恋愛SF『ブルー・ギャラクシー ユーシス編』3章-3
3章-3 紅泉
その晩は、探春がナギを助手にして作ってくれた日本料理を堪能した。刺身と天麩羅、菜の花のお浸し、そら豆のサラダ、豚バラ肉と大根の煮込み、筍の炊き込みご飯、はまぐりのお吸い物。デザートには、黒蜜をたっぷりかけた葛切り。
生真面目な探春は、
「季節がごっちゃになってしまって」
と残念がるが、惑星上には色々な気候帯があり、店には何でも売っているのだから、好きなものを食べて構わないではないか。
それから、コテージ下の海岸に降りて花火をすることにした。海はもう真っ暗だが、建物の明かりがちらほら映っているし、星明かりもある。
「あたし、好きなんだ、これが」
ロケット花火に手持ち花火、あれこれ揃えて端から楽しんだ。暇そうな通行人にも声をかけて、五分なり十分なり、一緒に遊んでいってもらう。ホテル本館で食事した客たちが、ぶらぶら浜に散歩に来るのだ。
「わあ、花火なんて久しぶりですよ」
「そういえば、今年の夏は花火をしなかったなあ」
「たくさんありますから、どうぞ遠慮なく」
こういう触れ合いができるのが、市民社会のいいところだ。辺境では一族以外、誰にも気を許せないから。
ユーシスは線香花火が気に入ったようで、飽きずに幾度も火をつけていた。はかない火玉が赤く燃え、金色の火花を飛ばし、最後に力尽きてぽとりと落ちるまで、しゃがんだまま、じっと動かずに見守っている。
何か、心に響くものがあるのだろう。一つでも、好きなものが増えるのはいいことだ。いずれ死ぬまでの日々、少しでも多く楽しまないと。
星空にロケット花火が上がり、華やかに破裂してあたりを照らし、火の粉が落ち尽くすと、また闇が戻ってくる。
花火の良さは、闇の深さを再認識できるところにあると思う。闇がこの世の本質であり、光はほんの一瞬の奇跡にすぎないことを思い出させてくれる。この自分もいつか、闇に溶けるのだ。
――あたしはこの世に、本物の不死があるとは思わない。不老処置を繰り返したり、機械と融合して意識を拡大したりしたところで、人間同士の争いはなくならないだろう。生きることに疲れて、死を願うこともあるだろう。
意識を拡大する『超越化』こそ、真の不老不死をもたらすという話だが、成功した者がいるのかどうかは不明である。真偽不明の噂だが、実験に使われたバイオロイドたちは軒並み発狂したり、暴走したりして、始末されたとか。
有力組織では研究を進めているだろうが、成功しても、外部には決して洩らすまい。それこそ、本物の怪物の誕生だろうから。
そもそも、この宇宙そのものの終わりも予測されている。どう足掻いたところで、いつかは最後の時が来るのだ。
逆に、もしも、永遠に死ねないとしたら、その方がはるかに恐ろしくないか?
あたしだったら、自分が抱えている記憶の重さだけで、潰れてしまいそうな気がする。それとも、定期的に記憶を消していくのか?
だとしたら、自分というものは何が本質なのだ? どの記憶なら捨ててよくて、どの記憶なら自分の精神の根幹だと決められる? つまらない失敗や、苦い後悔こそ、本当に大事な記憶なのではないか!?
