ボブディラン

僕は今うつ状態にある。鬱がもっともひどいときは、ずっと横になっていた。タバコを吸うとき、トイレに行くとき、シャワーをするとき以外はほとんど横になっていた。鬱になる以前は読書をしたり、音楽を聴いたり、映画を観たり、外出したりしていたが、これらのことが全くできなくなってしまった。音楽はヒーリングミュージックや静かなクラシック音楽なら聴くことができたので、鬱で辛くベッドの上で悶えながらひたすらこれらの音楽を流していた。

リハビリを重ねることで、辛さはあるが、読書や音楽を聴ける時期があることが分かった。ただ、映画だけはどうしても観れなかった。それは1,2時間集中して観るのが辛いのか、元気な人間が出てくるのが辛いのか、また、物語の流れが怖いのか分からないが、とにかく映画が観れない。アニメすら観れないし、観る気がしない。読書も軽いものなら読めるが、重いものを読むと参ってくるので控えるようにしている。鬱の時は気楽で読みやすい小説か、「がんばらない生き方」みたいな緩い自己啓発本みたいなのが良いと思う。重い小説や哲学、また病気に関する医学書や体験談みたいなのを読むと参ってくるので注意が必要だ。音楽に関していうと、JPOPやらロックやらが聴くのが苦痛になる。音がうるさいのでビックリするのと、音楽には展開があり、それにビックリするというか何か怖い感覚があるのだ。聴ける時期もあるが、基本は聴けない。というか聴くのを避けている。

ただ、ボブディランなら今のところ聴けている。それは僕が今ボブディランに興味があるからなのかもしれない。ボブディランの音楽はフォークやカントリー、ブルースが基本になっているが、途中からそれらのジャンルにロックが混ざってくる。ただ、うるさく感じることはないし、ボブディランの曲は割と平坦でシンプルなので聴くことができるのだと思う。正直言うと、あまり音楽的に好きな類ではない。やはり、フォークやカントリー、ブルースをベースとして、平坦でシンプルなので、あまり音楽的に面白味がなく感じる。これは僕が今うつ状態だからそう感じる面があるのかもしれない。

とにかく、僕が読んでいる本に「ボブディラン」の名前がよく出てきたので、興味をもった。ただ、今のところ良さがあまり分からない。ボブディランがノーベル賞を受賞した理由が、「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」らしい。確かに詩を読むと、ボブディランと同時代の洋楽に比べると文学的だった。良さを理解しようと、何回も音楽を聴いたり、詩を読んだり、ライナーノーツを読んだりするのだが、いまいちピンとこない。ほとんどの曲が同じように聞こえてしまう。もちろん、「ライクアローリングストーン」や「風に吹かれて」など有名どころの違いは分かる。ただ、アルバム曲になると音源を聴いているだけだと全部似たりよったりに聞こえてしまう。これはやはり僕が今うつ状態にあるからなのかもしれない。ただ、ボブディランが時代によって表現のスタイルを変え続けてきたことは分かった。

やはり、ボブディランの凄い所は、ノーベル賞を受賞した理由の、「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」であり、時代によって表現スタイルを変え続けてきたことにあるのだろう。今のところ、そう思っている。英語圏の人なら詩の内容がスッと入ってくるのかもしれないが、英語が分からない僕にとっては、音楽を聴いて、歌詞カードを読むしかない。それが悔しいところだ。また、ボブディランの詩は長いので、それを音楽に詰め込むとなると、やはり音楽的に平坦になり、シンプルなものになるのだろう。これを日本の音楽に置き換えると、日本のフォークソングのように古臭く感じるのかもしれない。英語圏の人は、ボブディランを聴くときに、ある種の古臭さを感じるのだろうか。

今のところボブディランは僕の鬱の支えになっている。まだまだボブディランに関する研究が足りない。研究といっても、CDを聴いて、詩を読んで、ライナーノーツを読んで、本を読むくらいだ。とにかく、ボブディランには「何か」があると思っているので、それを感じ取れたらいいなと思っている。

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