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浅野いにお「零落」 繰り返されるテーマ

自分でも気付かないような人間の心の裏側にある醜さや欲望を表現する「おやすみプンプン」に衝撃を受けて学生時代に読み漁った浅野いにお作品。 「零落」ではある漫画家(作者を投影している)が、漫画家に憧れた学生時代、夢を叶えて一躍ヒット作を出してから、自由やお金を手に入れた一方で発行部数が伸び悩み焦燥や虚無感に苛まれるまでが描かれる。 他者への期待と孤独 テーマとなっているのは、他者への期待と孤独。漫画家である彼が常に誰かに自分を理解してもらえると期待し裏切られていく様子が何度

    • 三島由紀夫が自身の代表作とした小説のテーマ、二・二六事件について

      二・二六事件。 渋谷の慰霊碑を通り過ぎて思い出す程度の事件だったが、三島由紀夫が「精神と政治の衝突」とし「精神が敗北した」と評したことを知り改めて調べてみた。 昭和11年(1936年)の雪降る2月26日、天皇主権の国家を取り戻すため、明治維新ならぬ「昭和維新」を謀った陸軍士官約1,500人が政府要人を暗殺した事件。昭和天皇は当時陸海空の軍部の指揮をとる立場にあり、事実上の軍事政権を目指したクーデターとも言える。 当時の岡田首相は死を免れたが、高橋是清大蔵大臣など要人4人が被

      • 現段階で原発について思うこと

        原発について議論が上がるたび、その場限りの意見で免れるしかなかった。 賛成派 ・潜在的な武器として機能するから有事の際の抑止力になる。 ・安価で大量に安定供給ができる原発エネルギーを使わなければ貿易赤字が大きくなってしまう。 ・原発は温室効果ガスを排出しないため環境に優しい 反対派 ・また有事があって放射能が漏れる可能性があるから危険だ。 ・国防の観点で狙われたら困る弱点になるから危険だ。 ・福島原発の処理が完了していないのに次の話なんかできない。 など どれも正しい、と

        • つながりたいけど、偽りたい

          なぜ自分が「デタッチメント」にこだわるのか。 なぜ「デタッチメント」と「社会貢献」という相反するもの両方を求めているのか。 まさに「つながりたいけど、偽りたい」だ。 (さらざんまい第1話タイトル) 幾原邦彦監督の「さらざんまい」で描かれたのは、AmazonならぬKappazonというハコにそれぞれの秘密が入っていて、そのハコを開いてハコゾンビを成仏させる話だ。主人公らのハコは序盤で暴かれており、デタッチメントの姿勢をとっていた彼らは社会や仲間にコミットメントしていく。

        浅野いにお「零落」 繰り返されるテーマ

        • 三島由紀夫が自身の代表作とした小説のテーマ、二・二六事件について

        • 現段階で原発について思うこと

        • つながりたいけど、偽りたい

          デタッチメントからコミットメントへ

          デタッチメントと自分の「好き」にこだわって海外移住して、結局デタッチメントが増えたことで自分に向き合うようになった。ただ9カ月して、自分に向き合えば向き合うほど、デタッチメントの期間が長くなれば長くなるほど、コミットメントを求める自分がいることに気づいた。 「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」で村上春樹が似たようなことを言っている。アメリカ生活4年を経て、彼は日本にコミットすることを覚悟し、コミットメントする題材を探していた。 彼は結局、たまたまそのタイミングで起きた地下鉄

          デタッチメントからコミットメントへ

          『かもめ』チェーホフ かもめが意味するものとは

          シェイクスピアに次ぐ、言わずと知れた戯曲作家チェーホフ。シェイクスピアの戯曲は起承転結が明瞭でドラマチックなストーリーな一方、チェーホフの戯曲は起承転結が存在するわけではなく、ごく日常の一部を切り取ったような作品が多く、これが世界演劇史に革命を起こしたと言われる所以である。今回取り上げるチェーホフの戯曲『かもめ』も終盤直前まで何が起こるわけではなく、何かが起こる気配すらない。唐突にも思われる結末に、また「悲劇」と思われるこの結末に、私たちは「喜劇」として作られたこの作品を振り

          『かもめ』チェーホフ かもめが意味するものとは

          『罪と罰』 ドストエフスキー 宗教的視点からの考察

          罪と罰。ロシア帝国の文豪が描く壮大な物語は、犯罪心理を描写する小説である一方、ロシア正教(ロシアで発展したキリスト教の一種)への信仰物語でもあると言える。 今回は主要な登場人物の人物像と彼らのとった行動に焦点を当て、新約聖書・旧約聖書で重要な役割を果たす人物たちと照らし合わせながら、彼らがこの小説でどんな役割を担い、聖書でどのような役割を担っているかを考察していく。 聖書の人物に照らし合わせることで、罪と罰という物語の中で、ドストエフスキーがその人物から何を伝えたかったのかが

          『罪と罰』 ドストエフスキー 宗教的視点からの考察