そりゃ薬で解決するならそれに越したことはない

鬱はどうしたら治るのか。それははっきりと分かっていないのだと思う。うつ病や双極性障害の本を色々読んできたけど、結局、鬱がなぜ起こるのか、どうしたら治るのかよく分からなかった。というのも、鬱になった原因や症状は人によって異なるので、こうしたら治るというのが言えないのだろう。また、病気という面もあれば、考えや性格、環境の問題でもあると思うので、尚更こうしていれば治るというのは言えないのだと思う。逆にこうしたら鬱が治ると言い切れる人は怪しい。医学的になぜ人は鬱になって、それに対する治し方及び薬が開発されたら、ノーベル賞を貰えると思う。それぐらい難しい問題なのだと思う。

僕は一応双極性障害と診断されている。働きながら通っていた病院では、不安障害という診断だったが、途中で双極性障害に診断が変わった。それで、仕事を辞めてから鬱になったので、近くの病院に転院したら、双極性障害かどうかは分からないと言われた。そりゃそうで、鬱の時に転院してこられても、双極性障害かどうかなんて断定できないだろう。ただ、本当に双極性障害だったらマズイということで、一応双極性障害の薬は出ている。

僕の場合、薬を飲んで横になっていても、鬱が治らなかった。そう、もう2年もうつ状態なのだ。鬱になったら、薬を飲んで休養するのが当たり前とされている。それは確かにそうだと思う。もちろん、薬を飲まずに解決できる人は飲まないに越したことは無いと思う。ただ、この休養が簡単なようで難しいのだ。例えば、ひたすら横になっていても、頭の中は物凄く忙しい。あれこれ考え事をしているのだ。これでは休養になっていない。また、何も考えないのがいいと本などには書かれているのだが、それができたら苦労しないといった感じなのだ。

僕はとにかく、薬を飲んで横になれば鬱が治ると思っていた。もちろん、薬を飲んで横になっていたら鬱が治ったという人もいると思う。それは鬱になった原因に対する対処が合っていたのだろう。僕からしたら幸運にみえる。僕の場合はそれでは治らなかった。ただ、長い間、薬を飲んで横になれば鬱が治ると思っていた。この考えで拗らせてしまった感覚がある。自分で色々調べ出して、病気や薬に対して妙に詳しくなってしまうのだ。そして、この病気なのではないだろうかとか、この薬はどうなんだろうと思うようになった。そして、主治医に薬を変えてくださいだの、増やしてくださいだのと訴えていたことがあった。主治医から見ると、僕はひどい鬱でもなければ、躁でもないので、とりあえず様子見といった感じだった。それに転院当初から「薬は補助的なものですから」と言っていた。それでも当時の僕は薬にこだわっていたので、薬を変えてくださいだの、増やしてくださいだのと言っていた。しぶしぶ、変えてもらったりしたことがあったのだが、なんだかかえって調子が悪くなった気がして、結局元の処方に戻すということがあった。

鬱が「治る」ということに着目していると、どうしても治療に対して受動的になる。自分に「合った」医者を探すとか、自分に「合った」薬を探すとかそういうことに着目しがちになる。ただ、本当に自分に「合った」医者や自分に「合った」薬で鬱が魔法のように治るとは思えない。逆にそれで鬱が治ったら怖いと感じてしまう。

僕は鬱が治らないので、本やネットで病気に関することや、薬に関することを調べていたのだが、これで鬱を拗らせたように思う。正直そんなことをしなくてよかったと思う。だから僕が最終的にたどり着いた結論はシンプルかつ、現実的なことだった。それは、病気や薬のことは先生に任せ、後は自分に出来ることをコツコツとやっていくしかない、ということだった。これは当たり前のことなのだが、僕は鬱が中々治らないため、この当たり前に気づけないでいた。色々調べることで、主治医に対して不信感を抱き、また、薬でなんとかなると思っているため、治療に対しても受動的だった。これがいけなかったのだと思う。ただ、どう見積もっても、薬を飲んで横になっているしかない時期があったので、それはそれで仕方なかったとも思う。

とにかく、目の前の主治医を信頼し、病気と薬のことは主治医に任せて、後は自分に出来ることをコツコツとやっていくしかない。鬱というのは、一日にして、突然鬱になるのではなくて、日々の積み重ねで鬱になると思っている。だから、逆に言うと、鬱が治るのも日々の積み重ねが必要なのだと思う。要はリハビリが必要なのだ。これは、現在鬱で悩んでいる人にとっては、中々耳の痛い話かもしれない。もちろん僕は医者でも学者でもないので、何ともいえないが、2年鬱を経験して今はこのような結論に至っている。おそらく、僕と同じような経験をした人もいると思う。その人達もどこかの段階で、能動的に動いていかないと治っていかないと思われたのかもしれない。今は「治る」ということより、「慣れる」ことが必要だと思っている。とはいっても、鬱が辛いので、中々何かを始める気にならない。これが鬱の恐ろしい点だと思う。それが故に悪循環してしまうのだ。ただ、僕はもうリハビリのように能動的に動いて、「慣れ」ていかないといけないと思っている。これはよく考えたら当たり前で現実的な話だと思うのだけど、それが故に中々酷な話だとも思う。そりゃ薬で解決したらそれに越したことはないですからね。

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