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『マシュー・ボーン IN CINEMA/ロミオとジュリエット』ストーリー、原作との違い、感想

新解釈版『白鳥の湖』で有名になった、イギリスの振付家マシュー・ボーンによる新作舞台『ロミオとジュリエット』。バレエ版と同じプロコフィエフの楽曲に乗せた、現代的なダンスになっている。その公演映像が、日本の映画館で上映中。

ジュリエットが被害者で加害者にもなる残酷なストーリー

近未来の、反抗的な若者たちを矯正する教育施設「ヴェローナ・インスティテュート」を舞台に、物語が展開する。

施設では、男女別に厳しい監視下に置かれ、男女間の接触は禁じられている。美しいジュリエットは、横暴な男性看守のティボルトに繰り返し暴行される。仲間たちは止めようとするが、絶対的な権力を前になすすべがない。看護師たちも見て見ぬふりで、助けを求めるジュリエットを無視する。

そこに、パニックの発作を起こすらしい、常に何かにおびえているように肩を緊張させているロミオが、有力者である両親に連れられてやって来る。手に負えないロミオにうんざりした両親は、彼を施設に入れるつもりなのだ。

両親が施設スタッフと話している間に、ロミオはジュリエットの姿を目にして、気になる。入所した後、原作のシェイクスピア戯曲に登場するジュリエットの乳母と神父を合体させたような人物の指揮の下、施設でダンスパーティーが開催され、一緒に踊ったロミオとジュリエットは恋に落ちる。

原作のバルコニーシーンに当たる場面では、施設の階段などが利用され、2人の激しく情熱的で官能的なダンスが繰り広げられる。

仲間たちも温かく2人の関係をからかったりして、幸せに包まれるロミオとジュリエット。しかし、若者たちが楽しく騒いでいるところに、酔っぱらったティボルトが現れ、2人の関係に気付いて、ジュリエットに愛を乞う。当然のことに拒絶され、それを若者たちが笑う。ジュリエットは惨事を予測し、彼らが笑うのを止めようとするが、時すでに遅し、ティボルトは激怒する。

銃を取り出したティボルトは、ゲイのカップル、マキューシオとバルサザーをつかまえて、銃で脅しながら、下品で理不尽な行為をする。ロミオが止めようとするが、ティボルトの銃が発射され、マキューシオが撃たれる。悲しみに嘆くバルサザー。(バルサザーは原作ではロミオの従者。この役はてっきり原作でロミオとマキューシオとつるんでいるベンヴォーリオかと思って見ていたが、クレジットによると違った)

若者たちは騒然となり、ジュリエットとロミオが中心となって、ティボルトの首にロープを巻き付け、みんなでそのロープを締めて、ティボルトは息絶える。

慌てて逃げる若者たち。戸惑うジュリエットを、ロミオが逃げるよう促す。一人残ったロミオがロープを手にしたところに、警備員や看守たち(?)が到着して、ロミオは犯人となる。

その後、若者たちは看護師たちに薬漬けにされて気力を失い、ロミオは拘束衣を着せられて過ごしている。ジュリエットの元には精神科医(?)が訪れるが、ジュリエットは彼を追い出し、ベッドの枕の下に隠した短剣を手にして見つめる。

ロミオの両親が息子を迎えに施設に来るが、ロミオはおそらくわざと発作が起こったふりをし、恐れおののいた両親は、スタッフに金を積んで、ロミオを引き続き収容させる。

ロミオに会えなくなったジュリエットは、前述の、施設内の乳母+神父っぽい心優しい女性に頼み込み、一度だけという約束で、ロミオが閉じ込められている部屋のドアの鍵を開けてもらい、2人きりにしてもらう。

気持ちが高まり、結ばれそうになる2人は、再び官能的にアクロバティック的な動きが含まれるダンスを踊る。しかしそこに、原作ではジュリエットが神父から手に入れた仮死状態になる薬を飲む前に不安を語る場面で現れるティボルトの亡霊が、現れる。

ティボルトに無理やりされた行動がジュリエットの中で思い起こされ、幻影が出てきたのだろう。恐怖と混乱に陥ったジュリエットは、ロミオが落ち着かせようとするのもむなしく逃げ出し、ついに短剣を手に取り、ティボルトを抹消しようとする。だが、ジュリエットが刺したのは、彼女と愛を交わそうとしたロミオだった。

