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みんなで食べると、おいしいね

遊びに行くたびに、おばあちゃんが何度も言っていた言葉。

「みんなで食べると、おいしいね」

いつもおじいちゃんとおばあちゃんの二人。静かな暮らしをしているおうちに、ガヤガヤと娘家族たちが集まってくる日。

到着するや否や暑いだの寒いだの、おばあちゃんは座っててだのと大騒ぎな娘二人。そこに加えて孫は4人。孫がとっても多いという訳ではないけれど、家の中が賑やかになるには十分な人数。

普段は押し入れに入っているテーブルも出してくる。おばあちゃんがとってくれたお寿司が真ん中、そして各自持ってきたおかずがずらっと並ぶ。

取り皿やコップなんかが、久しぶりに戸棚から出てきて、どんどんテーブルに並べられていく。もはや乗り切らない醤油やらソースは、キッチンのカウンターに待機。

あったかいお茶が欲しい人、冷たいお茶が良い人、お茶は苦いから嫌な人。全員分の取り皿があるだのないだの。

そんな中「座ってて」が出来ない昭和のおばあちゃんは、よぼよぼと歩きまわる。輪ゴムで束ねられたあちこちで貰って来た割りばしを戸棚から引き出してきて、そういえば頂き物のお菓子もあったわ…とごそごそ探して。

「さぁ、やっと、いただきます」

一目散に食べたいものに手を出す人。ぷしゅッとビールを開ける人。遠慮して手を出さない人。テレビの駅伝に釘付けの人。各々のごはんの時間が始まる。毎回変わらないのは、おじいちゃんが淡々と焼酎を飲んでいること。

「みんなで食べると、おいしいね」

これも毎回変わらず、おばあちゃんが何度も何度も言うこと。ふと見るとおばあちゃんの取り皿にはあまりごはんが乗っていない。それでもニコニコしながら、みんなを眺めて「おいしいね」と言い続ける。

娘たちが「これも食べてみなよ、ほら。とってあげようか?」などと言って取り分けたものをちょっとつつく程度。すぐに「もう、たくさん」と食べる手を止めてしまう。

おばあちゃん特製の角煮にかぶりつき、このこってりした味が毎回美味しい!と思いながら、ほとんど食べないのにおいしいって不思議だなぁ…と幼心に感じていた私。

30代に入ったからだろうか。それともおばあちゃんが旅立ってしまったからだろうか。今なら、おばあちゃんの気持ちが分かる気がする。

「おいしい」というのは、もちろん角煮の甘さにも当てはまるけれど、それだけじゃなくて、みんなが集まってわいわいがやがやしている雰囲気のことを指すのかもしれない。

逆に、窓もないコンクリートに囲まれた場所で、たった一人であの角煮をかじっても「おいしい」ではないんだろう。

人が来てくれるとなると、あれこれと世話を焼きたくなる昭和のおばあちゃん。それだけでもくたびれるのに、大人数でガヤガヤと大騒ぎな一日を過ごして、みんなが帰った後に、足をもみながらすこしホッとする。

数日前から煮込んだり、どんどん背が伸びる孫を玄関で迎え入れたり。ごはんを食べたり、聞き取れない速さで進む会話になんとなく耳を傾けたり。片づけが終わって、みんなが帰っていく前、ちょっと寂しさを感じながらお茶を飲んだり、そんな全部が含まれているんだろうな。

「みんなで食べると、おいしいね」

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