探春も口数は少なかったけれど、一応は花火に参加してくれていた。紺地に白い桔梗の模様の浴衣姿で、赤い帯を締めているのが可愛い。素足に下駄というのも、いい風情。
あたしは自分で着物を着るのは好きではないが(動きが制限されて、ほとんど拷問ではないか!!)、探春の着物姿は好きだ。結い上げて珊瑚の簪を挿した髪、首から肩にかけての華奢な線、細い胴、丸いお尻。
女というのはつくづく、美しい形をしていると思う。あたしもスタイルには自信があるが、色っぽいというよりは、たくましいと表現されてしまう体格だからなあ。
いや、あたしは頑強な自分が気に入っているので、探春のようになりたいというのではないが。
「ほらっ!!」
あたしが火をつけたネズミ花火を投げると、探春は悲鳴をあげて飛び退いた。
「いやっ、これは嫌いだって言ってるのに!」
だって、探春がきゃあきゃあ言ってくれないと、物足りないんだもん。ユーシスは何か考え込んでいて、暗いしさ。
深い藍色の空は星が綺麗で、ホテルの泊まり客もそれぞれ小道を散策したり、広場でバーベキューしたりして楽しんでいる。あたしたちの花火を眺めていく人もいれば、大きな犬を連れて、ずうっと浜辺を歩いていく人もいる。
ホテルの明かりがこぼれているし、遊歩道の控えめな路面灯もあるから、砂浜も真っ暗ではない。ユーシスは、珍しそうに犬を見送っていた。再教育施設には、動物はいないのか。
「犬を飼いたい?」
と尋ねたら、夢見るような顔で言う。
「いつか、そうできたら」
彼の空想にあるのは、タチアナとの暮らしなんだろうな、と思ってしまった。でもまあ、初恋は破れるのが普通だから。
あたしたちは仕事柄、船で宇宙を飛んでいる時間が長いので、動物を飼おうと思ったことはない。しかし、カプセルで培養され、この世に送り出されて間もないユーシスは、まだ子供のうちだから、情操教育にいいかもしれない。
「移植手術が済んだら、犬を飼おうか。手術の前からだと、犬が混乱するかもしれないから。新しいボディは、今のユーシスそっくりの顔に仕立てるつもりだけど、犬は匂いで嗅ぎ分けるでしょ。別人だと思うと困るから」
するとユーシスは、何かためらう顔をした。
「あのう、リリーさんは、ぼくの今の躰は、やっぱり嫌いなんですよね?」
おや。
「そんなことはないよ。あたしは、鰓なんか気にしないって言ったでしょ。ただ、きみが辛いのなら、と思っただけ」
市民社会で暮らすとなれば、すれ違う人々に鰓を見られて、ひそひそ噂されるのは面倒だとは思うけど。それは、隠そうとすれば隠せるものだ。ユーシスが楽な方を選べばいい。いや、あたしと暮らすなら、やはり、余計な注目は浴びない方が安全だな。
「でも、辺境で違法な手術を受ければ、もう、市民社会に戻れないかもしれないんでしょう?」
ああ、怖いのはそれか。
「気が進まないなら、手術はしなくてもいいよ。あたしは今のきみで、何も困らないし。まあ、一緒に海やプールに入れないのが、ちょっと残念なだけ」
「今のぼくでも……こうして、付き合ってくれるんですか?」
「そう言ったでしょ。結婚を視野に入れてって。それは、きみを丸ごと引き受けるってことだよ」
この会話、波音に紛れて、探春の耳に届いていないことを祈る。ちょっと離れた場所で、散歩の老夫婦と話しているから。
赤ん坊と老人なら、男であっても『我慢しやすい』そうだ。男の子は、幼いうちは可愛くても、思春期を過ぎたら怪物になると思ってる。
でも、男というのは、獣の部分があるからこそ、魅力的なんだけどなあ。色情に弱いという点も、女に対する優しさに通じるのだから、長所として認めるべきだと思う。
世の中が女ばかりだったら、それこそ生真面目すぎて、窮屈な世界になるのではないか!?