われにかえったジュリエットを、ロミオはなだめ、彼女に優しく触れ、死ぬ。絶望したジュリエットは短剣で自らの胸を刺し、ロミオの後を追う。2人は若者たちに抱え上げられ、並んで横たえられる。

このように、ジュリエットは施設内で虐待と犯罪行為に遭い、その犯罪は放置され、適切な治療も受けられずトラウマを抱え、そのために愛するロミオを刺し殺してしまうという、救いようがないストーリーになっている。

しかし、日本でも児童養護施設や障害者施設で職員による虐待が行われるなどする事件が実際にあるので、現代の実社会を反映している話にしているとは言えるのだろう。

シェイクスピアの原作との違いは?

新解釈によるダンス作品なので、ケネス・マクミランのバレエ化作品などとは異なり、原作から大きく変えている部分がいろいろとある。

例えば、原作ではロミオはモンタギュー家の当主の息子、ジュリエットはキャピュレット家の当主の娘で、両家は敵同士であることから、「許されぬ愛」となっているのが、大きなテーマだ。『ロミオとジュリエット』は、敵同士の許されぬ恋の代名詞ともなっている。

しかし、このマシュー・ボーン版では、2人には出自による障壁はない。ただ、施設に収容され、その施設の理不尽で非人道的、人権を無視した規則と、明らかに現代日本や多くの国の法律では犯罪者となる看守ティボルトによって、2人の関係は許されず、禁断の恋となっている。

2人の家族が敵同士という設定がなくなっていることは、結末にも大きな影響を与えている。原作では、悲劇の結末ではあるが、2人の犠牲によって、両家が自分たちの愚かしさに気付き、仲直りをして、ヴェローナの街に平和が訪れる、ということになっている。

しかし、この舞台では、2人の死が施設や若者たちの未来を変えるとは到底思えず、そうした示唆を感じさせる演出もなかったと思う。終演時に感じるのは、とにもかくにも大きな絶望感とやるせなさだ。(なお、マクミラン版バレエでは、2人が亡くなった後の、両家が和解する場面自体はなかったと思う)

ティボルトが看守であるのも、もちろん本作の独自な改変だが、彼がジュリエットに思いを寄せる、という生ぬるい言葉で表せるものではなく、暴行という犯罪を行うのも、原作とは異なる。原作では、ティボルトはジュリエットの親戚で、特別な感情を抱いていることもない。ロミオのいわばライバルと位置付けられるのは、ジュリエットの父親が娘の婚約者と決めたパリスだ。もっとも、ジュリエットは最初からパリスのことはちっとも好きではない。

また、原作ではロミオとジュリエットの両親がそれぞれ登場し、多く登場するのはジュリエットの両親だ。これは、ロミオは男性だから外を自由に出歩けるが、ジュリエットは結婚前の高貴な女性だからか許可がないと外出できず、キャピュレット家の家の中の場面が多くなることも、もしかしたら影響しているのかもしれない。それに対して、本作ではジュリエットの両親は登場しない。

ロミオとジュリエットの死に方も、原作とはもちろん異なる。原作では、ジュリエットがロミオを刺すわけではない。本作には登場しない、ジュリエットが神父から手に入れる、仮死状態になった後に目覚める薬と、ロミオが商人から手に入れる毒薬が、原作では2人の悲劇のシーンで大きな役割を果たす。

さらに、原作では2人は神父によってひそかに結婚し、その直後にティボルトがマキューシオと剣で争って殺してしまい、その間に入ろうとしていたロミオが逆上して、ティボルトを剣で殺す。そのため、ロミオは大公によってヴェローナ追放の刑となるが、ヴェローナを出る前に一晩だけ、神父の計らいでジュリエットと結ばれる。

ロミオが去った後、ジュリエットは娘の秘密の結婚を知らないを父親にすぐにパリスと結婚させると言われ、すがる思いで神父の元へ。神父は、パリスとの結婚を避けるため、ジュリエットに、仮死状態になってのちに目覚める薬を渡す。それを飲んだジュリエットは死んだと思われて墓地に安置される。

神父はこのことをロミオに知らせてヴェローナに呼び寄せるために使いを派遣するが、使いは足止めを食らい、神父の手紙はロミオに届かない。代わりに従者のバルサザーからジュリエットが死んだとだけ聞かされたロミオは、急ぎヴェローナへと向かい、途中で毒薬を調達する。

