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『パリ・オペラ座へようこそ』渡辺真弓著から「社会的」なバレエとダンスを拾ってみた

『パリ・オペラ座へようこそ~魅惑のバレエの世界~』は、パリ・オペラ座を拠点とするバレエの歴史、同バレエ団やその学校の制度、歴代の芸術監督や振付家を解説した本だ。著者による公演鑑賞記録もふんだんに盛り込まれている。

フランスの華麗なる至宝、パリ・オペラ座

パリ・オペラ座は現在、1875年オープンのパレ・ガルニエ(ガルニエ宮)と、現代的な建築で1989年にオープンしたオペラ・バスティーユ(バスティーユ・オペラ座)で、バレエ、コンテンポラリーダンス、オペラを上演している。

この2カ所を残念ながらまだ訪れたことはないが、本書のパレ・ガルニエの建物案内には、あまりの豪華さに息をのむ。バレエやオペラが、フランスにとって国家の文化政策であり、多くの人々が多大な関心を持っているだろうことを実感する。

パリ・オペラ座が上演した20世紀~現代の振付家

20世紀以降の振付家で、本書で言及がある主な振付家は、次の通り。

・ジョージ・バランシン(他、バレエ・リュスの振付家たち)
・ルドルフ・ヌレエフ
・ローラン・プティ
・モーリス・ベジャール
・ケネス・マクミラン
・ジェローム・ロビンズ
・カロリン・カールソン
・ウィリアム・フォーサイス
・ジョン・ノイマイヤー
・ピナ・バウシュ
・勅使河原三郎
・イリ・キリアン
・マッツ・エック
・アンジュラン・プレルジョカージュ
・ジャン=クロード・ガロッタ
・パトリス・バール
・ジェローム・ベル
・ジョン・クランコ
・バンジャマン・ミルピエ
・ジャスティン・ペック
・クリストファー・ウィールドン

本書は、巻末に固有名詞の索引があるともっとよかったのにと思う。

上記の振付家たちの作品はどれも見てみたいが、歴史的な名作ならたいてい美術館で公開されている美術作品と違い、ダンスは上演してくれないと実物を見られないのが残念だ。

「社会的」な要素を含むバレエ・ダンス(作品)

最近、「社会的」なアートへの「反発」が目立つ形でみられるようになってしまっている。しかし、アートは、造形的な探求ももちろんあるが(今はないものもあるかもしれないが)、というか、それすらも、ある程度は基本的に(広い意味での)「社会的」なものではないだろうか。

例えばヨーロッパにおいては、食料などにするために狩りたい動物を洞窟に描き、キリスト教を広めるために教会が建てられて絵画や彫刻が作られ、王族や貴族や商人が自分たちの力を誇示するために肖像画を描かせ、多層・多様な世界の見方も反映してキュビスムや印象派が登場したのではないか。

ただ美しいと思われているかもしれないバレエにも、その時々の社会情勢が映り込んでいるのではないか。そう思い、そのような記述を本書から拾ってみた。

ただし、「社会的」の定義は非常に曖昧だ。ここで拾った事柄には、国家(権力者)が芸術を利用したものもあるし、体制に批判的な要素を含んだものもある。

「社会的」なバレエ、ダンスの記述は、決して多くはなかった。

(1) パリ・オペラ座バレエの起源は、太陽王ルイ14世(在位1643~1715)が1661年、王立舞踊アカデミーを創立した時にさかのぼる。自ら踊ることが好きだった国王は、14歳で、『夜のバレエ』(1653)に出演、曙(あけぼの)の役に扮したことから、太陽王の異名をとることになった。(p. 8)

(2) パリからボルドーに移ったドーベルヴァルは、(17)89年7月1日『ラ・フィユ・マル・ガルデ』を上演。農村を舞台に庶民の恋愛を描いたこのバレエは、その2週間後に勃発(ぼっぱつ)する革命を予見したかのようであった。(p. 13)

(3) シャルル=シモン・・カテル作曲の3幕のオペラ『レ・バヤデール(バヤデールたち)』((18)10年)は、インドが舞台で、舞姫ラメアが、自己犠牲(ぎせい)の末に愛する王子と結ばれるという物語。王子にはナポレオンの姿が重なったと言われる。(p. 14)

(4) そもそもこうしたヒエラルキー(引用者注:パリ・オペラ座のダンサーたちの階級制。本書p. 39)は、パリ・オペラ座の創始者ルイ14世の時代から始まっていた。これは、王を頂点にした絶対王政の階級制と無関係ではなく、バレエでも、王が主役を踊り、その廷臣たちが階級に準じて重要な役を踊る構図になっていた。「太陽王」の異名をとったルイ14世は、事実上、最初のエトワール(引用者注:最高位のダンサー。「星」の意)と言ってもよいかもしれない。(p. 40)

(5) 最も衝撃を与えたのは、ジェローム・ベルの『ヴェロニク・ドワノー』だろう。(20)04年初演。スジェ(引用者注:パリ・オペラ座のダンサーの階級制で5段階のうちの真ん中。コール・ド・バレエとして主に群舞で踊る。本書p. 39)のダンサー、ドワノー(現在オペラ座バレエ学校教授)の一人舞台で、「ボンソワール(引用者注:フランス語で「こんばんは」)、私はヴェロニク・ドワノー、スジェです」の自己紹介から始まるモノローグ的作品。バレエ団を代表して、コール・ド・バレエの役割や心情など表からは見えにくい事柄をクローズアップさせた問題作である。折しも総支配人に前衛志向のジェラール・モルティエが就任したばかりで、個人にスポットを当てたいという趣旨で企画された作品。初日から徐々に客足が遠のき、空席が目立ったのは事実だが、ドワノーの真摯(しんし)な熱演には感動。ベルはこの後、16年に『tombe(墓)』を委嘱された。