「ぼくは最初、からかわれているんだと思いました……さもなければ、自殺させないために、適当な慰めを言っているのだと」
お、いいぞ。信頼が生じてきたからこその告白だ。
「あたしって、趣味悪いからね。頼りない男の子が可愛く見えるんだから、どうしようもない。普通はさ、頼もしい男ってのを求めるんだけど。あたしの場合、あたしが人一倍頼もしいからね」
花火の残骸を拾って、水のバケツに放り込みながら言った。ユーシスも、ぎこちない笑顔になる。
「そうですね。リリーさんよりたくましい男性は、あんまりいないでしょうね」
「こら、簡単に同意するな。あたしはあんたに、ちょっとは強くなってほしいと思ってるんだから」
今から脅したくはないが、あたしと暮らす以上、図太くならないと、暗殺ノイローゼに陥ってしまう。
するとユーシスは、自信なさげに俯いた。
「ぼくには、リリーさんに構ってもらう値打ちなど、ないと思います……」
これは、多くのバイオロイドや実験体に共通する劣等感だ。奴隷根性と言ってもいい。
人間たちが彼らを支配下に置くため、心理操作を施した結果。
後から再教育で打ち消そうとしても、なかなか抜けないものである。本人の個性と一体化している〝思い込み〟は、そのまま生かした方がいい。たとえば、卑屈を謙虚に昇華させて。
「それは、あたしが決める」
あえて偉そうに言った。
「あたしが気に入っているうちは、あたしのもの。あたしから逃げたかったら、自分の足で逃げるんだね」
笑って、白い頬をつんとつついた。ユーシスはあやふやな顔で、戸惑っている。
「ぼくは、あなたのペットですか?」
いい質問だ。新しい花火に点火しながら、あたしは答えた。
「そう言ってもいいかもね。今は何でも、あたしの方が上だから。でも、きみが勉強を続けて賢くなれば、いつか、あたしと対等に渡り合えるようになるかもしれない。ペット扱いが悔しかったら、努力してみたら?」
闇に輝く光の滝に照らされながら、ユーシスは、何か心に刻んだようだった。
「考えてみます。一人前の男になるには、どうしたらいいのか……」
「期待して待ってるよ」
と笑って応じたけれど、本当は、たいした期待はしていない。男に強さを求めることは、とうにやめている。
彼らは本来、女より繊細で傷つきやすく、意気地がない生き物なのだ。ただ、それを隠して強がってみせるだけ。でないと、女が手に入らないから。
その強がりに亀裂が入った時は、それこそ最後。
シヴァだって、探春に振り向いてもらえないことに絶望して、一族から出ていってしまった。もっと気長に構えて、しぶとく口説き続ければよかったのに。ちょっとした拒絶に出会っただけで、もうプライドが砕けてしまうのだ。
だから男は、無理な突っ張りをしなくていい。素直で気立てがいい、という程度で十分。
「わたし、先に戻るわ」
探春はそう言い残し、カラコロと下駄を鳴らして石の階段を上がっていった。コテージは斜面のすぐ上だし、留守番のナギもいるから心配はない。
上空の母船の統合管理システム《ナギ》が、常に公的な警備システムとリンクし、周辺の人や車の動きを見張っている。黒髪の物静かな美青年アンドロイドたちは、その《ナギ》の行動端末である。
他にも中年男型や美女型、子供型の人形があり、適宜使い分けていた。《ナギ》はダミー組織を管理し、無人艦隊を運用し、違法都市であれこれの工作を行い、他組織の動向を探っている。常にアンテナを張り巡らせておかないと、生き残れない。
花火を終えると、あたしはユーシスと並んで砂浜に腰を下ろした。人の姿は減り、ホテルや遊歩道の明かりも最小限に落とされている。暗い海面で穏やかな波が砕けると、青白い光が揺らぐ。
「あれ、夜光虫ですよね」
「うん。施設で習った?」
「ええ、プランクトンが発光しているって……でも、夜の海は怖いから、あまり近づいたことがなくて……」
もちろん、この夜光虫とて、元からこの星にいたものではない。生命のない岩石惑星に氷の小惑星を落として海を作り、地球型の動植物を大量に移植して、人工的に作り上げた楽園だ。
人類はこうして、多くの星を開拓してきた。時にはそれが、土着の生物の大虐殺になったこともある。どんな犠牲を払っても、人類は領土を増やしたかったのだ。
良識派という顔をしている市民たちも、ちょっと前までは、そういう大虐殺に手を貸してきた。
もしも人類文明より高度な文明がこの銀河を監視していたら、あたしたちは『滅びるべき野蛮な種族』と判定されていたかもしれない。辺境の住民たちだけを、野蛮だと蔑むことはできない。あたしや探春だって、辺境の科学技術の産物なのだから。
決局、この宇宙では、欲望の強い種族が生き残るのだ。
その点、不老不死目当てに市民社会を捨てた野心家たちは、将来有望である。人類文明の最先端は、無法の辺境にあるのだ。
『ブルー・ギャラクシー ユーシス編』3章-4に続く
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