ロミオはジュリエットのいる墓地へ直行。そこで鉢合わせたパリスに墓地に入るのを邪魔され、仕方なく刺し殺す。墓地に入り、ジュリエットの横で毒薬を飲んで死に絶えるロミオ。直後に薬の効き目が切れてジュリエットは目を覚ますが、ロミオが死んだのを目にして、嘆く。

そこに神父がやって来て、ジュリエットに墓地から出ようと言うが、ジュリエットは拒否して、人が近づいてくる物音を聞いた神父は逃げ出す。ジュリエットは短剣で胸を突いて死ぬ。

ヴェローナの人々は神父から真実を聞き、大公の下で今後の平和を誓い、ロミオとジュリエットの銅像を建てることを約束する。

というふうに、話の流れなどが、マシュー・ボーン版と原作とではだいぶ違ってくる。

登場人物も、原作では最も大きな権力を持ち、「秩序」の象徴である大公に該当する人物は本作にはいないし、前述したように、乳母と神父に当たる人物がそれぞれ登場している感じでもない。また、原作ではロミオと親しい、同じモンタギュー家のベンヴォーリオがいるが、本作では特にそれに当たる人物は設定されていないようだ。

マキューシオがロミオを同性愛の意味合いで好いているという演出が施されることもあるようだが、本作ではマキューシオとバルサザーがゲイの恋人という設定だ。

愛を交わすシーンは大胆な振付で、ダンサーたちの身体能力が高い

簡素な舞台セットはよく練られており、全体的にスタイリッシュな印象で、展開も飽きない。

ダンスはミュージカル風なところもある。ロミオとジュリエットが踊るシーンは、前述のように官能的で、しかしジュリエットはティボルトに襲われているために、そしてロミオはおそらく恋の経験がないために、互いに少しためらっているふうでもあり、そうした微妙な心情の揺れもよく表れている。

ダンサーたちはみな身体能力が高く、高度そうなテクニックもさらりとこなす。群舞も隙がなくかっこいい。

本当に素晴らしいか?センセーショナルならいいというわけではない

ダンス作品としてある程度優れていて、マクミランやヌレエフが振り付けたバレエの『ロミオとジュリエット』は見ていて眠ってしまうという人も、スピーディーな本作なら親しみやすいかもしれない。

しかし、原作では幸せいっぱいの瞬間があるジュリエットは、本作ではそうとも言い切れないだろうし、原作では両親に愛されているロミオは、本作では両親に疎まれている。ジュリエットは、責任能力の有無で無罪になるケースかもしれないがロミオを殺してしまうし、これも理由としては理解できてしまうが、ティボルト殺害にも手を貸しているように見える。原作では2人は甘い一晩を過ごすが、本作ではそのシーンが惨劇の場になってしまう。最後に和解も訪れない。

シェイクスピア劇は舞台化でも映画化でもダンス化でも再解釈が「なんでもあり」だし、金森穣 演出・振付のダンス、Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO&JULIETS(ロミオとジュリエットたち)』も近未来という設定で、ラストに衝撃的な、原作にはない「オチ」があるが、その作品はとてもよかった。

しかし、本作は不快感が残り、どうも好きになれない。単に好みの問題なのか?

もしかしたら、私が気付いていないだけで、本作は『ロミオとジュリエット』の何かしらのエッセンスをうまくつかんで再解釈したものなのかもしれないし、現実にもあり得る設定について私は「目にしたくない」という気持ちで拒否してしまっているのかもしれず、それは理不尽なのかもしれない。ただ、例えば、同じく理不尽な、現実にもあり得る、不快感を伴い、ラストもすっきりしない演劇作品『暴力の歴史』は、素晴らしいと思ったが。

とにかく今のところは、本作について手放しで素晴らしいという感想は持っていない。

作品情報

演出・振付:マシュー・ボーン
舞台・衣装デザイン:レズ・ブラザーストン
照明:ポール・コンスタンブル
音響:ポール・グルースイス
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ

出演:
ロミオ:パリス・フィッツパトリック
ジュリエット:コーデリア・ブライスウェイト
ティボルト:ダン・ライト
マキューシオ:ベン・ブラウン
バルサザー:ジャクソン・フィッシュ

撮影場所:サドラーズ・ウェルズ劇場
撮影時期:2019年
上映時間:91分
配給:ミモザフィルムズ
配給・宣伝協力:dbi inc.
後援:ブリティッシュ・カウンシル




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