病気のことはあまり調べない方がいいらしい

僕は今、鬱や身体症状で悩んでいる。もう2年程うつ状態にある。あんまり鬱が治らないので、精神疾患を持つ人を支援している知人に相談したことがある。すると、「病気のことは調べない方がいい」と言われたことがある。その知人曰く、病気のことを調べると自分に当てはめるかららしい。これが良くないらしい。まあバーナム効果みたいなことが起きてしまうということなのだろう。

ちなみに僕は一応、双極性障害と診断されている。「一応」というのは、以前通っていた病院では不安障害から双極性障害に診断が変わった。それでそこの病院が遠かったので、近くの病院に転院したのだが、双極性障害かどうか分からないと言われた。ただ、本当に双極性障害だったらマズイということで双極性障害の薬は処方されている。まあ今の主治医はどちらかというと双極性障害かどうか疑っている。

過去にもしかしたら不安障害か発達障害なのではないかと思って本を読んだことがあったが、双極性障害とは思わなかったので、これに関する本は読んでこなかった。それで双極性障害なんて言われたら気になって調べてしまうじゃないか。そりゃもうネットで調べるわ、本は読むわで調べまくった。鬱であることは間違いないと思うのだが、躁状態や軽躁状態と言われると、そんな教科書的な症状はでないぞ、と思いながら読んでいた。ただ、ちょっと元気な時期があったり、調子に乗る時期があるくらいだ。そんなもの普通の人でもあるよ、と言われたらその程度のことだ。

まあ色々調べたわけだけど、結果的に調べなくても良かったなと思った。調べたところで参ってくるのだ。少なくとも良い気分にはならなかった。なぜかというと、それらの本には「病気」として書かれているからだと思う。双極性障害の基本的な本というと、双極性障害とはこういう症状で、こういう薬を使って、ストレスを溜めない生活をおくりましょう、とか書かれている本だ。それを実行しているのに治らないのはなぜなのか分からない。また、もう少し突っ込んだ内容の本や体験談の本も全体的に重苦しい内容で読んでいて参ってきた。躁鬱病といえば、北杜夫だが、もちろん彼のユーモアのある文章は読んでいて面白い。ただ僕はうつ状態の克服のヒントを探しながら読んでいたので、躁状態のエピソードをユーモアのある文章で書かれているだけで何の参考にもならなかった。鬱の時に躁状態のことなんて読みたくないのだ。また躁状態の時は双極性障害なんてどうでもいいのだ。唯一の例外として坂口恭平の『躁鬱大学』があった。この本は「病気」として書かれていないので、読んでいて気が楽になった。まあ、双極性障害に関わらず、誰にでも当てはまるような気分の波について書かれていた。北杜夫は躁状態のエピソードを面白可笑しく書いているのに対して、坂口恭平は双極性障害の克服の仕方についてかなり考えているのだと思う。それから得た方法論を実際に本にしている。だから当事者からすると、北杜夫より坂口恭平の方がしっくりきた。

そして僕は鬱になってから頭から足まで、さまざまな身体症状を経験してきた。その都度、これは何か重大な病気なのではないかと思ってくるのだ。これは鬱あるあるらしい。こういうのを心気妄想だとか身体表現性障害とか言うらしい。また、身体の症状について調べてしまうのだ。これが良くない。今はスマホで簡単に調べられるから尚良くない。例えば「頭痛 病気」なんて調べると怖い病気が山ほど出てくるのだ。そうなるともうその病気なのではないかと気になって仕方ない。それで検査してもらわないと気が済まないのだ。もちろん何も異常はない。僕は頭痛だけでなく、他の症状でもそういうことを繰り返した。要は調べるのが良くないのだ。

知人が言った「病気のことは調べない方がいい」というのはこういった意味で正しいと思う。例えば発達障害の本なんて誰にでも当てはまるようなことが書いてあるのだ。だから他の病気でも言えるかもしれないが、鬱に関しては、目の前の主治医を信じて、自分に出来ることをコツコツとやっていくのが一番いいのだ。下手に色々調べると、変に知識がついて、目の前の医者や飲んでる薬に対して不信感を抱くようになってくる。すると結構拗れるようになると思う。

まあそうはいっても気になるじゃないか。予防という意味で色々調べるのも悪くはないと思う。それに目の前の医者がトンデモかもしれないという可能性もある。ああ、こういうことを考えているからいけないんだろな。

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