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神輿祭り

4年ぶりに、私の住む街でお神輿祭りが開催されました。

この写真は、バイトに行く途中で撮ったものですが、

働かせていただいているお店にも、今日はたくさんのお祭り帰りの方達がみえ、お店は活気で溢れました。

やっぱり日本人は、お祭りかなーと。お祭りの開催は、色々な調整や関係者の方たちの協力がなければできないと思いますが、

こうやって人が集まる機会があると、なんとなくでも人と人との関係は繋がれていく。

4年もの間お祭りを開催することができなかったことで、今回の開催に際して変わったこと、難しくなったことなど、

お店で神輿を担いでいた方たちとお話ししてお聞きすることができました。

そうだよなーと思いました。

コロナのご時世になってからというものの、私たちはとても大変な思いをしてきたと思います。

みんなすべて"自己責任"の一言で、片づけられる問題でしょうか?

問題の背景が見えていない方たちも、まだたくさんおられるでしょうけれども、

わたしたち個々人は、それぞれの具体的な生活の中で、具体的にさまざまな困難を抱えてきたと思います。

政治の貧困は、国民の貧困に現れる、

そうですね。

身内や知人、友人が亡くなったり、健康状態に不安を抱えたり、またお仕事の状況が大変になったり、人との関係が難しくなったりして、

今、わたしたちの多くは、元氣が出ない状態に追い込まれていると思います。

それは、個人的な問題をゆうに超えている。

社会全体の問題だと思います。

責任が、すべて個人個人に還元されようはずがない。

関係が良かった人たちとの不和も、寂しいものです。

問題の背景が見えているのならば、

自分とたいして変わらないような立場にある一般の人達ではなく、

その問題の大元に目を向ける必要があると思います。

でも、私たちは一人一人が声をあげ、行動するしかない。

それぞれの人の具体的な生活のなかで、できることがあるはずです。

健康状態や経済状態が厳しくなると、わたしたちはケンカし始めますね💦

普通に生きてきた、普通の人たちが、意味もわからず、騙されて殺されたり、健康を害されて障害状態になる。

その異様さに、声を上げる"普通"

人と直に会い、お話しすると、このような"普通の"感覚が戻ってきます。

世界の国々の人々は、闘ってきました。闘っています。

闘うことなく、声をあげることもなければ、わたしたちは甘く見られて、やられっぱなしでしょう。

コロナの死亡一時金なども、勇気を出し、決死の覚悟で声を上げた遺族の方たちが、その当然の権利(お金をもらっても大切な家族は還ってきません)を勝ち取られています。

どえらい方達に従って、誰かを虐めれば、自分の命や立場が確保されるのが、この世の世渡り上手というのでしょうかね。

私は、庶民でいいや、と思います。

少なくとも、人を殺して金を儲けたいなんて、思いません。

なんておそろしいことがまかり通っているのでしょうね。


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