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「怪演」とはケイト・ブランシェットのためにある言葉か、、、『TAR』映画レビュー

ついに見てきました『TAR』。ケイト・ブランシェットの怪演が話題でしたが、本当に圧巻でした。この役を演じるまで元々どれほどのポテンシャルを持っていて、どれほどの努力を重ねたのだろう、、まさに「怪演」と言う言葉が似合う芝居でした。。
今回も超個人的レビューをしていきます。

『TAR』本編予告


あらすじ

リディア・ターは、ベルリン・フィルで女性初の首席指揮者に就任する。天才的な能力と努力で、ターは自分のブランドを確立し、作曲家としても地位を得る。しかし、マーラーの交響曲5番の演奏収録と、曲作りのプレッシャーに苦しむ彼女に、ある訃報が届き……

人間関係は非常に複雑で、見ながらも、あ!そゆこと?となる瞬間がかなりあるのですが、ストーリーとしては最後まで明かされないことも多く、かなり余白があるストーリーでした。これは私が演技を学ぶときに学んだことなんですが、感情の起伏が大きい芝居(悲しい芝居、怒っている芝居など)のとき、わかりやすい感情は出さなくても流れや状況でわかるから全面に出さず、上手い人は表現に余白を持たせ、観る側に感情を想像させる、と言うものがありました。まさにそれが物語の構造に組み込まれているきがして、より「サイコスリラー」としての完成度がものすごく高いんじゃないかなと思いました。


メインビジュアルかっこ良すぎるだろ、、、「パケ買い」と言う言葉がありますが、半分それでした。パケ買い映画、、、

感想

・作品として

メインビジュアルに、「芸術と狂気とがせめぎ合い、怪物が生まれる」と書いていたのですが、言葉のまま捉えるとちょっと違います。芸術に飲まれ、モラルや我を失った奇才の話であるかのようですが、ケイト・ブランシェット演じるターは表現者としての怪物になるわけではありません。もちろん並外れた才能は持ち合わせていますが。決して音楽業界だけで起こることではなく、どの業界でも存在しうる「権力に取り憑かれた怪物」の話です。
この映画において主人公が女性であることは物語の構造としてはかなり大きな意味を持ちます。史上初の女性首席指揮者であるという彼女自身の誇りと、性的マイノリティであることから起こる暗黙の了解。しかし性別など超越しうる内容であり、TAR自身の行動や生活習慣は前時代の男性像そのもの。その構造が今の映画作りにおいて、挑戦的であり恐れがないなと言う印象を受けました。

・俳優たちとその役

言わずもがなケイト・ブランシェットはもう圧巻でした。彼女の役作りへの並外れた努力は製作陣を驚かせ、制作期間はほとんど寝ることなく、アメリカ訛りの英語、ドイツ語、ピアノ、指揮の練習に励んでいたそう。中でも指揮をするシーンはものすごい迫力と魅力でもっともっと見たかった、、権力に打ち勝てず、破滅の道をたどるターですが、根底にある音楽を心から愛し指揮棒を振る様子は群を抜いて美しかった。が、故に音楽を感じる時だけは自分が教え子たちに対して行った罪深い行為も全てを忘れて心酔する様子は、見惚れる反面激しい憤りも感じました。何浸ってんだよと。
ターが破滅する一番の要因になった指揮者仲間に舞台上で暴行を加えるシーン。「私のスコアだ」と我も忘れて大暴れしますが、彼女は権力だけではなく、すごく自分の音楽を愛し、大きな大きな誇りを持っていることがわかる。絶対的に他者を介入させない許さない領域がある。権力者特有の孤高感というか、、それが肥大化し権力と共に、まるで自分そのものが誇り高いものだと錯覚し出す。その彼女の根底や弱さが垣間見える実家でビデオテープをみるシーンは本当に残酷にも美しく、彼女の愚かさにやるせなさを強く感じました。その場にいた彼女は何を感じているのだろう。後悔か、高揚感か、安心か、絶望か。そこで自分の愛する音楽を再認識し、その後も音楽家の活動を続けますが、その先に待つ状況はとても見ていられませんでした。エンドロールで流れる電子音は彼女の屈辱感を表しているように感じました。
新人の才能ある、チェロ奏者オルガが登場してからの彼女の転落ぶりも見応えがありましたね。今思い返せば、彼女が自分で自分を制御できなくなったのはその辺りからのように思います。オルガを追った先で男から暴行に遭うなんて、普通に考えればオルガを疑い、離れるべきです。が、新しい才能と可能性に酔いしれ、周囲を裏切るまでオルガに夢中になる彼女はあまりに惨めに見えました。
個人的に非常に印象に残ったのノエル・メルランですね、、なんなんだあの存在感、、「燃ゆる女の肖像」で画家を演じていたあの人です。あの作品の余韻は永遠に続いてますが、まず登場した瞬間から好きな人との再会のように心の中で大歓喜。と、言うフィルターもあり。(笑)ターに対するものすごく複雑な感情が見事に表現されていて、指揮者としての憧れ、才能に対する嫉妬、個人的な不信感、、。愛する音楽とどうしようもなく逆らえない絶対的な権力に挟まれるも、健気に仕事をこなす姿は見る人にターのここまでの背景を想像させ、彼女がとった選択に対し、開放感ともどかしさのどちらの感情も抱かせました。本当に素晴らしかったです。

作品の意義

パンフレットの中でケイト・ブランシェットとニーナ・ホスの対談がありました。その中で「この作品は権力構造に対する私たちの疑問や、この世界でどう立ち回るべきかの問題提起をしているが、答えを出していない。最善の形で考えるように促している」とニーナは話していました。ポリティカル・コレクトネスの件でいろんな議論が日本でも世界でも巻き起こっていますが、それが一番の作品を作ることの意義であり、「こうであるべき」とか「これはいけない」と言う考えの押し付けはもはや必要なく、こういった世界中の人々の目に触れる作品で問題提起することの重要性を再認識しました。

個人的に少し気になったのは、アカデミー賞にエントリーするためかな、身体障害者やアジア人の登場のさせかたにすごく雑さを感じてしまったことですかね、、ほんと私の感覚なので、、、


パンフレットの中で映画ジャーナリストの立田敦子さんはこう話しています。
「これは希望的なラストだと捉えている。それはケイトのこの言葉に由来するものだ。『頂点を極めた成功者が、次の高みを目指そうと思えば、一度落ちなくてはならない。』意気揚々としたターは、”なりたい自分”ではなくありのままの自分を生きるエネルギーに満ち溢れた姿に見える。」
私にはどうしても希望に満ちたラストだとは思えなかったけどこの文章を読んでありのままを忘れさせてしまう権力の怖さを思い知りました。

みなさんはこの作品はターにとって絶望か希望かどちらと捉えますか。





ご拝読ありがとうございました。


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