(5)のジェローム・ベルによる作品『ヴェロニク・ドワノー』は、バレエではなくコンテンポラリーダンスで、映像を少しだけ見たことがある。普段のパリ・オペラ座の公演を期待して見に来ると、「反発」を覚える作品かもしれない。

しかし、この作品にみられる問題意識は、パリ・オペラ座で2014~16年に芸術監督を務めたバンジャマン・ミルピエが持っていたものと共通点があるのではないか。

芸術監督ミルピエが改革しようとした「階級制」と「人種」の問題

ドキュメンタリー映画『ミルピエ  パリ・オペラ座に挑んだ男』(2015年)を見ると、芸術監督となったバンジャマン・ミルピエは改革を進めようとしたが、それに対する反発(権力者からの圧力や、これはいつの時代にもあるが団員のストライキなど)に疲弊してしまい、断念して、辞任を決めたようだ。公式の辞任理由は「創作活動に専念したいため」だったが。

ミルピエが変えようとしたパリ・オペラ座の「問題」とは、『ミルピエ  パリ・オペラ座に挑んだ男』によると、一つには、ジェローム・ベルが『ヴェロニク・ドワノー』で問うた「階級制」だった。

本書p. 39によると、階級の上位2つのクラスのダンサーが主役や準主役を踊り、3位以下は主に群舞を踊るが、主役や準主役を任されることもある。これは古典バレエの場合で、コンテンポラリー作品ではこの階級にあまりとらわれない。エトワールはオペラ座総支配人とバレエ団の芸術監督の決定によって任命されるが、スジェ=3位以下(とあるが、本書でこの直後の記述を見ると、2位以下?)は毎年行われる進級試験を受け、各クラス0~2人が進級する。「このシステムは、若手を起用しようとする芸術監督や振付家にとって煩(わずら)わしいシステムでもあり、過去何回か廃止しようとした動きがあった」(p. 39)が、「この毎年の試験が団員の競争意識を高め、ひいてはバレエ全体のレベル・アップにつながっている。これがオペラ座が世界に冠たるバレエ団として君臨している大きな秘密であろう」(p. 39)としている。

なお、階級に基づく配役は古典バレエについてであり、コンテンポラリー作品ではこの限りではない、との記述(p. 39)については、古典バレエでは、誰が主役で誰が「その他大勢」か、ということが明確に分かる構造になっているためだと思われる。一方、コンテンポラリーダンスでは、もちろんメインのダンサーがいて、というふうなメリハリが付けられていることもあるが、舞台上のダンサーたちの関係は上下関係よりももっとフラットなものである場合が多いのではないか。君主制や独裁制ではなく、民主主義の社会を反映してのことだろう。

ミルピエが問題視したのは、同映画によると、実力があっても、上位のクラスに上がって舞台で大きな役をもらい活躍するまでに何年もかかってしまうこと、そして、エトワールになれるかは、オペラ座総支配人とバレエ団の芸術監督の意思に左右される(つまり昇進の基準が不透明)ことだったと思われる。

そこで、「自作の『クリア、ラウド、ブライト、フォワード』(マーリー曲)の初演には、エトワールやプルミエは一人も含まれず、当時スジェのレオノール・ボラック以下、エレオノール・ゲリノー、ユーゴ・マルシャン、ジェルマン・ルーヴェなど若手精鋭16名が出演」(p. 140)という試みを行った。

本書でも、ミルピエの試みや辞任、そして上記のドキュメンタリー映画にも触れているが、本書の著者は、ミルピエの「挑戦」に懐疑的な立場のように思われる。それは、次のような記述から受けた印象だ。

・「このままコンテンポラリー路線を突き進むのかと懸念されたが、突然の辞任騒動」(p. 140)
・「ミルピエがもたらしたものは何だったのか。外部からは伺い知れないが、新作の創作過程を追ったドキュメンタリー映画『ミルピエ』(原題relève=交替)(引用者注:原題の全体は『Relève: Histoire d'une création』)を見ると、世界最古の名門バレエ団がいかに伝統と品格を保ってきたかが一目瞭然(いちもくりょうぜん)である」(p. 141)

同映画でミルピエがはっきりと語っていたもう一つの問題は、ダンサーの「人種」の多様性である。圧倒的に多いのは白人で、ましてやエトワールとなるとアフリカ系は皆無だった。そこにミルピエはメスを入れ、白人とアフリカ系のミックス(いわゆるハーフ)のダンサーを初めてエトワールに昇進させた。

ミルピエによる階級制の否定と人種の多様化については、下記サイトなどでも触れられている。

なお、本書では、「パリ・オペラ座と日本」のところで、「日本人で初めてオペラ座の舞台に立ったバレリーナは森下洋子である」(p. 130)、「日本人で初めて正団員となったのは、(20)02年の藤井美帆である」(p. 131)という記述があるが、白人やアフリカ系などの人種の観点からの言及はない。

私はパリ・オペラ座の偉大な歴史や作品の数々をほとんど知らない。しかし、整然と並ぶ同じように美しいダンサーたち、その中で優れた才能でもって常に主役を踊るダンサーたちの作品を素晴らしいと思う反面、現代に生きる人間としては違和感も覚える。

そういうことはパリ・オペラ座の外でやってもらえばいい、という考え方もあるかもしれないが、「伝統」や「品格」もまた、時代によって変化していていくものではないだろうか。

「伝統を守り続ける」のは、その中で生きる人たちにとっては心地よく、ある程度、安定して客にも来てもらえるかもしれない。しかし、それが今後もずっと通用するとは限らない。国家的事業であるからこそ、率先して新たな地平を切り開き続ける存在であってほしいと、勝手ながら願う。

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