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谷川俊太郎の絵本『ぼく』と岡真史の詩集『ぼくは12歳』

「死にたい」には理由があるはずだと人は思いたがる。自死の原因を調査しようとする。

生前の発言や日記、遺書などから、具体的な理由がほぼ「特定」できることもあるのだろう。しかし、本人にはもう聞けないし、本人も本当にはわかっていなかったかもしれない。

実際は、具体的な理由などない場合が多いのではないか。一見、大きな問題はなく、当人もそこそこ楽しそうにしている人生。それなのにひたひたと「死」を思ってしまう。

そうした状態を表現した『ぼく』(2022年1月31日初版発行)は、詩人の谷川俊太郎(90歳)さんの文章とイラストレーターの合田里美(37歳)さんの絵による絵本だ。

宇宙が好きな12歳の少年が「ぼくはしんだ じぶんでしんだ」と語るが、世界の美しさや生きる喜びを表現しながら、自死の直接的な理由は何も言わない。

彼の傍らには宇宙のスノードームがある。宇宙の一部になりに旅立ったのか?きっと誰にもわからない。彼自身にもわからないかもしれない。

この絵本から連想したのは、1976年に出版された詩集『ぼくは12歳』だ。この本は、13歳になる数カ月前に自死した岡真史(おか まさふみ、1962年9月30日~1975年7月17日)さんが書き残していた詩を、両親である作家の高史明さんと高校教員の岡百合子さんがまとめたものだ。

12歳くらいのときに初めて読んで、自ら命を絶った理由が明らかになっていないことにショックを受けるとともに、その詩から、繊細過ぎて、この世界、社会で生きるには感性が鋭過ぎて、それ以上生きることができなかったのかな、と思った。

世界が美しいから、生きることが尊いから、死ぬ。

しかしやはり、自ら死んではいけないのだ。親しい人が悲しむからではない。生まれたことに感謝すべきだからではない。

ただ、生きているから。生きているうちは、生きなくてはいけないから。

「死なない」と決める。「生きる」と決める。

その決意を、毎日毎日、一瞬一瞬、積み重ねていく。

それで、命はつながっていく。人生長いなあ、と思っても。まだあるのか、と思っても。

そもそも選べる状況にいるのが贅沢なこと、なのかもしれない。苦しい、つらい、痛い、怖い、余命が限られている。そうした状況にあれば、思うことも変わってくるだろうし、そうした状況は誰しもが避けたいだろう。

それでも、「贅沢だ」「勝手にしろ」で切り捨ててはいけない思いをしている人が、『ぼく』の「ぼく」のような人が、世の中には実は相当数いるのではないか。

絵本『ぼく』の主人公も、『ぼくは12歳』の岡真史さんと同じ、12歳の少年だ。そして、岡さんの詩には「ぼくは/うちゅうじんだ/また/土のそこから/じかんの/ながれにそって/ぼくを/よぶこえがする」とある。「宇宙」もこの2人に共通するのだろうか。

ここにいるのは楽しいこともあるけれど、自分はここに属していないような感覚。ここにいる者ではないような、どこかへ飛び去りたいような気持ち。

その思いは、無理に押し潰さなくてもいい。頑張っても完全になじむことはできないけれど、存在を続ける努力をする。一歩一歩。


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