樺沢紫苑『精神科医が教える ストレスフリー超大全』を読んだ。
樺沢紫苑『精神科医が教える ストレスフリー超大全』を読んだ。先日読んだ、『精神科医が教える 病気を治す感情コントロール術』が良かったので買って読んだ。『精神科医が教える ストレスフリー超大全』は読んで字のごとく、いかにしてストレスを軽減できるかの、ハウツー本である、ビジネス本であり、自己啓発本だ。いや、正直ハウツー本とビジネス本と自己啓発本の違いがよく分からない。まあ似たようなものだろう。
中々分厚い本になっている。取り扱っている分野は、「人間関係」、「プライベート」、「仕事」、「健康」、「メンタル」、「生き方」だ。分厚い本なので全て読むのはしんどく、鬱に関するところ以外はパラパラとめくった程度だ。要は、脳科学やら心理学やら哲学等の観点から、いかにして「ストレスフリー」な生活をおくれるかが書いてあった。ぐうの音が出ないほどの正論が書かれているように思えた。
僕はなんというか、こういう自己啓発本が苦手なところがある。もちろん、読書を始めた頃はこういった自己啓発本をよく読んでいた。単純に読みやすいし、面白いからだ。ただ、せいぜい一週間くらいやる気が続けばいいもので、中々実行と継続ができない。こういった本に書かれていることを真に実行しようと思ったら、何回も読んで、ノートを作らないといけないレベルになってくると思う。それがめんどくさい。
また、自己啓発本やハウツー本を読むと、頭に血が上ってくるような感覚がある。何か機械的というかシステマティックすぎて、頭が受け付けてくれない。何か無理をしているような感覚がある。僕は認知行動療法の本を読んだ時も同じような感覚になる。認知行動療法の名著である『いやな気分よ さようなら』も最初の方でやめてしまった。これもかなり分厚い本である。また、他にも認知行動療法の本を読んだが、どうも受け付けなかった。まあ、認知行動療法というのは、誤った認知をシステマティックに考え、行動をしていくことにあると思うのだが、このシステマティックなのがどうも無理なのだ。「ええい。やかましい」という具合になってくる。こんなんだからいけないのか?『精神科医が教える ストレスフリー超大全』にも良いこと、ためになることが書いてあるのだが、同じような印象を受けた。とにかく分厚いので、鬱のときは、ちと辛い。だから鬱に関するとこだけ読んだ。
これは僕もそう思う。風邪のように薬を飲んでいても治らない。骨折のようにリハビリが必要なのだと思う。
このあたりのことは、『精神科医が教える 病気を治す感情コントロール術』に詳しく書いてあった。今僕は鬱という「病気」で悩んでいるので、どちらかというと「病気」に特化された、こちらの本の方が良かった。まあとにかく、「病気」を受け入れ、じたばたするのはあまり良くないのだろう。
また、鬱になる前の自分に戻るのではなく、「新しい自分にアップグレードする」必要性が書かれている。そりゃそうだな。鬱になる前の自分の考えや行動、環境から鬱になったのだから。
また著者は生活療法の重要性を説く。
これは中々耳が痛い。僕は薬を飲んで横になっていれば鬱が治ると思っていた。したがって、それをやっても治らないということは、医者が間違っているか、薬が合っていないと思っていたからだ。そして、行うべき生活療法が書かれている。
これも耳が痛い。一応7時間は眠れている。10月から6月くらいまでは毎日8000歩くらい歩ける。ただ、7月から9月は暑くなり体調が悪くて寝込んでしまう。酒は仕事を辞めてから一滴も飲んでいない。タバコは・・・勘弁してくれ。
とこういう具合に、著者は生活療法が大事だという。これはまさに正論だと思う。ただこれが中々難しい。だから著者はできることを少しずつやっていけばいいと言う。鬱が中々治らない人はどうしても、医者が間違っているのではないかとか、薬が合っていないのではないかと思うようになる。もちろんこれは僕のことだ。ただ、冒頭でも述べたように、鬱を治していくためには、ある種のリハビリ、つまり生活療法も重要だということだ。
本書では各章の終わりにお勧めの本を紹介されている。この章では、田島治『なかなか治らない難治性のうつ病を治す本』が紹介されていた。また、発達障害やHSPについても書かれていた。
というわけで、本書の鬱に関するところは読んだが、他の章は読めなかった。パラパラと見た限り良いことが書いてあるのだが、やはり機械的というかシステマティックに感じる。まあ、また元気になって気が向いたら読めばいいや。
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