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将来を諦めていた幼少~中学時代   

初めまして!ヤマサンと申します。名前の由来は数少ない友人からのあだ名が山さんということでヤマサンにしました。X(旧Twitter)では転職活動をきっかけにアカウントを作り就活3回目で呟いております。
※就活4回目にならないように頑張ります。


noteを書き始めた理由はXのフォロワーで書いている人が居たので自分も書いてみようかと思いました。
Xでは自分で内容を投稿するよりも人の投稿にいいねやコメントをつけることが多いです。

今のところヤマサンのnoteに関しては
【学生時代】【就職活動】【仕事】【趣味】【人間関係】
【マッチングアプリ】の話題なら話せそうかなと思い書こうかなと思います。
それ以外も徐々に話題を増やしていこうかなと思っています!


※注意
この記事は個人的な主観が多かったり、読む人によってはかなり不快に感じるかもしれません。

まずヤマサンはどんな人生を送ってきたかを幼少~中学時代を紹介します。
高校、大学の話は長くなるので別の記事にまとめます。


【幼少期】

2000年の早生まれの一人っ子です。当時はLEGOとゲームが好きでした。とにかく内気でマイペースな子供でした。現在のMBTI診断でもINTP-Aなので性格診断って的確なんだな~って感心します笑

【小学校生活】


集団行動に馴染めず当時は頭も良くなかったので高学年頃に特別支援学級に入りました。当時の自分は勉強したくない、楽な道へ進みたいそういった気持ちで入りました。
※この選択は後に後悔します。
いじめもあった気がしますが覚えていません。

【中学校生活】


中学校生活は3年間支援学級に通っていました。勉強という勉強は最低限という感じでした。
自分達は障がい者なんだから高望みをするな。直接言われはしなかったけどこういった雰囲気があり、教師や普通学級の人からはなんとなく馬鹿にされているとひしひし感じておりました。

【お前には出来ない】


【お前には出来ない】と言われてきたため自信を喪失
母親からは私が頭悪いんだから、ヤマサンも出来ないに決まっている。
選ぶ服はセンスが悪いと罵倒されたり、その髪型似合ってないと言われたため当時は自分で服を選べず、髪も切れなくなりました。許可がなければ服を着れませんでした。毎日のように汚いモノ扱い等
※虐待は自分が23歳くらいまで酷かったです。

中学2~3年生になりかけの頃に同じ学級の同級生がこの高校へ行きたい!といっていたけど、先生たちは応援よりも勉強していないあなたには無理だよ。とあまり乗り気ではなかった。その子はその子なりに頑張って努力していたけど結局は特別支援学校へ行っていました。家庭の事情もあるとは思います。(その子は普通の子です。)

自分も特別支援学校へ進学するものだと思っていました。
※特別支援学校を卒業しても高卒扱いにはなりません。
(当時の自分は知らなかったです。)

【進路は通信制高校】


中学3年生になり進学するためにIQテストを測定したところ、知的に問題はないと判断され、進学を諦めかけていた自分にも将来性があると前向きになり、父親に相談したところじゃあ通信制高校に行ってみようか!ということになりました。

次は高校時代の体験談となります。












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