも耐えられるし、高圧でも砕けない。おそらく、恒星の中に放り込んでも、耐えるのではないだろうか。実際、蝋燭の炎がかすめても、レンズは何ともない。ただ、黒いすすがついただけ。

 持ち主であるレンズマンが生きている限り、レンズも生き続ける。それは、レンズマンを父と弟と恋人と上司に持つわたしが、誰よりもよく知っている。

 イロナは自由になろうとしてもがいたが、無駄なこと。

「どうせ、レンズマンに尋問されたら全部知られてしまうのだから、素直にお話しなさいな。誰にこれをもらったの?」

 この子が素直にしゃべるとは思っていない。ただ、かけらでもいいから、真実に近付く手掛かりが欲しかった。わたしはレンズマンたちの合議には、参加させてもらえないのだから。

 今この瞬間にも、リックは、この子の心をかすめる思考を読み取っている。ただ、イロナがそれなりの訓練を積んでいるなら、ある程度は心を隠せるだろう。

「おまえたちのためだ!!」

「えっ?」

「男種族に支配されているおまえたちを、わたしたちが解放してやる!! 同じ女だからだ!! だから、わたしに協力しろ!! おまえだって本当は、レンズマンたちを信用ならないと思っているんだろう!! 男しかレンズマンになれない世界を、おかしいと思っているんだろう!!」

 男種族から……解放?

 何を聞くとしても、こういう話は予期していなかった。

「どういうことなの。ちゃんと聞くから、話してちょうだい」

 あと一分かそこら。わたしはイロナの上体を起こしてやり、床に座って同じ高さになった。彼女は絶望的な顔をしていたけれど、わずかな希望を託して訴えてくる。

「レンズマンが嘘をついているのは、本当だ。レンズは、人類の科学者が作ったものなんかじゃない。大昔から存在している、アリシア人という超種族に与えられたものなんだ……!!」

 何ですって? アリシア人!?

 わたしの知識では、彼らは、田舎惑星に閉じこもっている偏屈な種族だけれど。その彼らが銀河文明にレンズを与えたのだと、イロナは言う。

 この銀河に……いいえ、もしかしたら、この宇宙全体に君臨している、神のような種族。彼らの真の姿を知るのは、レンズマンだけ。そして彼らは、その事実を一般人から隠し続けている。これからも、レンズを与えてもらうために。

 そこで、最高基地の警備にあたるレンズマンたちが駆け込んできた。もう、わたしには何もできない。

「イロナはこちらで連行します。そのレンズもこちらへ」

 黙って脇へどいて、連行されるイロナを見送った。少なくともわたしは、考える材料を手に入れた。ブラック・レンズにアリシア人……壮大な詐欺ではないか。もしもアリシア人が、ブラック・レンズを敵陣営に……ボスコーンに与えているのなら。

 ヘンリーも病院へ運ばれたので、わたしはヘインズ司令に簡単な報告を済ませてから、自室へ引き取った。

 今夜中に、レンズマンたちはイロナを取り囲み、徹底的な尋問を行うだろう。そして、それをレンズマン同士で共有するだろう。

 明日、わたしがその知識を知りうるかどうかは……疑問だ。彼らはブラック・レンズの件を、内々で片付けようとしているのだから。

 デッサとイロナ。惑星ライレーン。男を敵視する女たちの星。そしてブラック・レンズ。

 むらむらと闘志がこみ上げたのは、騙されていた怒りのためだ。人類の天才科学者がレンズを発明したなんて、よくもまあ……堂々と、歴史の教科書に載せてくれて。

 ライレーンへの遠征が、心の底から楽しみになってきた。もしかしたら、わたしは……ライレーンの女たちと、共闘することができるかもしれないではないか。

   『レッド・レンズマン』11章-2に続く

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