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『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』宮崎伸治著:後悔ではなく今後の翻訳・出版業界への警告

かつてベストセラーとなった翻訳書を出し、印税で生活し、メディアからインタビュー取材なども受けていた出版翻訳家による実話を記録した本。

大学卒業後に大学事務職員になって働きながら翻訳の勉強をし、25歳で大学職員を辞めて英会話講師に。27歳で社内での産業翻訳スタッフになり、29歳でイギリスの大学院に進学。そしてとうとう念願の出版翻訳家になる。

ベストセラー『7つの習慣 最優先事項』を翻訳するなど、30代で華々しい活躍をする著者だが、次第に暗雲が立ち込め、「印税カット」「印税率変更」「出版中止」など、恐ろしい事態に次から次へと直面する。

出版社、編集者からの金銭面でのひどい待遇や裏切りもあるが、それよりも、率直に事情を話さず、のらりくらりと、時には金で解決を図る態度に、著者はいっそう憤っているのだと思う。出版界はもとより、どんな営利企業に勤める人にとっても、耳の痛い話なのではないか。

裁判に持ち込むまで、そこまで粘るのか・・・と、読んでいてつらくなってくる。自分のためだけではなく、今後同じことが起こらないように、という使命感も持って闘う姿勢は、事件などの被害者が訴訟に踏み切る報道で、当事者が口にする言葉にもみられる。

そのような強い意志を持ってぼろぼろになりながら抵抗したのに、得る者はほんのわずかで、失ったものの方が大きく、ついには疲弊して力尽きてしまう。

これには、個人、翻訳業界にとどまらず、おかしい、許されるべきではないと強く感じ、行動を起こす者が大変な目に遭って「損」をする社会構造さえ浮かび上がってくる。

また、個人事業主の立場の圧倒的弱さも描かれている。法人事業主がいろいろと保証され守られた立場であるのに対して、個人事業主はまさにすべてを一人で行い、自分の身は自分で守るしかない。しかも守るための手段も多くはない。

国は、契約社員など非正規雇用をしやすくして、企業が業績など都合に応じて人を簡単に「切れる」ようにする制度を整えた。そして今度は、企業が人件費をさらに削減できるように、従業員として雇うのではなく業務委託をしやすくするよう推進しているようだ。

時間外手当、有給休暇、健康診断、退職金、失業手当、すべてないのだろう。安全管理もずさんで、悲惨な事故が起こることもある。労務管理をするわけではなく、過労で病気になることもあるだろう(従業員でもあることだが)。

これからますます会社に余裕がなくなっていって、雇用されずに働く人が増えるなら、個人事業主でも安全に働けるよう、国が制度を整えるべきではないか。働きたいし本来は働けるはずなのに働けない人が増えたら、税収が減り、国全体が困るはずだ。

自分の身を守るためにも、こうした法律などの勉強をしなくてはならないと考えさせられた。

「あとがき」で、著者の宮崎伸治氏は、出版翻訳家として働いて数々の本を出したことは後悔していない、と書いている。しかし出版界の事情が変わらない限りは、もうその仕事はやりたくないとのことだ。

では、1963年生まれで60歳近い同氏は、今何の仕事をしているのか?というと、「警備員」だそうだ。

私は警備員であることを恥じてはいない。警備員も世に必要とされている仕事であることに変わりはなく、誠実に任務を果たせばそれなりにやりがいはある。(p. 242)

職業に貴賎なしと言うが、いったんは出版翻訳家として知られ印税生活も経験したのに、最終的に警備員になるなんて、という感想を持つ人もいるかもしれない。

しかし私は(宮崎氏のような活躍はしていないが)、この人生を人ごととは思えない。定収入があって、本を執筆できるくらい心身ともにある程度安定した状態でいられるなら、むしろ素晴らしいことだと思う。

もちろんお金はあった方がいい(著名ではなくてよいが)。だが、もし生きていくのにぎりぎりの収入になったとしても、その中でいかにやりがいを見つけられるか。

仕事のやりがいとはたぶん、「好きなことができる」というだけではなく、「人の役に立っていると思えるか」ということかもしれず、そしてそれは「人から与えられるもの」ではなくて、「自分で見いだすもの」なのではないか。

たとえ無収入であっても、人を少し笑顔にすること、人を少しほっとさせること、誰にも気付かれなくても、ごみを捨てて気持ちの良い環境を保つこと。存在すること自体が、誰かの心の支えになること。そういうちょっとしたこと(でも時に実は難しいこと)が、生きていく糧になるのかもしれない。

では誰にも必要とされない人間は生きてはいけないのか?という問いを、自分自身に突き付けることがある。人に対してなら、「そんなことはない。どんな人も生きる価値がある」と言えるし、それは本心ではあるはずだが、文字面だけになってしまいがちだ。

自分に対してはどうか?何もできなくなって、知り合いが一人もいなくなったとしても、生き続ける意欲を保てるのか?

私は信仰を持たないが、最終的にはやはり「生かされている限りは生きるのだ」というところに帰結する気がする。

とはいえ、人の優しさをまったく感じない状態で気力が持つだろうか。そう考えると、せめて今、人に少しでも温かく接し得る元気があるうちに、そうしておきたいと思うのだ。


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