意欲はある

僕は双極性障害らしい。働きながら通っていた病院では不安障害と診断されていたが、途中で双極性障害に診断が変わった。仕事を辞めてからうつ状態になったので、近くの病院に転院したら、双極性障害かどうかは分からないと言われた。そりゃそうで、うつ状態で転院してこられても、双極性障害かどうかなんてすぐ断定できないだろう。それに今の主治医は診断や薬に対してかなり厳しめにみえる。これまで何件か心療内科だか精神科に通ったことがあるが、その症状は~っぽいねと言われて、割とすぐ診断をつけたり薬が変わったりしていたが、今の主治医はそうではない。かなり様子をみる。調子が悪いのに薬が増えたり変わったりしないので、不満に思ったことがあったが、今思うと、主治医のやり方は正しかったと思う。ある程度「まとも」な医者ならこうするのかもしれないと思うようになった。

まあ、とにかくうつ状態が辛い。辛いといっても、急性期の頃に比べれば全然マシだ。認知できるかできないかのレベルで少しずつ良くなっているとは思う。鬱になるのも、ある日突然鬱になるのではなくて、じわじわと鬱になりつつあるのだ。だから、逆にいえば、鬱が治るのもじわじわと鬱が治るのだと思っている。とはいえ、鬱が鬱陶しくて仕方ない。体調も悪い。早く治ってほしいが、治していくためのリハビリが必要なのだ。

鬱が治ったらやりたいことがいっぱいある。もうさすがに働きたい。体も鍛えたい。以前のように本や音楽、映画が楽しめるようになりたい。ギターの練習もしたい。遠くに外出もしたい。バイクの免許を取るのもいいかもしれない。他にもやりたいことが色々ある。もしかすると、鬱を言い訳にしている面もあるのかもしれない。やろうと思えばできるのかもしれない。ただ、やろうとは思わない。これが難しい所だ。

僕は鬱というのは受動的な態度では治らないと思っている。例えば、病院に通ったり、医者や薬に頼っているだけで何もしないのでは治らないと思っている。もちろん、病院に通って医者や薬に頼らなくてはいけない時期があると思う。それで治った人はラッキーだと思う。いや、ラッキーというか鬱になった原因がそれで対処できたのだろう。ただ、問題はそれでは治らなかった場合だ。この場合、医者や薬はあくまでサポートであって、治していくために能動的に動いていかないといけないのではないかと思っている。

僕は坂口恭平が好きで彼の本をよく読んだが、彼は死にたい人、あるいは鬱の人へ向けて、何かをする日課を作れと言っている(と思う)。彼は料理をしたり、絵を描いたり、曲を作ったり、文章を書いたりして鬱を乗り越えている。鬱の時でもそういう日課を作っているのだ。彼のTwitterを見ていると、薬に対して結構懐疑的である。これは正直言ってなんといっていいか分からない。僕は薬に頼るのも有りだと思っているが、薬に頼りすぎるのもいけないと思っている。目が悪いからとりあえずメガネでもかけるか、くらいの感じで一応毎日薬を服用しているが、それで治っているとも思えない。まあ、薬は一つのサポートだと思うので、その辺は医者を信用している。とにかく、坂口恭平は薬に頼らない分、死にたい時や鬱の対処法を日課を作ることで克服している。これは治療に対して受動的ではなく、能動的な証だ。もちろん、彼にはその方法が合っていただけの話であって、誰にでも応用できるとは限らない。誰にでも応用できる理論なんてものは怪しいのだ。ただ、治療に対して能動的に働きかけるという点では評価できる。まあ、ずっと横になっているよりかはそういうことを試した方が全然良いと思う。あるいは、彼も薬に頼っていた時期があって、これでは治らないと思い、自分で治していくための方法論を生み出したのかもしれない。これは本人に聞いてみないと分からない。とにかく、鬱は薬を飲んで、横になる時期が必要だと思うのだが、それだけでは治らないと思っている。治療に対して能動的に動いていかないと治っていかないのだと思っている。そういう点において、坂口恭平は大変参考になる。

鬱がもっともひどいときに比べて、最近は意欲の方が少しずつ出てきている。ただ、元気と体調がそれに追いついていないという感覚がある。本でいうと、坂口恭平の本を全部読みたい。僕は好きになった作家の本を全部読みたくなってしまうのだ。小説以外の本は大体読んだと思う。だから小説も読んでみたいのだが、鬱の時は中々小説を読む気にはなれない。また、坂口恭平が影響を受けた作家の本も読みたい。僕はその作家が影響を受けた人物について調べるのも好きなのだ。大抵途中で挫折するのだけど笑。最近は保坂和志も気になっている。また、坂口恭平繋がりで千葉雅也も気になっている。本で言うと上に挙げた作家のほかに、双極性障害であったであろう人物の本も読みたいし、カフカも興味がある。カフカは「変身」は読んだことがあるが、「城」と短編集は全く読めなかった。最近、新潮文庫からカフカの人生論(題名を忘れた)が出ていて、パラパラと立ち読みしたのだが、ネガティブすぎて、鬱の時に読むのはマズイなと思って買うのをやめた。僕もネガティブさでは誰にも負けないと思っていたが、カフカはとんでもなくネガティブだったので、これは今読むのはマズイと思ったのだ。

音楽でいうと今興味があるのはボブディランやニックドレイク、NIRVANAだ。彼らの研究もしなくてはならない。研究といっても、音源を聴いて、ライナーノーツや詩や本を読むくらいなのだけど。意欲はあるが、中々元気や体調が追い付かないといった具合なのだ。ボブディランは多分精神疾患でもなんでもないが、ボブディランには「何か」あると思っているので、それが掴めるまで追求してみたい。ニックドレイクやNIRVANAは10代後半の時に知ったのだが、後にニックドレイクはうつ病であり、NIRVANAのカートコバーンは躁うつ病であったと知った。僕が好きな作家やミュージシャンは何らかの精神疾患を患っていることが多かった。その後、双極性障害と診断されたのは皮肉な話だ。ボブディランやニックドレイクは鬱の時でも聴くことができるが、NIRVANAは音楽的に少しうるさいので厳しい。アンプラグドなら聴くことができる。

ああ、早く鬱が治って、以前のように本や音楽を楽しめるようになりたい。

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