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つながりたいけど、偽りたい

なぜ自分が「デタッチメント」にこだわるのか。
なぜ「デタッチメント」と「社会貢献」という相反するもの両方を求めているのか。

まさに「つながりたいけど、偽りたい」だ。
(さらざんまい第1話タイトル)

幾原邦彦監督の「さらざんまい」で描かれたのは、AmazonならぬKappazonというハコにそれぞれの秘密が入っていて、そのハコを開いてハコゾンビを成仏させる話だ。主人公らのハコは序盤で暴かれており、デタッチメントの姿勢をとっていた彼らは社会や仲間にコミットメントしていく。

なぜデタッチメントをして、人や社会と距離をとるのか。
それは自分の身を守るためで、自分を隠すため。
じゃあ隠そうとしている秘密は何かというと、好きなものはあるもののそれに対する浅い考えや知識の無さなのかもしれない。だからこそ趣味の話をする友人は一部にとどまり、海外にまで逃げてきた。本名での発信をせず、ペンネームでたまに呟く。
「偽りたい」から。

好きなものについて十分知識があって、大好きだということやウンチクを語れて、深読みができる、というように思われたい。
あるいは。
海外移住したことにたいそうな理由があり、結果的にたいそうな学びを得た、たいそう面白い経験をした、というように思われたい、から。
あるいは。

その一方で、「つながりたい」。
これは海外移住して、デタッチメントの期間が増えたことで抱えるフラストレーションでもある。友人との時間や家族との時間、同僚とのコミュニケーションなど、過去に自分が少し煩わしいと思っていたコミットメントを思い出して感謝することがたまにある。
自分を見つめて将来を考えるときに「デタッチメント」と同時に「社会貢献」がどうしても優先順位の5位くらいに上がってきてしまう。

デタッチメントを追い求める理由が
「偽りたい」
なのであれば、それは自分の考え一つで、変わるのではないか。
いつの間にか自分がハコゾンビにならないようにしなければ。

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