ノルウェイの森と死

「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」
作品を通じて死にまつわる人間の在り方を扱っている。


直子と緑
死と生について対極的なスタンスをとる二人が対照をなしていた。
直子はなぜ自殺を選んだのだろう、「彼のことはちゃんとするから」という死の直前の一言にはどんな意味が込められていたのだろう。
作品を読む限り直子のその発言は宙ぶらりんになっているようにみえる。
やはり、ワタナベがレイコさんに宛てて書いた手紙を直子は見ていたのだろうか、いまとなっては確かめようもない。

死について度々考える。
ある日ふとした拍子に、いずれ自分という存在がすっかりこの世からいなくなってしまうことがたまらなく恐ろしく感じるようになってしまった。
塵となり永遠の時間が客観的に残るのみ、という情景を想像するだけでまったく恐ろしくなってしまうのだ。

自分が思い悩むことや、何かのために懸命に努力し、結果的にこの世に存在した痕跡を残せたとしても、その土台となる地球や宇宙もいずれは終わり、
主観的にも客観的にも無が在り続けるだけ、という事情がどうしても受け入れ難いのだ。

それで言えば、人は極論なんのために生きているのか、短期的な快を増大させること以外に、自身の限られた命に意味を見出すことができればそれは幸せだと感じる。

意味のない不合理なことに意味を見出し、命を投げ打つ、というのにある種の美しさを感じる。

私はこの先の人生で、仮に心から愛する妻や子供を持てたとしても、自身の命と天秤にかけねばならない状況を仮定した時に(あるいは直面した時に)自身の命を犠牲にして何かを守ることができるとは思えない。

だからこそ、自身の命を投げ打っても良いと思える何かに出会うことができたなら、それはとても幸福なことのように思える。
そこに人間の、不合理な美しさを感じる。
そういう意味では私は醜い、どす黒い利己的な魂を抱えたまま生きている。

それでいいのかはわからないが、いずれにせよ私にとって死は忌避すべきものであるし、生への執着は強いのかもしれない。

ノルウェイの森を読んで考えさせられた。
死について、
話に出てきた人物たちほど私は美しくないということを強く感じた。


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