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若者言葉「~じゃないですけど」は否定に見せ掛けた肯定の控えめ表現?

否定文なのに肯定の意味

若者に限らないのかもしれない。「~じゃないですけど」は、少なくともここ数年でよく耳にするようになった言葉だ。

「~じゃない」なのだから否定なのかと思いきや、実際は「~だ」という意味になることがほとんどのようだ。

例文を作ってみた。

本気になった、ってわけじゃないですけど、そろそろ本格的に取り組もうかなと思って。
プロポーズされた、ってわけじゃないですけど、ずっと一緒にいたいって言われたというか。
気分転換、ってわけじゃないですけど、ちょっと旅行でも行って息抜きしたいかなあ。

どの文も前半部分は、形式上は否定文だが、意味合いとしては肯定で、後半部分とほぼ言い換えになっている。

「本気になる=本格的に取り組む」「プロポーズされた=ずっと一緒にいたいと言われた」「気分転換=旅行で息抜きする」と解釈できる。

なぜ断定しないのか?

「~っていうか」など、ぼかす表現で曖昧にするという用法は日本語にたくさんありそうだが、「~ではない」と否定の形まで使って断定しない心理とは何なのか?

「この言い方だときつ過ぎるかな」という言葉を弱める表現として使っている場合はまだ意図が理解できるが、強過ぎる言い方でも衝撃的な言い方でもなさそうなのにこの言葉を使っているのを聞くと、違和感を覚える。もはや単に口癖になってしまっているのかもしれない。

遠慮する必要のないところでまで遠慮してしまうその心理は、考えを述べるだけで「自己主張が強い」と捉えられてしまうことへの予防線、自己防衛なのだろうか?

そんな窮屈な社会風潮があるのだとしたら、打破したい。

抵抗、ってわけじゃないですけど、そんな面倒で厄介で人を委縮させる雰囲気はぶっ壊して変えたいと思うんです。

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