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三島由紀夫が自身の代表作とした小説のテーマ、二・二六事件について

二・二六事件。
渋谷の慰霊碑を通り過ぎて思い出す程度の事件だったが、三島由紀夫が「精神と政治の衝突」とし「精神が敗北した」と評したことを知り改めて調べてみた。

昭和11年(1936年)の雪降る2月26日、天皇主権の国家を取り戻すため、明治維新ならぬ「昭和維新」を謀った陸軍士官約1,500人が政府要人を暗殺した事件。昭和天皇は当時陸海空の軍部の指揮をとる立場にあり、事実上の軍事政権を目指したクーデターとも言える。
当時の岡田首相は死を免れたが、高橋是清大蔵大臣など要人4人が被害者となった。

この頃の昭和天皇は弱冠34歳で統率力はあまりなかったが、暗殺後3日ほど続く決起隊のクーデターを抑えたとして評価され、以降日本が事実上の軍事政権化をして第二次世界大戦に突入することになったとの見方もある。

三島由紀夫は著書「憂国」にて、同事件での決起隊に入れなかった陸軍隊員を描き、同書を「自分の美しさと醜さを一番よく表している書だ」と述べている。
憂国では二・二六事件を思いながら愛する人と自害する。それは「精神」のための死であり、天皇のための死であり、甘美なものとして表現された。
三島本人も同様に自衛隊の市ヶ谷駐屯地で精神を貫いて自害する。この行動から見ても「憂国」は彼の精神そのものだったのだろう。

三島は生前、昭和天皇への複雑な思いを口にしている。
人間天皇を認めないと異論を呈した一方で、学生時代に見た昭和天皇の凛とした姿を忘れられないのだという。

昭和天皇自身も、過去を振り返ったとき、どうしても忘れられない出来事はこの二・二六事件と降伏宣言だという。

二人が生涯をかけて思ったのは同じ風景だ。
美しく強い日本を目指す姿勢も重なる部分が多くあった。
だからこそ三島は昭和天皇に理想を重ね、降伏宣言に愕然とし術を失ったのだろう。

三島にとっても天皇にとっても原風景となった二・二六事件。
誰もが理想を追いかけていた時代。
慰霊碑を横切るときは、当時の青年の葛藤と理想を直向きに追いかける姿勢を思い出して身を引き締めたい。

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