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シリーズ かくれ念仏

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#仏教

【連載】かくれ念仏/No.14~鹿児島の真宗民語その6~

【連載】かくれ念仏/No.14~鹿児島の真宗民語その6~

講頭・番役
講頭(こうがしら)は講の代表者。「本尊持ち」や「法頭人」とも言い、方言では「講頭殿(こずどん)」とも言う。一組に二、三人の講頭がいた。
番役(ばんやく)は各地の御座の世話役。
薩摩の講は数個ないし数十個の小寄講が集まって一つの講を組成している例が多い。小寄講は数戸ないし十数戸の講員で構成されている。

御順在
本願寺門主の消息が各地の講を順にまわって、披露して廻ること。講の本尊が小寄講

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【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

【連載】かくれ念仏/No.12~鹿児島の真宗民語その4~

仏壇・本尊のさまざまな様式

かくれ門徒は公に仏壇を設けられないので、本尊をいたるとろに隠して拝んだ。

神棚を装った仏壇(都城歴史資料館蔵)、一見ただのタンスに見えるが、上部を開くと仏壇になっている「タンス式仏壇」(真宗大谷派鹿児島別院大谷会館蔵)。

講から講へ本尊を移す際に魚売りの行商にふりをして使用した「お運び魚籠」(光徳寺蔵・大谷会館にて展示)。

番傘のように模った木箱の中に巻いた掛け

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【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

五劫様

真宗の本尊である阿弥陀仏の像を拝むと、容易に一向宗信仰の嫌疑がかかるので、かくれ門徒の中には法蔵菩薩の像を祀り、これを「五劫様」と称した。

なぜ法蔵菩薩像を用いたかというと、五劫思惟の修行によるあばら骨の透く姿が、釈迦の苦行像に見えるため、一向宗の嫌疑があっても、これはお釈迦様だと言い逃れられたからだという。

この像は、齊藤家の二代目、齊藤全流が鋳造し、同型のものがいくつか遺っている

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【連載】かくれ念仏/No.10~鹿児島の真宗民語その2~

【連載】かくれ念仏/No.10~鹿児島の真宗民語その2~

齊藤節

禁制下の潜伏僧の一族である齊藤家の出自は、島津藩家老(或いは藩重臣と伝えられる)であるという。

その祖は武士の身分を捨てて出家し、齊流寺釋恩暢(俗名 齊藤齊流)と名告り、薩摩に多くの講を結び、その教導にあたった。

齊流は、「薩摩諸講執事」として、西本願寺より薩摩国出身者で最初の浄土真宗の僧分に引き立てられ、後に薩摩国最初期の寺号「齊流寺」を西本願寺に願い出るなど、鹿児島の真宗の歴史に

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