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【連載】かくれ念仏/No.5~琵琶・ゴッタン・荷方節~

琵琶・ゴッタン・荷方節にかたぶし

鹿児島には「薩摩琵琶」という琵琶がある。

吹上の伊作いざくにあった常楽院の第31代渕脇了公ふちわきりょうこうと、伊作領主の島津忠良(日新斎)とが協力し、従来の琵琶を改良して作ったと言われている。

この琵琶は分類上、「地神じしん琵琶」という、宗教的祭具としての琵琶がルーツであるが、雅楽や語り物の楽器としての「芸能的琵琶」としての性質も持っている。芸能的琵琶の代表は、平家物語を音曲に載せて語る「平家琵琶(平曲)」であるが、島津藩下でもしばしば平家琵琶が嗜まれていたようである。

このことについて、『都城市史 別編 民俗・文化財』(平成8年/都城市史編さん委員会編集/都城市発行)では、

薩摩藩では一向宗(現在の浄土真宗)を禁制としていたため、神仏を祭り霊を鎮める盲僧の役割は大きく、明治初年の盲僧廃止に至るまで、薩摩藩は積極的に盲僧とその音楽を保護した。

と解説されている。


鹿児島には他にも、三味線型で、棹が短く、すべてが木製で出来た「ゴッタン」という楽器がある。中国黄州の雲南に「古禅グータン」と言われる同型の楽器があり、これが稲作文化とともに南九州に伝来したと考えられている。

ゴッタンは琵琶に代わる貧しい庶民の手なぐさみ物とか、子どもの遊び道具などとも言われる。また、薩摩の真宗門徒が、殺生の破戒を憚って(あるいは「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」とする慈悲の心によって)、ネコの革を使う三味線でなく、ゴッタンを好んだという説もあるがどうであろうか。

このゴッタンやサンセン(三味線のような楽器)で演奏した歌謡で、「荷方節にかたぶし」という歌謡がある。

荷方節と言ったら、「秋田荷方節」が有名であるが、そもそも「新潟節」が訛った名前で、新潟県新発田市で発生したという、祝い唄の「松坂」が起源であるという。「松坂」は、瞽女や座頭といった芸人達によって歌われ、東北各地へ広まっていった。

北海道の小樽あたりには「北海荷方節」として伝わっている。その歌詞は次のとおりである。

〽荷方 寺町 花売り婆さま
花は売らずに 油売る

荷方うきみに 真があらば
丸い玉子も 角となる

丸い玉子も 切りよで四角
ものは言いよで 角が立つ

これを1952(昭和27)年、巡業に来ていた秋田の永沢定治と三味線の浅野梅若が覚えて、独自にアレンジし、レパートリーにしたものが「秋田荷方節」である。

秋田には他にも、「仙北せんぼく荷方節」や、男鹿市北浦の「北浦荷方節」という荷方節も残されており、また青森県南部地方では「南部荷方節」、富山県下には「富山荷方節」「なき荷方節」といった数々の「荷方節」があるという。

それが、北前船の水夫たちによって、幾波超えた鹿児島にも伝わっているというのだが、都城や大隅一帯では、元の歌詞とは全く別の、真宗念仏の歌として伝わっている。

〽西は西方の弥陀釈迦如来
拝もとすれば雲がかり
雲に邪心はなけれども
わが身の邪心で拝まれぬ

この歌は、平家物語を琵琶法師が歌い聞かせたように、門付芸人の「サンセン弾きどん」や「ゴゼどん(瞽女)」、「ザッツどん(座頭)」によって広く歌われていたという。現代ではおそらくもうこの歌を聴ける機会はないだろうが、「荷方節」に代わり、多くのご門徒が『正信偈』の味わいをいただいている。

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇


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