【現場で感じたフィンランド教育】食事指導はご家庭で
日本の小学校で先生をしていた時の私の一番の楽しみは給食だった。
授業を4コマも乗り越えてやって来る至福の時。
だがしかし、その時間は時折、苦しい戦争の時間にもなっていた。
魚やピーマン…など、児童の苦手なものが給食に出た時だ。
骨が取れない!のどにささった!
苦い!おいしくない。
などと言って、あからさまにカレーの時と違うスピードで食事をする。
苦手な児童が「減らしてください」と持ってくる人数も半端じゃないし、食べられる児童が残ったものを食べる量も半端じゃない。
先生は「これぐらいは食べなさい!」「もうすぐ休み時間になるから早く食べなさい!」と激を飛ばす。
食べさせたい先生と食べなければいけない児童との間でバチバチと小さな戦争を繰り広げた後、お鍋はすべて空っぽになって給食室へと持っていかれる。
お箸や食器の持ち方指導、栄養についての学習、残さず食べる習慣作り。
これらすべての給食指導も先生のお仕事の一つとなっている。
給食の時間も児童へ細かく指導をする。
これが日本の当たり前。
フィンランドの当たり前は、全然違う。
給食の時間は指導なし。
私が潜入したのは小学校ではなく保育園だったので、ここからはフィンランドの保育園の実態になるのだが、聞くところによると小学校も同じような感じらしい。
まずそもそも、フィンランドの給食は好きなものを好きな分だけとって食べるビュッフェ形式。(さすがに保育園では、先生が子供たちにどのぐらい食べることができるのかを聞いて盛り付けていた。)
これは、アレルギーの児童やベジタリアンや宗教の関係などで食事に制限がある児童のことを考えてのこと。
昔からこの方法だと聞いているが、日本でも取り入れを考えていくべき段階に来ているのではないかと思う。
日本ではアレルギーの児童は保護者が作ったお弁当を持ってきて食べているし、宗教などで食事に制限がある児童のことは、まずそもそも考えることすらされていない。
みんなが同じものを同じ量食べましょう。
これから多様化していく日本社会、しっかりと考えていくべき課題なのではないだろうか。
だが、私も教師だ。
「好きなものを好きなだけ食べられるのであれば、野菜が苦手な子は野菜を食べないし、お肉が苦手な子は肉を食べないのでは…それでは栄養バランスの悪い大人になっていくのではないか。」
と、フィンランドのビュッフェ形式にも疑問が出てくる。
フィンランドで先生をしている知り合いが私の疑問に答えてくれた。
「学校は勉強を教えるところでしょう?食事指導や栄養指導は各家庭の判断に任せているわ」
なるほど。
あくまでも学校は勉強する場所であって、生活面の指導は家庭に任せる。と。
潜入した保育園も同じような感じだった。
園児は自分のおなかのすき具合を確認して「もう少しください」「これはいらない」と先生に伝えていた。
野菜をまったく食べない園児に対しても先生は何も言わなかった。
また、食事はみんな一斉には始まらず、席についた園児から食べ始めていた。
その様子を先生たちは見守りながら自分たちの食事をする。先生たちにとって給食時間は、休憩時間と同じ扱いなんだろう。と察した。
好きなものを好きなだけ取って食べるビュッフェ形式の給食。
もちろん出てくるのは、残飯だ。
日本では、食べられない児童のご飯を食べられる児童がカバーしてクラス全体で、学校全体で残飯を無くそうしている。
残飯大国の汚名返上のため、環境問題を考えての取り組みだ。
さてフィンランドはと言うと…
そもそも人数の割に量が多いメイン料理。なかなか取ってもらえなかった野菜類。「おいしそう!食べれるかも!」と思って取ったけれど、思っていた味と違ってお皿に残ったごはん。
それらすべてゴミ箱に捨てられていた。
園児の人数が少ないため量が多いわけではない、また、バイオ廃棄のため環境には一応配慮されている。
だがしかしだ、
残すのを良しとすること。捨てるところを園児に見せること。は、どうなのかなと考えてしまう。
環境問題は国単位で考えることではなく、世界が一つとなって考えていくべき問題だと思う。
その環境問題を、教育の最先端だと言われているフィンランドの教育現場が取り組んでいないことに驚きが隠せなかった。
多様性を尊重してのビュッフェ形式給食。そのために犠牲となる環境問題。
どちらも大事、どちらも必要。
私ならいいとこどりをしたい。
食事に制限のある児童が肩身の狭くない給食時間へ、そして「自分で盛り付けたものは残さず食べましょう!」の声掛け。
日本とフィンランドのいいとこどりができればいいな。と感じる給食時間だった。
みなさんはどう思いますか?
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