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デタッチメントからコミットメントへ

デタッチメントと自分の「好き」にこだわって海外移住して、結局デタッチメントが増えたことで自分に向き合うようになった。ただ9カ月して、自分に向き合えば向き合うほど、デタッチメントの期間が長くなれば長くなるほど、コミットメントを求める自分がいることに気づいた。

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」で村上春樹が似たようなことを言っている。アメリカ生活4年を経て、彼は日本にコミットすることを覚悟し、コミットメントする題材を探していた。

彼は結局、たまたまそのタイミングで起きた地下鉄サリン事件や阪神大震災にコミットしていくわけだが。

こちらの生きる世界は、身近の世界はある程度平和で、反抗したい「社会勢力」もないし、救いの手を差し伸べたい大事件や貧困もない。「丁寧な暮らし」と表紙に描かれた雑誌が並んでいる、好きな映画やアニメに休日を費やす、誰もが他人や社会にコミットなんかしたいと思っていない、平和である程度みんなが裕福なそんな世界になっている。

こんな世界で、何にコミットしようか。さて、ヒントとなるのはこんなところか。

  • 世界では戦争が起きていて今も何人もの人たちが不当に生命を奪われる事態に怯えている

  • 子供が気の毒になる程、地球の行く末は恐ろしい
    ー地球温暖化で生活するのが困難になる世界(子供が90歳になったら気温は何度、海面は何センチ上昇するのだろうか)
    ー生きることへ希望を見出せない我々と同じ道を歩むことになるのか(便利さや快適さが追求されたあまり、没頭できるものも目的も無くなっている)

  • その一方で身近な世界だけを見て、丁寧な暮らしをしようとする我々がいる

  • 国民が世の中に興味を持たないことを良いことに、統一教会や憲法9条など都合の良いように政治が行われようとしている

  • EVや地球温暖化、IT分野で乗り遅れた日本の国力低下、通貨安によるドメスティック化が止まらなくなる(←海外に出た勢としては痛感するところでもある)

これらが敵にならないのであれば。あるいは。仮想敵がいなくなって戦うべきは、この何もない無気力な自分なのではないか。世界の不吉な面から目を逸らし、周囲の幸せだけ確立しようとする自分自身と戦うべきなのかもしれない。

デタッチメントから、コミットメントへ。

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